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2010年2月28日 主日礼拝説教
「ダビデの子キリスト」(マタイの福音書1章1節〜17節)
■はじめに
マタイの福音書は、使徒マタイがユダヤ人のために書いた福音書と言われています。4世紀ごろの聖書写本のタイトルに、マタイの著作と書かれています。それ以前の2世紀の文書にも、マタイがイエス様のことを書いたという記録が残されています。
本文中にも、マタイの著作をうかがわせる記述があります。マタイは、自分自身についてこう紹介しています。
マタイの福音書9:9「イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。」
マタイは、イエス様に呼ばれて使徒となった取税人でした。マタイ本人が、「私は取税人であった」ことを読者に知らせようとしています。同じ個所をマルコとルカの福音書では、マタイという名を使わず、「レビ」という名前を使っています。
また12使徒の紹介のところでマタイはこう書きました
マタイの福音書10:3「ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ」
マタイの福音書だけが、マタイがユダヤ人の嫌っていたローマの取税人であったことを明らかにしています。これも、マタイ本人だからこそ書くことができたのではないかと言われています。
■系図
ユダヤ人に向けた福音書ということは、ながながとした系図から始まっていることからもうかがえます。ユダヤ人は系図をとても大切に考える民族でした。創世記から読み始めると、5章にはアダムからノアの系図、10、11章にはノアからアブラハムまでの系図が書かれています。
ユダヤ人は、系図がないと民族として受け入れてもらえませんでした。エズラ記は、ユダヤ人が捕囚から帰ってきて神殿を再建することが書かれている書ですが、そこに系図を失ってしまった人たちがユダヤ人かどうか証明できないばかりか、職にもつけなかったことが書かれています。
エズラ記2:59、62「次の人々は、テル・メラフ、テル・ハルシャ、ケルブ、アダン、イメルから引き揚げて来たが、自分たちの先祖の家系と血統がイスラエル人であったかどうかを、証明することができなかった。……これらの人々は、自分たちの系図書きを捜してみたが、見つからなかったので、彼らは祭司職を果たす資格がない者とされた。」
マタイは、最初に系図を載せることで、イエス様は血こそつながっていませんが、由緒正しいユダヤの系図のもとに生まれたユダヤ人であることを示そうとしたのでした。
■14代ずつ
1アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。
系図を見ると、「イエス・キリスト」が「アブラハムの子孫、ダビデの子孫」であることが語られています。そして14代ずつ、アブラハムからダビデまで、ダビデからバビロン移住まで、そしてバビロン移住からキリストまでと、14人が載せられています。どう14人を数えるか、いろいろ意見がありますが、アブラハムから(3節のユダのふたりの子のパレスとザラを数えて)14人目はエッサイになります。ダビデから14人を数えると10節のヨシヤが14人目、11節のエコヌヤから14人を数えると14人目がキリストになります。
きれいにまとめられています。これは、あえて14にするために細工を施したからです。ユダの子のパレスとザラを数えるようにしたり、ダビデ以降も、8節のヨラムの次がウジヤとなっていますが、実際にはヨラムの次は、列王記を読むとアハズヤ、ヨアシュ、アマツヤの3人が入ることがわかります。11節のヨシヤの次はエコニヤとなっていますが、エホアハズを抜かしています。12節のサラテルの次は、歴代誌を読むとペダヤが抜けていることがわかります。このように、それぞれ14人になるように工夫しているのです。
14は7の倍数です。7は、ユダヤでは創造の単位として完全数でした。7日ごとに人間の生活が刻まれていきます。完全数を重ね合わせることによって、キリストが生まれたことが神様の完全な、聖いご計画に沿って生まれてきたことを示そうとしたのでした。
■ダビデの子孫
「ダビデの子」とはどういう意味があるのでしょうか。神様はダビデにこのように約束されました。
サムエル記第2、7:12−13、16「あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。……あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」
しかし、実際のダビデ王朝は存続しませんでした。国は分裂し、神を捨て、ついにはバビロニヤに滅ぼされ、人々は捕囚の憂き目にあいました。しかし、バビロニヤの次に興ったペルシヤによって、ユダヤ人たちは国に帰ることができました。その時の指導者が、ダビデの子孫であった12節の「ゾロバベル」でした。しかしゾロバベルは王として立つことはできませんでした。ユダヤは、ペルシヤの州として存続することになったのです。
ペルシヤの次にアレキサンドロスの帝国、そしてシリヤ、次にローマ帝国がこの地を支配しました。
ユダヤの人々は、これらの国の支配のもと、救い主を待ち望むようになりました。そのお方がメシヤ、ギリシヤ語ではキリストと呼ばれました。彼らはサムエル記の約束から、このキリストはダビデの子孫として生まれると信じていました。
そして、実際にダビデの系図の最後にあるヨセフの妻であったマリヤから生まれたのが「キリストと呼ばれるイエス」でした。
しかし実際には、ヨセフの子としてイエス様は生まれませんでした。日本語の翻訳ではわかりませんが、ギリシヤ語では、「生まれ」ということばはすべて能動態が使われ、最後の16節の「キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった」の「お生まれ」は、受動態を使っています。イエス様は、「神によってイエスは生まれさせられた」のでした。
この人がはたしてダビデの子孫、救い主キリストだったのか。それは、ユダヤの人たちには十字架にいたるまで疑問でした。
ヨハネの福音書7:40−43「このことばを聞いて、群衆のうちのある者は、「あの方は、確かにあの預言者なのだ」と言い、またある者は、「この方はキリストだ」と言った。またある者は言った。「まさか、キリストはガリラヤからは出ないだろう。キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が言っているではないか。」そこで、群衆の間にイエスのことで分裂が起こった。」
そのような中、ユダヤ人に、確かにこのお方は私たちの救い主、待ち望んでいたキリストであるとマタイは知らせようとしたのでした。
■アブラハムの子孫
さらに、この系図で、イエス様は「アブラハムの子孫」であったことも、ユダヤ人たちに思い出させました。
アブラハムは、カルデヤ(メソポタミヤ)のウルで生まれました。神様は救いの実現のためにアブラハムを選ばれ、このようにアブラハムに約束されました。
創世記12:3、18「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。……あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
このアブラハムに告げられた約束の子孫がキリストであったとガラテヤ人への手紙は語ります。
ガラテヤ人への手紙3:16「ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。」
イエス様は、「アブラハムの子孫、ダビデの子孫」としてお生まれになり、ご自分の民を、その罪から救うために来てくださいました。神様は罪のないイエス様を私たちの代わりに罪人とされ、十字架によってさばかれました。こうして、イエス様は私たちの救い主キリストとなってくださいました。
これからマタイの福音書を、イエス様の恵みを覚えながら読み進んでいきたいと思います。
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