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2010年3月7日 主日礼拝説教
「神は私たちと共におられる」(マタイの福音書1章18節〜25節)
■はじめに
前回は、イエス様がダビデの系図に入っていることを見ました。しかし、イエス様はヨセフの実際の子ではありませんでした。神様は、救い主がダビデの子孫であるヨセフを父としたことをユダヤ人に知らせるために、ヨセフとその妻マリヤを選ばれたのでした。神様はヨセフに対して、新しく生まれてくる子供を自分の子供として受け入れ、育てるように導かれました。
■ヨセフの悩み
18イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
ユダヤの結婚は、結婚が決まってから1年間はそれぞれ別に過ごします。お互い、行き来することも会うこともなかったと言われています。しかし、いっしょに生活していなくても、社会的には、二人は結婚していると言われていました。
そのようなとき、マリヤが「身重になったことがわかった」のでした。ヨセフは混乱したでしょう。マリヤには、そのようなことが起こるということが御使いからあらかじめ知らされました。しかし、ヨセフはそれを知らなかったのです。ヨセフは思い悩みました。
19夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
ヨセフは「ヨセフは正しい人」であったと言われています。神様を信じ、神様の教えに従って生きようとしている人のことです。ヨセフには3つの道がありました。
1つは、マリヤの子は自分の子どもであることを認めて結婚することです。しかし、「正しい人」ヨセフには、結婚前にマリヤと関係を持ったという人々の目にさらされることになります。
2つは、律法の教えのとおり、マリヤを姦淫の罪で訴え、マリヤの罪を公にすることです。しかし、ヨセフには、愛する妻マリヤをそのような目にあわせることは忍びなかったのでした。
3つ目はヨセフが選ぼうとしたことで、「内密に去らせる」ことでした。マリヤに離婚状を出して、そっと去らせようとしました。
そう決めても、彼は思い悩みました。生まれてくる子はどうなるのか。ヨセフは悩み、失望と怒り、さまざま思い巡らしていたことでしょう。そのようなとき、神様はヨセフに語ってくださいました。
■主の使いのことば
20彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
夢を通して、主の使いが語られました。「恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。」そして、「その胎に宿っているものは聖霊によるのです」と言われました。聖霊による懐妊。そんなことは聞いたことがない。マリヤの子は不義の子ではなかったのか。聖霊による子とは何なのか。さらに主の使いのことばは続きます。
21マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
さらにヨセフは、男の子が生まれる。名をイエスとつけるようにと告げられました。イエス(主は救い)は、ヘブル語でイェホシュアー、ヨシュアです。生まれてきた子どもに名前をつけることは父親の役目でした。主の使いはヨセフに、生まれてくる子どもの父親となるようにうながしたのでした。それは、イエス様が「ダビデの子孫」と呼ばれるための、神様のご計画でした。
主の使いは、そのお方は「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」と告げました。「ご自分の民」の罪をすべて引き受け、その罪を赦し、救ってくださるのです。「ご自分の民」とは、全世界にいる神の選びの民です。
■ヨセフの信仰
マリヤの子をヨセフが自分の子どもとして育てることは、ご自分の民を愛してくださる神様がご自分の民を救うという神様のご計画の大事な一点でした。はたしてヨセフがそれを受け入れるか。このことを信じられるなら、マリヤをあなたの妻として迎えなさいと言われたのです。神様のご計画が、ヨセフの信仰にかかっていました。
このあとどうなるのか。ヨセフには、あれやこれやの思いがわいてきます。しかし、主の使いは「恐れないで」と告げました。そうだ、そのような心配は神様がしてくださる。神様にお任せしてマルヤを妻として迎え、生まれてくる子の父親となろう。ヨセフは、生まれてくる子が神の子であることを信じました。ヨセフはそれをすなおに信じました。すばらしいヨセフの信仰でした。
マリヤも主の使いのことばを受け入れました。
ルカの福音書1:30−38「すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。……神にとって不可能なことは一つもありません。」マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」」
ヨセフも、生まれてくる子どもが神の子であり、自分はその子の父親と呼ばれることを受け入れました。この二人の信仰によってイエス様の誕生があったのでした。
■神が共にいます
主の使いのことばは21節までですが、そのあとマタイはこの出来事が旧約聖書の預言の成就であったことを語ります。マタイは、この預言の成就であることを告げる記述が多いのも特徴です。
22このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。23「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
これは、イザヤ書7章のことばです。イザヤが預言者として活躍した、ユダのアハズ王の時代です。系図では9節に出てきます。
「9ウジヤにヨタムが生まれ、ヨタムにアハズが生まれ、アハズにヒゼキヤが生まれ、」
イザヤ書7:14「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」
それから700年後、アハズに与えられた預言は、イエス・キリストが誕生したときに成就したとマタイは書いたのでした。
名前は「インマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる」。イエス・キリストの誕生によって、神様が私たちと共にいることが目の前に、見える形で実現するのです。すべての人にとって、いつも神様がいっしょにいてくださるということが、人の世に見えるかたちをとって実現しました。
そして、マタイの福音書は、「神様が私たちと共にいてくださる」ことを、福音書の最後でも語るのでした。
マタイの福音書28:20「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
神様が共にいること、その約束は聖書の中に満ち満ちています。
申命記31:8「主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」
詩篇23:4「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」
イザヤ41:10「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」
イエス様はインマヌエル「神は私たちとともにおられる」お方です。そのためにイエス様はお生まれになりました。「神は私たちとともにおられる」ことを喜んで受け入れ、これからも歩みたいと思います。
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