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2010年4月18日 主日礼拝説教
「暗やみに光を見る」(マタイの福音書4章12節〜17節)
8今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、9言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
このことは、実際に「この世のすべての国々とその栄華を見せる」山はありませんので、イエス様が荒野にいたまま見せられた霊的な世界の出来事であったでしょう。
これは、神様から離れ悪魔と手を結ぶなら、この世の政治的権力や栄光を手に入れることができるのではないかという試みです。あなたが貧しい人々、苦しんでいる人々を助けるためにおいでになったのなら、彼らを救うには、十字架の苦しみを経て人々を救うより、この世の権力や栄光のほうが手っ取り早い道ですよと誘うのです。
これは弟子たちの考えの中にもあったことでした。イエス様が初めて弟子たちに、自分は十字架によって救いをもたらすために来たと言った時、ペテロは激しく反対しました。
マタイの福音書16:21−23「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」」
ペテロのことばは、この時の悪魔の試みと同じものでした。それでイエス様は、ペテロに「下がれ。サタン」と退けたのでした。
イエス様は悪魔に答えられました。
10イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」
申命記6:13のことばです。
申命記6:13「あなたの神、主を恐れなければならない。主に仕えなければならない。」
イエス様は、ただ神様だけを拝み、神様だけに仕えるという決意を明らかにして、神様のご支配がすべてのものの上にあることをお示しになられました。
ヘブル人への手紙2:18「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」
イエス様は、同じように誘惑、試みに会う人たちの心をご存じで助けてくださいます。そして、その人たちがどのような大きな失敗をしても、神様の豊かな恵みにより、その失敗を克服し神様の恵みの中を歩むことができるのです。
イエス様が悪魔の試みを受けられた後に、事件が起こりました。バプテスマのヨハネが、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスに捕らえられました。
12ヨハネが捕らえられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた。
ヨハネが捕らえられた事情はこうです。
マタイの福音書14:3−4「実は、このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕らえて縛り、牢に入れたのであった。それは、ヨハネが彼に、「あなたが彼女をめとるのは不法です」と言い張ったからである。」
これ以後ヨハネは牢から出ることなく、ここにヨハネの活動は終わってしまい、弟子たちも離れ離れになっていくのでした。ある者はイエス様の弟子となってヨハネの意思を受け継いでいくのでした。ペテロ、アンデレの兄弟は、ヨハネの弟子であったことがヨハネの福音書1章から知ることができます。
それまではヨルダン川近くで、ヨハネのグループとイエス様のグループとが一つのようになって活動していました。
ヨハネの福音書3:22−24「その後、イエスは弟子たちと、ユダヤの地に行き、彼らとともにそこに滞在して、バプテスマを授けておられた。一方ヨハネもサリムに近いアイノンでバプテスマを授けていた。そこには水が多かったからである。人々は次々にやって来て、バプテスマを受けていた。──ヨハネは、まだ投獄されていなかったからである──」
イエス様は、ヨハネが投獄されたことを知り、それまで活動していた南のユダヤから離れて、北のガリラヤで新しい宣教活動を始めることにしました。
13そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。
イエス様はご自分の故郷のナザレにしばらく滞在されましたが、そこを去られました。その時の事情がルカの福音書にはこう書かれています。
ルカの福音書4:16「それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。」
ナザレでイエス様は理解されず、むしろ追い出されてしまいました。そこでイエス様はカペナウムの町に住むことになったのでした。
カペナウムは、ガリラヤ湖周辺にあった町の中で、最も大きな栄えた町でした。イエス様はここを拠点として、ガリラヤ地方とその周辺の伝道にかかられました。
ガリラヤで宣教を始めたことが、マタイはイザヤ書の預言の成就であったと語ります。
14これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためであった。すなわち、15「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。16暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」
イザヤ書9:1−2「しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」
ガリラヤ地方は、ヨシュアによって征服された後、ゼブルン族とナフタリ族に与えられました。それでこの地は「ゼブルンの地とナフタリの地」と呼ばれ、しかもこの地方は異邦人の地に隣接しており、侵略を受けやすい地でした。イエス様の時代には、半数以上異邦人が住んでいたと言われていました。
それで、その地は南のエルサレムにあるユダヤ地方から見て、「やみの中を歩んでいる」「死の陰の地に住んでいる」所と言われていました。そこにキリストが、光が照るようにやってくると預言されていたのでした。
ユダヤの中心地エルサレムに現れてこそ救い主にふさわしいと思われていましたが、ここガリラヤにまず光が照り始めたのでした。キリストの教えは、エルサレムの律法学者の教えが支配する地ではなく、異邦人とユダヤ人が共に住みつき、純粋な信仰を貫こうとしていた人たちが暮らす、ユダヤの国全体から見たら片田舎と呼ばれるようなところから、イエス様の宣教が始まったのでした。
17この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
これは、バプテスマのヨハネのことばと全く同じです。「天の御国」は神の国と同じ内容でした。神様がご計画されたその国が、神様のご支配が、この地上で見える形で実現したことをイエス様は宣言されたのでした。
バプテスマのヨハネは、それが間もなく来ようとしているという意味で使っていました。イエス様は、ご自分が来られることによって、それがいま実現したと語ったのでした。
神様が遠い存在ではなく、私たちの近く、かたわらにあって、私たちの生涯に影響を与えようとしている。私たちにただ中に来てくださり、救いとなってくださる。そのことが始まったのです。
聖書で言う悔い改めは、「立ち返る」「今までの歩みの向きを変える」という意味が含まれています。私たちが、私たちの父は神様であることに気づき、その本当の父である神様のもとに帰るようにイエス様は招かれたのです。
イエス様は、暗やみを照らす光となって、この世に来てくださいました。
ヨハネの福音書12:46「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。」
私たちは今日も、暗やみに光を照らしてくださったイエス様を、私たちの罪を代わりに十字架の死によって贖ってくださったイエス様を覚えて、イエス様によって救われたことを感謝したいと思います。
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