ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2010年5月23日
2010年5月23日 主日礼拝説教
「神の子どもと呼ばれる」(マタイの福音書5章9節)
5章からの山上の説教に入ってから今日で4回目になります。最初の8つの「幸い」のうち6つまで見てきました。
9平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
平和あるいは「平安」は、イスラエルではとても親しみのあることばです。その「シャローム」は、あいさつのことばになっています。
「平和をつくる者」というギリシヤ語は、戦いの中にいる者がピースメーカーになる。平和を積極的につくり出していくことを表している語です。
イエス様は、どのような争いの中で平和をつくり出すようにとおっしゃったのでしょうか。イエス様がおっしゃった平和の一つは、天と地との平和をつくり出すことでした。地が天に対して背いているのです。人は神に背き、敵対し、自分勝手な道を歩んでいます。それに対して、天から神の怒りが示されています。
ローマ人への手紙1:18「不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。」
この天と地の争いに、イエス様ご自身が、神と人との間にあった敵意を取り除き、「神との平和」である福音を携えて立ってくださったのでした。
ローマ人への手紙5:1「信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」
コロサイ人への手紙1:20「その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」
イエス様が、十字架で私たちの罪のために死んでくださいました。そのことを信じた者は、イエス様が与えてくださった「神との平和」を受けることができるのです。
「神との平和」をいただいた者は、新たに自分の周りに平和を生み出していきます。これが2つ目の平和をつくり出すことです。
それは、この世で戦争のない社会を求めて、平和活動をすることを勧めているのではありません。ここのギリシヤ語は、戦いの中にいる者が平和をつくり出していくことを表している語でした。この世はキリスト者にとって戦いの場です。キリスト者は、自分の周りにある状況に対して、家庭で、会社で、学校で、社会で、平和をつくり出すのです。
その平和は、イエス様を信じた者が与えられた最大の戒め、「神様を愛し」、そして「隣人を愛す」ことによって生み出されていくのです。
そのような人は「キリストのかおり」を放っている人と言われています。
コリント人への手紙第2、2:15「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」
そして、その「平和をつくり出した者」は、神の子どもと呼ばれます。私たちが神の子どもとなることは、私たちが罪を赦され義とされると表裏一体となっている聖書の教えです。イエス様を信じた者、義とされた者は、みな神の子どもと呼ばれるのです。
ヨハネの福音書1:12「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」
神の子どもとされることは、どのような祝福、特権が与えられるのでしょうか。ウェストミンスター信仰告白にこうまとめられています。
ウェストミンスター信仰告白12章「神の子とされた者は、第1に神の子たちの数に入れられて、神の子たちの自由と特権を享受し、第2に神の御名をその上に記され、第3に子とする霊を受け、第4に恵みの御座に大胆に近づき、第5に「アバ、父よ」と呼ぶことができるようにされ、第6に父によってされるように、神によって、あわれまれ、守られ、必要を満たされ、懲らしめられる。しかし、決して捨て去られてしまうことはなく、かえって贖いの日のために証印され、永遠の救いの相続人として、もろもろの約束を受け継ぐ。」
「神の子どもとされる」ことは、イエス様を信じた時からそうなったのです。その時、神の子どもとされる身分を与えられたことによって、数えきれない特権をいま私たちは享受しているのです。それは御霊の働きによるのです。
ローマ人への手紙8:14−15「14神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。15あなたがたは、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。」
イエス様が「神の子どもと呼ばれる」とおっしゃったことばは、未来形が使われています。ですから私たちは神の子どもとして、将来、神様を見る時に、今よりはるかにすぐれたものが与えられるのです。それがどのようなものか正確にはわかりませんが、その時、父なる神様の愛が余すところなく理解され、その祝福を味わうことができるのです。それが聖書の約束です。
そのことを覚えて、聖霊様に助けられ、励まされ、慰められて毎日を送りたいと思います。
ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2010年5月23日