ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2010年8月8日


2010年8月8日 主日礼拝説教
「主の祈り」(マタイの福音書6章9節〜13節)

■はじめに

 どう祈ったらよいかに続いて、イエス様は「主の祈り」と呼ばれる祈りを教えられました。主の祈りは、呼びかけ、神様に対して3つの祈り、人の必要を求める3つの祈り、そして最後の頌栄からなっています。
 私たちの祈りは、自分自身の祈りが多いものです。「神様、今日一日元気に過ごすことができますように」「神様、私の罪を赦してください」、みな自分の祈りです。ところが、主の祈りは半分が神様についての祈りです。神様への祈りが、祈りの大切な要素であることがわかります。
 ルカの福音書では「主の祈り」の生まれたいきさつが出ています。

ルカの福音書11:1−2「1さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」2そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。」

 弟子たちが、祈り方がわからないので、それをイエス様に聞いて、イエス様が教えられたのが「主の祈り」でした。祈りとは訓練され、教えられて、祈ることができるようになるものなのです。
 どう祈ったらよいかわからないとき、この主の祈りを心をこめて祈るなら、それで祈りの生活ができる。そのような祈りとして、イエス様は「主の祈り」教えられたのでした。この祈りを大切にして、心をこめて祈りたいと思います。

■私たちの父よ

9だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。

 イエス様は、祈りとはどうすべきかを語られてきました。「自分の奥まった部屋に入りなさい」「同じことばを、ただくり返してはいけません」「あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられる」と教えられたあとで、「だから、こう祈りなさい」と言って、この祈りを教えられました。
 原文では「父よ」が最初にきます。そして「私たちの」と続きます。「私たちの」と祈る時に、祈りは、私はひとりではない。同じ神様を信じている兄弟姉妹がいて、その人たちと共に祈ることを意識することができるのです。
 このあと、後半の自分の必要を祈る祈りでは、すべて「私たちの」と複数で祈ります。信仰はひとりひとり個人的なものですが、祈りについては、ひとりではない。私たちは、神の家族、神の子とされた多くの人たちと共に神様の前に出ていることを「私たちの」ということばから思わされます。
 そして「父」に祈りをささげます。私たちは、神様を父としてお祈りできるのです。本来、そのような者ではなかった私たちが、イエス様の十字架によって罪赦され、新しく生まれ、神様の子どもとされました。
 私たちは、すべての必要を知っておられる父なる神様に祈ることができるのです。私たちが祈りの中で「父よ」と呼びかけるお方は、私たちの罪を赦し、私たちを受け入れてくださったお方、私たちに良いものを与えてくださろうとしておられるお方です。ですから、私たちはそのような父の前に出て、お話しているという安心感と平安な思いをもって祈ることができるのです。
 神の子イエス様は、地上におられる間、神様に向かって「父よ」と呼びかけました。その「アバ」は、家庭で使われているアラム語のことばでした。

マルコの福音書14:36「またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」」

 子どもの頃、お父さんをどう呼んでいたでしょうか。神様は、その親しい呼びかけで、神様を呼んで祈ることをよしとしてくださいました。

ガラテヤ人への手紙4:6「そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」

 私たちが「父よ」と呼びかける時に、神様、私たちはあなたを父と呼ぶことができるようにしてくださった感謝をこめて祈るのです。

■天にいます

 しかも、主の祈りで呼びかけている「父」は、天におられる父です。天は神様がおられ、神様の座しておられる所です。
 天も神様が造られたものです。神様はその造られたものを越えて存在しておられるお方です。「天にいます」と祈る時、そこは、ある空間的な現実の場所ではなく、神様がおられる所、ご支配しておられる所を「天」ということばで表現しているのです。

詩篇103:19「主は天にその王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める。」

 ソロモンが神殿を造った時こう祈りました。

列王記第1、8:27「それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。」

 神様は天にいて私たちをご覧になっておられます。私たちを助ける力と志を持っておられる神様であられます。

詩篇33:13「主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。」

 神様はこの世界を造り、治めておられるお方です。私たちを造ってくださったお方です。そのような理想の父親の前に立っているのです。それを「天にいます私たちの父よ」という呼びかけで覚えることができるのです。

■御名があがめられるように

 第1の祈り「御名があがめられますように」を見ましょう。
 「御名」はその人自身を表します。「神様ご自身があがめられるように」という祈りです。それは、神様があがめられるように、神様の栄光が現れるようにという祈りです。
 神様の御名、神様ご自身を示すものは、神様のなさったこと、創造のみわざがそうです。今なさっていること、今この世界を治めておされること、これからなさろうとしていることすべて、また神様がご自身を示された神のみことば、そして、ご自身そのものである神の御子キリスト、そのほか神様を指し示すすべてのこと、それらがあがめられるようにと祈るのです。
 神様があがめられるためには、神様に救われた者たちの歩み、行動、ことばによることが多いのです。私たちはこのように勧められています。

コリント人への手紙第1、10:31「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」

 もちろん神様ご自身が持っておられる栄光によって、人々に神様の栄光を示すこともあるでしょう。
 「御名があがめられますように」は、私たちの神様が神様としてあがめられ、私たちが神様のなさったみわざ、神様が与えてくださったみことばを信じ、神様に従っていく時、神様の栄光が現されるようにという祈りです。
 そのために、私たちにその思いが与えられ、私たちが神様を信じ、神様と共に歩ませてくださいと祈るのです。このような者を用いて、欠けの多い者によって神様の栄光が現されていく。そのように神様が望んでおられ、そのように召しだされたことを覚えて、これからも信仰の道を歩んでいきたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2010年8月8日