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2011年2月27日 主日礼拝説教
「行って宣べ伝えなさい」(マタイの福音書10章5節〜15節)
イエス様は12弟子を使徒として任命され、使徒たちはイエス様の教えを伝えるために、近くの町々に派遣されることになりました。派遣するにあたっていろいろ注意された事柄が、5節から10章最後まで続きます。
1つ目は、だれのところに行くのかでした。
5イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。6イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。
イエス様は、異邦人のところにもサマリヤ人のところにも行ってはいけない。「イスラエルの家の失われた羊」のところに行きなさいと命じられました。
異邦人とはイスラエル人、ユダヤ人以外の民のことです。
サマリヤ人とは、かつて同じイスラエル民族でしたが、800年前、国が滅びた時、サマリヤの地に周辺の民族が住みつくようになったのでした。彼らは、移住してきた民族の宗教を取り入れ、旧約聖書の最初の5書だけを聖書とし、自分たちの神殿を建て、イスラエル人とは全く違った民族・違った宗教を持つようになったのでした。それがサマリヤ人で、イスラエル人とは付き合わない民族でした。
イエス様は、それら異邦人、サマリヤ人のところに行かないように命じられました。イエス様の思いはすべて人、全世界の人たちを救うためでしたが、この時は、まずイスラエルから始めるように指示されました。それが神様のみこころ、神様の方法でした。
さらに、この時は、弟子たちへの訓練のためでもあったので、より伝えやすい自分たちの国のみとしたのでした。
2つ目は、何を語り、何をするかでした。
7行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。8病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
弟子たちは行って「天の御国が近づいた」ことを伝えるように命じられました。イエス様が来られ、神の国が始まりました。イエス様が神の国のことを教えられ、信じる者はだれもが神の国の民となることができるようになりました。そのことを伝えるように言われたのでした。
もう一つは、病人をいやすことでした。これらの働きは、弟子たちのことばが確かに真実であり、神様からのことばであることを証しするものでした。
3つ目は、経済的なことについての注意でした。何も持たずに、無報酬で行いなさいと命じられました。伝道のために働く者には、食べ物や必要なものは与えられるからでした。
9胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。10旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。
旅行に最低限必要なものが胴巻であり袋でした。「胴巻」は当時の財布を入れるもの、「旅行用の袋」とは食べ物や旅行に必要なものを入れるものでした。それに「二枚目の下着も、くつも、杖も」、余分なものは持たずに行きなさいということでした。
イエス様は、初めて伝道に出る弟子たちに、このような究極の方法で行うようにとおっしゃいました。この働きは神様が守ってくださる働きであり、その神様への信頼と信仰によって進められるからです。
イエス様の教えを伝えようとする者は、神様に信頼して生き、神様を仰ぎ見て神様に従っていく。そうすれば、すべての必要を神様が満たしてくださるのです。弟子たちが宣べ伝える神の国に対する信頼をもって、神様への全面的な信頼をもって出て行きなさいと教えられました。
神の国を宣べ伝えることは、まず自分が天の父に全くの信頼を寄せ、必要なものは神様が与えてくださるという信仰の姿を見せることです。
4つ目はどのようにそれを始めるかでした。
11どんな町や村に入っても、そこでだれが適当な人かを調べて、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。
町に入ったら、まず受け入れてくれる人を探すように。これは、最初に受け入れてくれた家にとどまり続けなさいということです。それは、与えられたものを感謝して受けることでもあります。
伝道の拠点は神様が備えてくださるので、神様の導きによってふさわしい家が与えられることを信じて始めなさいということでもありました。
ピリピの教会はそのように始まりました。
使徒の働き16:13−15「安息日に、私たち(パウロたち)は町の門を出て、(ユダヤ人の)祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせた。」
ルデヤは、パウロに自分の家を提供しました。パウロはルデヤの家を使い、ピリピの町の伝道を続けました。そして、マケドニヤ地方最初の教会、ピリピ教会が誕生したのでした。
12その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。13その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。
伝道する者が語ることは神様からの平安でした。神様によって与えられた平安がこの家にももたらされるようにと祝福を祈るのです。
5つ目は、教えを受け入れない家や町に対してです。
14もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。
伝道がいつも歓迎されるわけではありません。時には拒絶する人が現れることをイエス様は教えられました。神様のことばを受け入れない場所や人々には、足の裏のちりを払い落して出て行くようにと言われました。そこで触れたものはすべて無関係、ちりさえもそうだということを示す仕草でした。
使徒の働き13:46−51「そこでパウロとバルナバは、はっきりとこう宣言した。「神のことばは、まずあなたがた(ユダヤ人)に語られなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。……ふたりは、彼らに対して足のちりを払い落として、イコニオムへ行った。」
伝えるためには、あらゆる努力をしなければなりませんが、聞こうとしない者の責任は彼ら自らが負うことになるのです。
15まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。
「ソドムとゴモラ」とは、アブラハムの時代、神を知らず、犯罪と不道徳に満ちていた町でした。ソドムとゴモラは神様によって滅ぼされました。
創世記19:24−25「そのとき、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。」
弟子たちは、これらの教えに従って出て行きました。そこには助けがあること、必要が満たされることを約束されている働きでした。
これは、直接には伝道する者、牧師、宣教師への教えでした。しかし、イエス様の十字架によって罪が赦されたひとりひとり、神様の国に入る道を教えられ、そこを歩んでいる人たちにもできることがあることを、すでに見てきました。
マタイの福音書9:37「収穫は多いが、働き手が少ない。38だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」
働き手が起こされるように、働き手のために祈ることでした。伝道の働きは、主イエス様ご自身が共にいてくださり、助けてくださる働きです。そしてすべてのクリスチャンが、祈りを通してこの働きにかかわることができるのです。
エペソ人への手紙2:8「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」
私たちは恵みのゆえに、信仰によって救われた者たちです。神様を礼拝するために立てられた教会は、またその恵みを伝えるために立てられた教会でもあります。これからも共に祈り、神様の恵みを伝えることに励みたいと思います。
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