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2011年3月6日 主日礼拝説教
「蛇のようにさとく、鳩のようにすなおに」(マタイの福音書10章16節〜23節)
イエス様は12弟子を使徒として任命されました。彼らを「イスラエルの失われた羊」のところに派遣するために、いくつかの注意事項を教えられ、最後にイエス様は、耳を傾けない人たちに対しては、足のちりを払って出て行きなさいと命じられたところまで見てきました。
次にイエス様は、耳を傾けないばかりか迫害する者たちがいて、弟子たちを捕らえ、牢に入れるかもしれない。そのような危険があることを知らせました。
それは、イエス様が復活されてから以後に、弟子たちがこの世にイエス様の教えを携えて出て行く時に起きることであり、教会が立てられ、そこに働く伝道者・牧師・長老たちが体験する出来事であったのでした。
1つ目は、迫害があるということです。
16いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。
あなたがたは無力な羊のような者たちです。狼の中に入れられたら、ひとたまりもなく殺されてしまうような危険に遭うかもしれない。その中にわたしはあなたがたを遣わすというのです。そうであるので、「蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい」と命じるのです。
「蛇のようにさとく」。蛇は危険を素早く察知して逃げてしまいます。イエス様は、その蛇のようなさとい知恵を持つようにとおっしゃいました。状況に応じてすばやく判断を下せるようにということです
「鳩のようにすなお」とは、純真な心、人をだまさない心です。
どちらか一方では、たとえば蛇のようにさとくという面だけが目立ったなら、すばやさだけの人と見られてしまうでしょうし、また鳩のような素直さだけであったならば、お人よしの、人にだまされてばかりの者となってしまうでしょう。ですから、伝道者は賢さと素直さを同時に身につけなさいというのです。
17人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。18また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。
襲ってくる狼は、ユダヤ教指導者であり、ローマの総督、また王たちであり、弟子たちは彼らの前に引き出されるというのです。「わたしのゆえに」とあるように、それらも神様のみこころの中にあることでした。
2つ目は、イエス様の教えを伝える機会になるということです。
18……それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。
ペテロ、パウロの歩みはその連続でした。
使徒の働き4:8−12「8そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。……12この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」」
パウロは鎖につながれて王の前で語りました。
使徒の働き26:27−29「27アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」28するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と言った。29パウロはこう答えた。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」」
3つ目は、何も心配しなくてもいい。御霊が話すことを教えてくださるということです。
19人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。20というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。
迫害にあった時、捕らえられ、引き渡されたときにも心配はいらないのです。弟子たちに「話すべきことは、そのとき示されるからです」。しかも、「あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊」が話してくださるからでした。聖霊なる神様は、必要なとき、特別なときに働いてくださるお方です。
パウロは、そうなった時に語ることができるように祈ってほしいと手紙に書きました。
エペソ人への手紙6:19−20「また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」
4つ目は、家族の反対にあうということです。
21兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に立ち逆らって、彼らを死なせます。
悲しいことに、迫害の時に肉親のきずなも断ち切られることがあるかもしれません。家族が信じる肉親たちに、「福音を信じている」という理由だけで、反感が向けられるのです。
5つ目は、最後まで使命を全うしなさいということです。
22また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
社会の権力者、家族の反対だけではなく、「すべての人々に憎まれます」。それも、神様のみこころの中にあることでした。
神様が支え、神様が担ってくださるから、弟子たちは最後まで耐え忍ぶことができ救われるのです。そのようにみことばを伝えた者に、大きな報いが与えられるのです。
ヨハネの黙示録2:10「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」
6つ目は、迫害があったら次の町に逃げなさいということです。これが最後まで耐え忍ぶために必要な蛇のような知恵でした。
23彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。
迫害を甘んじて受けるだけでなく、まして殉教の死を選ぶのではなく、次の町に逃れる道もあること、逃げ出していくことを教えられました。それは「人の子が来るときまで」、イエス様がもう一度やってくる時までに「決してイスラエルの町々を巡り尽くせないから」というのです。これは、イスラエルの町々はすべてが救われないこと、むしろほかの町に、異邦人に伝えるように教えられたのでした。
確かに、迫害を逃れて、ほかの町に行って、まずユダヤ人に福音を伝え、次いでサマリヤ人、ギリシヤ人に伝えられ、クリスチャンたちと呼ばれる異邦人教会が起こされたことを使徒の働きは伝えています。
使徒の働き8:1−5「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。……他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。」
「最後まで耐え忍ぶ」ことは、そこにとどまって命を捨てるのではなく、最後まで福音を宣べ伝え続けること。反対されている家族があったなら最後まであきらめないで福音を語る機会を待つこと。また逃げ出しながらも伝えて行く。いろいろな方法で、いろいろな所で伝え続けること。それが伝道する者に与えられた義務であり、それが最後まで耐え忍ぶことでした。
イエス様は弟子たちを伝道に遣わすにあたって、そこに迫害が起こることを否定しませんでした。その迫害がかえってみことばを伝える機会になるのでした。話すことばも御霊によって与えられ、迫害を避けることによって、新しい町にみことばを伝えられていくことを、このときイエス様は見ておられたのでした。
それは「人の子が来るときまで」、イエス様がもう一度やってこられる時まで続くことでした。
マタイの福音書24:13−14「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」
どのようなことが起ころうとも、私たちは神様が与えてくださる「蛇のようにさとく、鳩のようにすなお」な思いを持って、「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです」というみことばを伝えていきたいと思います。
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