ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年4月10日


2011年4月10日 主日礼拝説教
「悔い改めの祝福」(マタイの福音書11章16節〜24節)

■はじめに

 イエス様は、バプテスマのヨハネからの問いに答えた後、ヨハネの偉大さを語りました。ヨハネが現れた時から天の御国は激しく攻められているような状況になりました。救いを受けたいという人たち、待ち望んでいた救い主がやってこられたことを知った人たちが、熱心に求め始め、自分のものとし始めたのでした。

■冷淡であった人たち

 イエス様は、ヨハネとイエス様が来られても冷淡であった人たちについて語り始めます。

16この時代は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわっている子どもたちのようです。彼らは、ほかの子どもたちに呼びかけて、17こう言うのです。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』

 イエス様がやってこられたのに無関心であったことを、子どもの遊びを例にとって語りました。子どもが、親が市場で買い物をしている間、ほかの子どもたちに結婚式ごっこや葬式ごっこをして遊ぼうと言って、笛を吹き呼びかけてもだれも寄って来なかった。これと同じことが、ヨハネとイエス様に対しても起こったのでした。

18ヨハネが来て、食べも飲みもしないと、人々は『あれは悪霊につかれているのだ』と言い、19人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言います。でも、知恵の正しいことは、その行いが証明します。」

 ヨハネが悔い改めの断食をすると悪霊につかれていると批判し、イエス様が罪人たちと食事を共にしていると、「食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ」と非難したのでした。
 イエス様はそれに対して、「知恵の正しいことは、その行いが証明します」と語りました。ヨハネが行ったこともイエス様が行ったことも、神様の知恵によることでした。

コリント人への手紙1:24「ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」

 そして、これからイエス様が行おうとしている十字架と復活を人々が見る時、神の知恵のすべてが明らかになるのでした。

■悔い改めなかった町々

 イエス様は、今度はイエス様のたくさんの奇蹟を見ながら悔い改めなかったガリラヤ湖周辺の町々を責められました。これらの町の人たちは、イエス様の奇蹟を目の前にしても悔い改めなかったのでした。

21「ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちのうちで行われた力あるわざが、もしもツロとシドンで行われたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。22しかし、そのツロとシドンのほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえたちよりは罰が軽いのだ。

 「コラジン」と「ベツサイダ」で、イエス様が救い主であることを示す奇蹟が行われました。
 それらの町々と比較された「ツロとシドン」は、地中海沿岸にあった港町で、フェニキヤ人の町として栄えました。ツロとシドンは、高ぶり、不道徳、偶像崇拝の罪で、神様から遣わされた預言者から再三再四、厳しく問われていました。

エゼキエル書28:22「神である主はこう仰せられる。シドンよ。わたしはおまえに立ち向かい、おまえのうちでわたしの栄光を現す。わたしがシドンにさばきを下し、わたしの聖なることをそこに示すとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」

 そのような不道徳なツロとシドンの町であっても、もしこの時、この町に「力あるわざ」が行われたなら、「荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めていた」というのです。
 コラジンとベツサイダの町々に行われた「力あるわざ」とは、イエス様が行われた奇蹟とおことばでした。
 「力あるわざ」は、その後どう伝えられたでしょうか。力ある奇蹟、しるしとしての奇蹟は、使徒たちに受け継がれました。しかし使徒たちの主な活動は語ることであり、またイエス様の生涯と教えと、行ったことを文書に残すことでした。その残された文書、聖書が「力あるわざ」として、今に伝えられました。
 イエス様はイエス様の時代だけではなく、使徒たちの時代、そして、聖書によって語られる時代をも含んで、このさばきのことばを警告として語られました。
 イスラエルの人たちは、ツロやシドンは自分たちの敵であり、偶像礼拝の町であったので、イスラエルより厳しいさばきがあって当然と思っていました。しかしイエス様は、まだ福音が伝えられていない異教のツロ、シドンの町よりも、福音を聞いて信じなかったコラジンやベツサイダの町のほうがさらにきびしいさばきを受けるというのです。
 神の恵みを知った人たちが神の教えを受け入れないならば、何も知らされていない人たちより厳しいさばきを受けるのです。聞く機会が大きければ大きいほど、祝福が大きければ大きいほど、それを拒む時の責任は重いのです。
 バプテスマのヨハネは、さばきを行わないイエス様に対して、はたしてこのお方は救い主なのだろうかと質問してきました。イエス様は、その時、イエス様のみわざを通して救いの福音が伝えられていることを知らせるようにと返事をしましたが、イエス様はここで、そのみわざを見て信じない人たち、みことばを聞いて信じない人たちにさばきがあることを語ったのでした。
 次に、カペナウムの町に対しても言われます。

23カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。ハデスに落とされるのだ。おまえの中でなされた力あるわざが、もしもソドムでなされたのだったら、ソドムはきょうまで残っていたことだろう。24しかし、そのソドムの地のほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえよりは罰が軽いのだ。」

 カペナウムは、コラジンやベツサイダとは違って、もっとイエス様のみわざに接する機会があった町でした。カペナウムはイエス様のガリラヤ伝道の拠点地でした。
 カペナウムは「ソドム」と比較されます。ソドムは旧約聖書・創世記に出てくる町で、ツロやシドンと違って神様が約束された地の中にあり、神様が滅びから救おうとされた町でした。
 そこにはアブラハムの甥のロトの一家が住んでいました。ロトの家族や、ソドムに遣わされた御使いが、このままではこの町は滅ぼされてしまいますと警告したにもかかわらず、人々からは、それが冗談のように受け取られ、そのままこの町は神様の言われたとおり、滅ぼされてしまったのでした。

創世記19:14「そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。「立ってこの場所から出て行きなさい。主がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われた。」

 そのような町がソドムでした。警告を直接受けたが受け入れず、滅ぼされてしまった町でした。
 カペナウムにはイエス様がいて、奇蹟を行い、数々の教えを語っていました。使徒たちもそこに住んでいて、すぐにでもイエス様の弟子になれる環境にあったのでした。コラジンやベツサイダとは比較にならないほどに、神様の恵みが注がれた町、それがカペナウムでした。
 ソドムでさえ、カペナウムで行われた神様のみわざを見たならば、悔い改めて、さばきにあわなかったであろうと言われます。それほど、手厚い神様の恵みがカペナウムにあったのでした。それを拒んだので、カペナウムはさばきにあう、「ハデスに落とされる」とイエス様はおっしゃったのでした。

■力あるわざを受け入れた人たち

 私たちは、「力あるわざ」であるみことばに書かれてあることを真理として受け入れることができた者たちです。主イエス様の十字架によって救われた者たちです。私たちはコラジン、ベツサイダ、カペナウムにならないで、「力あるわざ」をしっかり聞いて、受け入れることができたのでした。
 私たちは、恵みを与えられた責任を果たすことができました。私たちはさばかれることがなく、天に上げられる約束をいただきました。さらに感謝なことに、私たちは、それを終わりまで信じ続けることを、主ご自身が堅く守ってくださると約束されているのです。

Tコリント人への手紙第1、1:8「主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。」

 私たちはさばきにあうことなく、神様が最後まで堅く守ってくださることを知って、また日々の歩みを続けたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年4月10日