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2011年5月15日 主日礼拝説教
「救いのしるし」(マタイの福音書12章38節〜45節)
パリサイ人たちがイエス様に「悪霊のかしらベルゼブルだから悪霊を追い出すことができるのだ」と言ったことばから始まって、イエス様はパリサイ人たちに「御霊に逆らう冒涜」だけは赦されない罪であることを指摘しました。さらにパリサイ人たちとの論争が続きます。
38そのとき、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」
「しるし」とは、イエス様が救い主であることを示す目に見える証拠でした。このようなしるしを要求したのは、「自分は神から啓示を受けた救い主だ」と自称する人が多くいたからでした。
パリサイ人たちは、イエス様が悪霊を追い出したこともしるしとして認めませんでした。そのほか、彼らはイエス様が行った奇蹟を見ていましたが、それも安息日に行ったからとか、神を汚しているとか言って、しるしとしての奇蹟であることをうやむやにしてしまいました。そんなものではなく、決定的な証拠、天からのしるしを見せてくださいと要求したのでした。
39しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。40ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。
パリサイ人たちはしるしを求めましたが、それに対してイエス様は「悪い、姦淫の時代はしるしを求める」と答えられました。45節には「邪悪なこの時代」と言い換えられています。イエス様は、特別なしるしを求め、それを見なければ信じようとしないこの時代を「姦淫の時代、邪悪な時代」と言われました。
すでにイエス様はたくさんの奇蹟をとおして、ご自分が救い主であることを示されていました。それらをしるしとして見ることができないならば、ここでどのようなしるしを示しても、彼らは信じなかったでしょう。それでイエス様は、預言者ヨナが経験したことをしるしとされました。それは、イエス様が復活されるということでした。
預言者ヨナは神様から、イスラエルの敵であったアッシリヤ帝国の首都ニネベに行って、その町の人々に神様のことばを伝えるように命じられました。ヨナは神様の命令を拒み、ニネベとは反対方向に行く船に乗りこみんでしまいました。神様は、その船に対して嵐を送り、船を沈めようとされました。ヨナは自分のために船もろとも沈んでしまうことを恐れ、自分がこの嵐の原因であることを船長に告げ、自分を海に投げ込むよう話しました。ヨナが海に投げ込まれた時、嵐は静かになりました。神様は大きな魚を送り、ヨナを飲み込ませてヨナのいのちを助けました。
ヨナ書1:17「主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。」
ヨナが3日3晩魚の腹の中で過ごしたことを、イエス様は「ヨナのしるし」と呼ばれました。人々から、ヨナはもう海に沈んで帰ってこない、死んだと思われていたのに、生き返ったように現れてニネベに向かったのでした。イエス様も十字架で死んで墓の中にいたのに、3日目にそこから復活して弟子たちの前に現れたのでした。
それがしるしであり、それによってイエス様が天から来られたお方であることが明らかになるというのです。
しかしパリサイ人たちは、この時まだイエス様の復活を見ていませんでした。そこでイエス様は、ことばだけでも信じられる、求める心があれば信じられるということを2つのことから示そうとされました。
1つはニネベの人はヨナの説教で信じたことです。
41ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。
「ニネベの人々」は、ヨナの説教によって悔い改めました。
ヨナ書3:4「ヨナはその町に入って、まず一日目の道のりを歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と言った。」
ニネベの町は、このことばによって信じ、滅びから免れたのでした。イエス様はご自分のことを「ヨナよりもまさった者」と言われました。パリサイ人たちは、イエス様のたくさんの説教を聞き、奇蹟を見ながら、イエス様を救い主と認めず悔い改めようとしなかったのでした。ニネベの人々は、奇蹟も行わなかったヨナの「ニネベは滅ぼされる」という説教によって悔い改め、救われたのでした。
2つは南の女王がやってきたことです。
42南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。
「南の女王」とは、「シェバの女王」のことです。
列王記第1、10:1「ときに、シェバの女王が、主の名に関連してソロモンの名声を伝え聞き、難問をもって彼をためそうとして、やって来た。」
シェバは、アラビヤ半島の南にあった国でした。インドとヨーロッパの交易の中継地であり、多くの富を得て栄えていました。ところが、ソロモン王は貿易港を造り、直接インドとの貿易を始めたのでした。
列王記第1、9:26「また、ソロモン王は、エドムの地の葦の海の岸辺にあるエラテに近いエツヨン・ゲベルに船団を設けた。」
それでシェバの女王は、ソロモンとはどういう王なのか、またソロモンと話をしようと自らエルサレムにやってきたのでした。
イエス様はここでも、ご自分のことを「ソロモンよりもまさった者」であると言われました。パリサイ人たちが、ニネベの人たちがヨナのことばを聞き悔い改めたようにイエス様のことばを聞いたなら、また、はるばる南の国からやってきた女王がソロモンの知恵を聞いたようにイエス様のことばを聞いたならば、この時代の人たちも救われるのでした。
イエス様は奇蹟を行われました。それは救い主としてのしるしでした。また多くの天の御国の説教を行いました。それも聞く者にとっては、救い主としてのしるしでした。しかも、イエス様は遠くではない、目の前にいたのでした。それでも信じることができない者たちは、ニネベの人たち、南の女王によって罪に定められるのです。
ではなぜパリサイ人たちは信じなかったのか、パリサイ人たちはどうなるのか、イエス様はたとえを使って話されました。
43汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
「汚れた霊」とは、イエス様によって追い出された悪霊ではなく、自ら救いを拒んだ霊のことです。この霊は、イエス様による救いより、律法や、ユダヤの宗教儀式を守ることによって救いを得ようとしました。しかし、出て行った霊は、そこで休み場、まことの平安、救いを見出すことができませんでした。
44そこで、『出て来た自分の家に帰ろう』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
霊がいなくなったあと、その人はそこに正しい教えを入れませんでした。出ていったそのままのきれいな状態でした。そうではなく、そこにイエス様の教え、イエス様が救い主であることを信じる信仰を心に入れればよかったのでした。
その人は、バプテスマのヨハネの話を聞き、イエス様の教えを聞いたにもかかわらず、やはり律法が大切なのではないか。今までの習慣は捨てられないのではないか。そう思い、結局は霊が出て行ったあと、何もそこを埋めるものは見つけなかったのでした。
45そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。」
イエス様の救いを目の前にしながら受け入れようとしない律法学者、パリサイ人は、イエス様の救いを受け入れなければこのようになる。それがこの時代であると言われたでした。
後に、イエス様が十字架にかけられ、死んで葬られ、3日目に復活されました。そのイエス様最大のしるしを弟子たちは伝え始めました。人々はその復活が確かに起こったこと、その知らせを聞くだけで続々とクリスチャンの仲間に入っていったのでした。
ユダヤの指導者たちは、相変わらず信じることができず、弟子たちを迫害し続けました。しかし信じるようにされた者たちは、見ないで信じるように導かれていったのでした。まさに、復活は何よりもまして、はっきりしたしるしだったのでした。
ヨハネの福音書1:11−12「11この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。12しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」
私たちは、イエス様の復活をとおしてイエス様の奇蹟、イエス様の説教を見、聞くことができるようにされ、十字架が私たちの罪を赦すものであったことを信じることができました。
きょうもイエス様に感謝し、イエス様を信じる者とされたことを感謝し、歩み出したいと思います。
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