ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年6月19日


2011年6月19日 主日礼拝説教
「神の国の広がり」(マタイの福音書13章31節〜35節)

■はじめに

 13章から2つのたとえ話を見てきました。最初は「種がまかれた地面のたとえ」でした。まかれた種がそれぞれ違った土地に落ちました。道ばた、岩地、いばらの中、そして良い地でした。私たちはこの良い地であることを覚えました。
 先週は毒麦のたとえでした。この世界に神様が麦の種をまいておられる。それは、イエス様を信じる人を起こし、教会に加えられていくことを表していました。それと同時に、悪魔も毒麦の種をまいています。毒麦は、イエス様を信じようとしない者たちでした。しかしその毒麦も、やがては刈り取られてしまいます。抜き取らないでそのままにしておきなさいということでした。
 今日は、毒麦のたとえとその解き明かしにはさまれた、3つ目と4つ目のたとえ話になります。
 これは神の国がどうなっていくのか。具体的には、イエス様の弟子たちの働き、またそこから生まれた教会、私たちの歩みがどうなっていくのかを教えています。「からし種とパン種」に共通していることは、どちらも最初は小さいことです。

■からし種のたとえ話

31イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、32どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」

 小さいからし種が畑にまかれ生長して大きな木になると、「空の鳥が来て、その枝に巣を作るほど」になります。そのように神の国もなるというのです。
 ここで言われているからしの木は今もこの地方にあるもので、1年で3メートルほどになり、茎が人の腕のように太く、秋になると鳥が種を食べにやってくる植物です。この種は100粒で1グラムの小さいものです。その種をすりつぶしてからしを作ります。
 このたとえ話と似た話が旧約聖書の預言書の中にあります。

エゼキエル書17:22−23「22神である主はこう仰せられる。「わたしは、高い杉のこずえを取り、そのうちから、柔らかい若枝の先を摘み取り、わたしはみずからそれを、高くてりっぱな山に植える。23わたしがそれをイスラエルの高い山に植えると、それは枝を伸ばし、実を結び、みごとな杉の木となり、その下にはあらゆる種類の鳥が住みつき、その枝の陰に宿る。」

 若枝が挿し木されると枝が生長し大きくなり、その枝に翼のあるものすべてが来るようになるというのです。若枝は救い主を表しています。救い主の支配が全世界に広がるという預言です。
 今そのことが始まっていたのでした。そしてたとえを使って話しているこのことが聖書の預言の成就でした。

34イエスは、これらのことをみな、たとえで群衆に話され、たとえを使わずには何もお話しにならなかった。35それは、預言者を通して言われた事が成就するためであった。「わたしはたとえ話をもって口を開き、世の初めから隠されていることどもを物語ろう。」

 詩篇78篇からの引用です。

詩篇78:1−2「1私の民よ。私の教えを耳に入れ、私の口のことばに耳を傾けよ。2私は、口を開いて、たとえ話を語り、昔からのなぞを物語ろう。」

 神の国は小さな姿で始まるが、その行き着くところは枝をはる大木です。このように神様の支配が拡大していきます。空の鳥が来ることは、神様の主権が全世界に広がることを言っています。これらのことがイエス様の来られたことで始まったのでした。

■パン種のたとえ話

33イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」

 パン種とはイースト菌のことです。パン種は、ほかのものに及ぼす影響力が大きいということで使われています。パン種は、わずかなものをもって全体をふくらます力があります。神の国が持っている性質を表します。神の国にはいのちがひそんでおり、その力が内側に変化を与え、外側をふくらませていくのです。
 「三サトンの粉」とは39リットルの粉です。たいへんな量です。家庭ではこんなに焼くことはないでしょう。ある人の計算では、これは150人分のパンであるというのです。人に分け与えなければ、なくならない量です。
 粉がおいしいパンになるということは、そこに神様の支配が及んで祝福されていくことを示しています。また、たくさんできたパンを分け与えていくように、神様のすばらしさを人々に伝えていきます。このように神の国が広がっていくのです。

■神の国の広がり

 神の国とは、神が支配される国、永遠の天の御国です。それが地上に現れたものが教会です。教会は、イエス様の十字架の死を土台として始まりました。十字架を前にして弟子たちは逃げ出し、その後も恐れ、震えていました。しかし彼らは、イエス様の死を復活を目の当たりにして変えられました。そして、わずかに残った11人の使徒たちを中心に始まったのがキリスト教会でした。
 イエス様は、そのように始まった教会に、迫害の手が伸びることを知っておられました。教会は、どのような迫害、反対があろうとも、からし種のように小さくても、そこにはいのちがあるので大きな木になり、そこに鳥が宿るように多くの人が教会に来て、神の国の一員になってゆくのです。そして、パン種が粉をふくらますように、教会は成長していくのです。
 確かに、教会は広がっていきました。最初、ペテロの説教によりエルサレム教会ができました。そして、ユダヤ、サマリヤ、アジア、ギリシヤ、ローマ、そして全世界に広がっていったのでした。
 どこの教会も小さな教会から始まりました。そのような教会が今もなお、新しく建てられ、広がり続けているのです。
 からし種1粒が大きな木になるように、そしてパン種のように、私たちの教会も祝福してくださっています。それが神様の約束です。
 教会がただ大きく広がるだけではなく、パンがパン種によっておいしくされていくように、教会の内側も整えられ、成長していくことも約束してくださっています。私たちの神様への思いが祝福され、心から神様を礼拝し、賛美し、うるわしい交わりができる楽しい教会に変えられていくのです。
 教会のことだけではありません。一人一人に神様が与えてくださった信仰も神の国の始まりでした。私たちに与えられた信仰は、最初は小さくて、手のひらに乗せて吹けば飛ぶようなものです。しかし神様を礼拝し、神様に従っていく時に、だんだんと成長していくのです。大きな祝福の人生へと変えられていくのです。
 最初はみな小さくて必ず成長していくのです。それが神様の約束です。最後に聖書の約束のことばを読みます。

ローマ人への手紙8:37−39「37しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。38私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、39高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

ヨハネの手紙第1、5:4−5「4なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。5世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」

 ローマ人への手紙を書いたパウロも、ヨハネの手紙を書いたヨハネも、「私たち」「神によって生まれた者」は「すべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者」となる、「世に勝つ」と書きました。この約束があることを知って、私たちは希望をもって進みたいと思います。
 小さなからし種、パン種が成長し、大きくふくらんでいくことを信じて私たちはこれからも進みたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年6月19日