ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2011年7月31日
2011年7月31日 主日礼拝説教
「わたしだ。恐れることはない」(マタイの福音書14章22節〜33節)
イエス様は、ガリラヤの国主ヘロデの追っ手を逃れて湖の向こう岸へ渡られました。そこで5つのパンと2匹の魚を分けて配った時に、男の人5千人が満腹するほど食べることができた奇蹟を見ました。それが終わってすぐのことです。
22それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。23群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
イエス様のこの奇蹟を見た群集は、イエス様こそ、自分たちの国をローマから救い出してくれるお方だと期待したのでした。
騒ぎが大きくなりました。そのような中、弟子たちもその混乱に巻き込まれそうになったのか、あるいは人々を解散させることができなくなったのでしょう。イエス様が弟子たちを「強いて舟に乗り込ませた」のでした。
そのあとイエス様は群集と別れ、ひとり静かに祈るために山へ退かれました。イエス様は、いつものように父なる神様との祈りの交わりに入られました。一方舟に乗せられた弟子たちです。
24しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
ガリラヤ湖は、夕方になると陸地と湖との気温の変化によって、よく突風が起こりました。湖にこぎ出した弟子たちもその「向かい風」につかまってしまいました。弟子たちがどんなにこいでも前に進めません。それが夕方から「夜中の三時ごろ」になってしまいました。
弟子たちはこのような経験を前にしていました。ガダラ人の地に行こうとしていた時、やはりガリラヤ湖で嵐にあいました。その時は、イエス様は寝ておられました。
マタイの福音書8:23−24「23イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。24すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。」
しかし、今度はもっと長く嵐に翻弄されたのであり、しかもイエス様がいらっしゃらなかったのです。彼らはひたすらオールをこぎながら、イエス様に助けを求めていたでしょう。
これはイエス様のご計画、目的がありました。どんな中でもイエス様がいてくださり、助けてくださることを弟子たちに学ばせるためでした。
25すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
イエス様は山をおり、嵐の中を水の上を歩いて、助けを必要としている弟子たちのところに来られました。
26弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
しかし弟子たちはイエス様のお姿を見て、そんなことがあるはずがないと思って、「幽霊だ」と言ってしまいました。水の上を歩かれて悩む弟子たちのところに来てくださったイエス様でした。弟子たちはイエス様がいてくださるからもう安心、向こう岸につけると信じることができませんでした。そればかりか、幽霊だと思い、おびえてしまったのす。
27しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
イエス様は、「このわたしが、この嵐の中、大波の中、あなたと共にいるのだよ」と声をかけてくださいました。
イエス様は水の上を歩いて来てくださるお方です。イエス様は、どんな時にも、あらゆる方法を通して私たちに近づいてくださいます。
28すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
ペテロは、イエス様に「お命じになってください」と言いました。「イエス様、あなたが命じたとおりに私も歩きたいのです」と言ったのです。これはペテロの信仰の表明でした。ペテロは、嵐の中でイエス様を見た時すぐに、みもとに歩いて行くという行動に移りました。
29イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
イエス様は、ペテロの飛んでもない要求に非難されません。「来なさい」と招かれました。イエス様の答えは「さあ、やってごらん」でした。
30ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」と言った。
歩き始め、イエス様だけを見ていた時は大丈夫でした。でもペテロは周囲を見て、荒れ狂う波を見て恐ろしくなりました。恐ろしいと思ったとたん、足下の水が割れて、おぼれそうになりました。
ペテロは漁師です。生まれた時からガリラヤ湖の水で育ってきました。ペテロは泳げなかったわけではないと思います。ペテロは、神様がいなければ、自分では何もできないことを知らされたのでした。
神様が命じられたこと、みこころと思って始めたことも、自信を失うことがあるでしょう。その時私たちは「イエス様、助けてください」と呼びかけることができるのです。今までもそうでした。これからの私たちの人生に何度もそのような時があることでしょう。
31そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」32そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
ペテロは、イエス様が命じれば水の上を歩くことができるという信仰を持っていたし、それを実際に体験しました。しかし嵐を見ると怖い、沈むかもしれないと思う、人間だれもが持っている恐怖心をペテロは持っていました。またこれからもそれを持ち続けて歩んでいくのです。
イエス様はそれもご存じで、「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか」とやさしくおっしゃってくださいました。ペテロは怖いと思い沈みそうになった時、イエス様が助けてくださいました。
詩篇94:18−19「18もしも私が、「私の足はよろけています」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。19私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。」
イエス様とペテロの二人が舟に乗り込むと、嵐がやみました。
33そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です」と言った。34彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着いた。
舟は静かになった湖をそのまま進んでいきました。
「ゲネサレの地」についたイエス様たちのところに、イエス様を求める人たちがたくさん集まってきました。ある者は、イエス様なら治していただけるという信仰をもって病人を連れて来ていました。イエス様はそれらの人々の信仰を受け入れ、みないやされたのでした。
イエス様の名声はますます高まっていきました。その後イエス様は、ご自分がユダヤの指導者から苦しみを受け、死ぬことを語り始めます。それは人々の罪の身代わりの十字架の死とよみがえることを語るようになります。また弟子となった者はそのためにいのちを失うこともあると教え始めるのです。
イエス様がそのためにガリラヤからエルサレムに向かって行くと、イエス様のまわりに集まっていた多くの人たちは、しだいにイエス様のもとから離れていきました。
私たちは嵐の中を進むような生活をしています。試練が襲ってきた時、イエス様がおられないと感じる時、イエス様は私たちに近づいてくださいます。「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と声をかけてくださいます。そのようにイエス様は私たちを助けてくださるのです。
また、イエス様がいてくださることがわかっても、私たちが持っている恐れのゆえに、歩き始めても沈みそうになることもあるかもしれません。その時も、イエス様は手をとって引き上げてくださるのです。
私たちは礼拝で主にお会いすることができます。毎週、「わたしだ。恐れることはない」という御声を聞き、「確かにあなたは神の子です」とイエス様を発見できる礼拝を守っていきたいと思います。
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