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2011年8月14日 主日礼拝説教
「あなたの願いどおりになるように」(マタイの福音書15章21節〜28節)
先週は、エルサレムからパリサイ人、律法学者がイエス様のもとに来て、長老たちの言い伝えを守ること、また、そこに教えられていたきよめの問題、具体的には食事の前に手をどうしてイエス様の弟子たちは洗わないかを尋ねたのでした。そこからイエス様は、長老たちの言い伝えより聖書が教えていることが大切なのであり、また手を洗わないと汚れるという問題も、外から内に入る食べ物が人を汚すのではなく、心から出てくるものが人を汚すことを話されました。
そのようなやりとりを通して、同じ聖書から来ていることでも、イエス様の教えとユダヤの教えとは相いれないものであることがますます明らかになってきたのでした。
これまでのイエス様の活動は、ガリラヤ地方が主でした。ここから17章21節までイエス様は、しばらくガリラヤを離れて、北の異邦人の住む地に向かいました。
21それから、イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方に立ちのかれた。
イエス様がやってきたツロと、その北にあるシドンは、地中海沿岸にあったフェニキヤ人の町でした。ソロモン王の時代、神殿を建設する時、ツロの王からレバノン杉を手に入れたとあります。また、預言者エリヤの時代、イスラエル王アハブの后であったイゼベルは、この地方出身でした。イゼベルの持ち込んだ偶像礼拝が大きな問題を引き起こしたのでした。
そのような異邦人の地に行かれたイエス様のところに、汚れた霊につかれ、病んでいた娘を持つ女の人がやって来ました。
22すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」
どんな病もすぐにいやしてくださるお方がこの地にいらっしゃったことを聞きつけ、女の人がすぐにイエス様を尋ねて来ました。イエス様の名前は、ここ遠く離れた地にも伝わっていました。
子どもの病は重く、「ひどく悪霊に取りつかれていた」のでした。母親がやってきて、イエス様に助けを求めました。マルコの福音書を見ると、女の人はイエス様の足元にひれ伏し、イエス様に願い続けました。
マルコの福音書7:25−26「25汚れた霊につかれた小さい娘のいる女が、イエスのことを聞きつけてすぐにやって来て、その足もとにひれ伏した。26この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生まれであった。そして、自分の娘から悪霊を追い出してくださるようにイエスに願い続けた。」
ところがイエス様は、この女の願いに反して一言もお答えになりませんでした。
23しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです」と言ってイエスに願った。
今まで、イエス様のところに来た異邦人もいましたが、その信仰を聞き、病をいやされました。その異邦人たちと比べて、この女に対しては実に冷たい態度です。それは、今までの異邦人はユダヤの地に住んでいた異邦人でした。彼らはユダヤの地で、ダビデの子とはどういう意味なのかわかっている人たちでした。ところがこの地に住んでいたカナンの女は、はたしてそのような知識をもって「主よ。ダビデの子よ」と叫び声をあげているのかわかりませんでした。
イエス様は、この女の人に信仰を引き出し、救い主について信仰が違っていたら正し、そのうえでこの女の娘をいやそうとされたのでした。
イエス様の沈黙に対して、弟子たちも「あの女を帰してやってください」、女の願いを聞いて、女を早く去らせたらどうかとイエス様に言いました。イエス様が弟子たちに答えられました。
24しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」と言われた。
イエス様の福音は、まずユダヤ人に与えられるものでした。イエス様も弟子たちに、今は異邦人への宣教を禁止していました。
マタイの福音書10:5−6「5イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。6イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。」
十字架と復活のあと、弟子たちに「あらゆる国の人たちに」福音を宣べ伝えるように命令されたのでした。
ここまで言われ、何もしてくれないイエス様に対して、女はさらに強い願いをこめてイエス様の前にひれ伏しました。
25しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください」と言った。26すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われた。
「子どもたち」はユダヤ人で、「小犬」はユダヤ人以外の異邦人のことです。パンはイエス様が与える祝福や恵みを象徴しています。ユダヤでは、律法を守らない、不道徳な生活をしている異邦人をさげすんで、犬と呼んでいました。これは全く女の人の願いを取り上げないかのように聞こえる答えでした。
イエス様がこう言ったのは、この女の人になおも信じて求め続ける信仰を告白させるためでした。
「小犬」と呼ばれた女の人はどうしたでしょう。犬ではなく、小犬と呼ばれたイエス様の温かさ、やさしさを感じたのでしょう、
27しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」
女の人は、「主よ。そのとおりです」。「自分はそういう者です」とイエス様のことばをそのまま受け入れました。私は、あなたの恵みを当然のようにして受ける資格があるとは思っておりません。あなたが私を顧みなければならない理由などありません、と。
でもイエス様、子どもが食卓について食事をします。子どもが食べながらパンくずをこぼすこともあるでしょう。もし食卓の下に小犬がいれば、それを喜んで食べるでしょう。イエス様、私はそのパンくずでよいのです。あなたがユダヤ人にまず十分な恵みを与えるために来られたことはわかりました。ただ、その恵みのあまり物でよい。それが落ちて来たら、掃いて捨てるだけの「くず」をいただきます。
私はそのあまりものでいいのです。それで娘はいやされます。私はそれを喜んでいただきます、と。
28そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。
主イエス様は、母親がただイエス様の恵みだけに望みをかけていたことばを聞きました。イエス様はこのことばをお聞きになりたかったのでした。
イエス様は、「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように」とおっしゃってくださいました。イエス様はそこに行きもせず、娘を連れて来なさいとも言わず、ただ約束のおことばを下さいました。女の人は約束のことばを信じて家に帰りました。はたして、イエス様の言われたとおり、「彼女の娘はその時から直った」のでした。女の人は、ひたすらへりくだり、イエス様のみことばと、イエス様が下さる恵みを信じました。
この「カナン人の女」は、救いを求めて、恵みを求めてイエス様のところに来たのでした。それに対して、イエス様は恵みを注いでくださいました。それがイエス様のみこころでした。そうイエス様がなさりたかったのでした。
そのあふれ出た恵みを私たちも受けることができるのです。私たちは、そのようにイエス様に近づき、イエス様に信仰を告白して歩みたいと思います。また私たちは、そのような恵みをイエス様からいただき、今教会で礼拝と信仰を守り、喜んで生きている者たちです。
ローマ人への手紙5:2「またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。」
イエス様は、私たちを救うために十字架にかかってくださいました。「小犬」と呼ばれるような私たち一人ひとりのためにも、その命をささげてくださいました。
イエス様の恵みは私たちの上にあふれています。そのあふれ出た恵みを私たちは受けることができるのです。どんなに救いから遠いように見えても、どんなに小さく、とるに足りないように思われても、私たちはこのように言うことができるのです。
「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」そのように求め続け、また与えられたことを感謝して歩んでいきたいと思います。
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