ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2011年8月21日
2011年8月21日 主日礼拝説教
「異邦人への祝福」(マタイの福音書15章29節〜39節)
イエス様の救いは、まず失われたイスラエルに伝えられました。次いでイエス様は、先週の箇所から、イスラエルを離れて北の異邦人の地、フェニキヤ人の町であるツロとシドンへ向かわれました。そこにカナンの女がイエス様のもとにやってきて、悪霊のつかれた幼い娘をいやしてくださいと頼みました。それに対してイエス様は、あえて冷たい態度をとり、この異邦人の女からすばらしい信仰を引き出したのでした。
女は、イエス様の恵みがあふれるばかり豊かであることを信じ、その恵みを、食卓から落ちるパンくずのようにいただければ娘はいやされることを信じました。イエス様はその願いのとおり、カナンの女の娘から悪霊を追い出し、いやされたのでした。
29それから、イエスはそこを去って、ガリラヤ湖の岸を行き、山に登って、そこにすわっておられた。30すると大ぜいの人の群れが、足のなえた者、手足の不自由な者、盲人、口のきけない者、そのほか多くの人をみもとに連れて来た。そして彼らをイエスの足もとに置いたので、イエスは彼らをいやされた。
イエス様が「ガリラヤ湖の岸」に行かれたという表現をみると、イエス様はガリラヤ湖の、いつもの場所に戻ったかのように見えますが、ここはガリラヤ湖の東側、異邦人が多く住んでいるデカポリス地方でした。
マルコの福音書では、こう書かれています。
マルコの福音書7:31−32「31それから、イエスはツロの地方を去り、シドンを通って、もう一度、デカポリス地方のあたりのガリラヤ湖に来られた。32人々は、耳が聞こえず、口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださるよう、願った。」
デカポリスの1つの町に、イエス様は1年ほど前にやってきたことがありました。
マタイの福音書8:28「それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。」
その時は、追い出された悪霊が豚の群れに入り、豚が湖へ駆け下り、おぼれ死ぬという出来事が起こりました。町の人々は恐ろしくなって、イエス様に、この地方から出て行くよう頼んだのでした。
今回は違っていました。ここ異邦人の地にイエス様が再びやってこられたことを聞きつけ、病人を連れた人たちがイエス様のもとにやってきました。しかもイエス様は山の上でした。そこに、なんとか家族、友人を助けたいという思いを持った人たちが、イエス様のもとに運び上げてきたのでした。
マタイの福音書9章に、4人の人に寝床ごと連れて来られた中風の人のことが出ていました。彼らはやってきましたが、大勢の人であふれ戸口から入ることができませんでした。それで彼らは屋根に登り、屋根をはがして寝床ごとイエス様のお話ししている前につり下ろしたのでした。その信仰をイエス様は見られて、この中風の人の罪を赦し、歩く力を与えられたのでした。
ここ異邦人が住む地にも、イエス様を求める人たちがイエス様を待っていました。イエス様は病をいやされました。そのみわざを見て、彼らは「イスラエルの神をあがめ」ました。デカポリス地方でギリシヤの神々のもとにいた人たちが、救い主がやってきたことを知り、まことの神様をあがめたのでした。
イエス様の働きは3日間続きました。イエス様の教え、救いのことばを初めて聞くという彼らの熱心さは、自分たちが空腹であることを忘れるほどでした。イエス様は、人々が空腹を覚えていることを心配して、そのことを弟子たちに話しました。
32イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。途中で動けなくなるといけないから。」33そこで弟子たちは言った。「このへんぴな所で、こんなに大ぜいの人に、十分食べさせるほどたくさんのパンが、どこから手に入るでしょう。」
弟子たちはイエス様のことばに困惑しました。「それはそうですが、私たちはどうすればいいのですか。」イエス様は弟子たちの答えを聞き、今あるパンの量を質問されました。
34すると、イエスは彼らに言われた。「どれぐらいパンがありますか。」彼らは言った。「七つです。それに、小さい魚が少しあります。」35すると、イエスは群衆に、地面にすわるように命じられた。
14章にあった5千人のパンの奇蹟の時は、青草のはえていた季節でしたので、人々は草の上に座りました。ここでは地面の上に座りました。イエス様はパンを取って感謝をささげ、裂いて弟子たちに与えられました。5千人のパンの奇蹟と同じです。弟子がイエス様から与えられたパンを裂き、それを人々に配ったのでした。すると弟子たちの手の中に、配ってもなくならないパンがありました。人々はみな満腹するまで食べることができました。
あまりのパン切れが集められました。7つのかごにいっぱいになりました。
弟子たちは、イエス様が5千人のパンの奇蹟を行ったことを見たのに、なぜ今回はこのような反応を示したのでしょうか。弟子たちは、イエス様に言われて、「イエス様、あなたが、前と同じように奇蹟を行って、人々を満腹させてださい」と言ってもよかったのです。しかも弟子たちは、3日間もイエス様についてきていた群衆に、おなかがすいているから食べ物を用意しなくてはという気持ちが起きていないように見えます。
5千人のパンの奇蹟の時は1日目の夕方に行われました。弟子たちのほうから、イエス様に「解散させてどこかで食物を買ってくるように言ってください」と願ったのでした。今回は何も言わない弟子たちに、イエス様のほうから言い出されたのでした。
それは、弟子たちの持っていたユダヤ人と異邦人に対する感情の違いでした。当時の神様とは自分の国、自分の民族を助ける自分たちだけの神様でした。そのような神様が、異邦人にまで恵みをそそいでおられるとは考えられなかったのでした。
イエス様は弟子たちに、失われたイスラエルの家、ユダヤ人に対して救い主が来たことを示しながら、少しずつ神様のみこころは異邦人、全世界に向けられていることを教えようとされたのでした。それが今回の異邦人の地への旅の目的の一つでした。
しかし、イエス様が十字架にかかられ復活されてからも、彼らの自国民意識、ユダヤ選民意識はなかなか変わることがありませんでした。イエス様が天の上られる前、エルサレムで弟子たちがこう尋ねました。
使徒の働き1:6「そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」」。
それに対してイエス様は、そのようなことは神様が決めることであって、あなたがたは知らなくてもいいのです。それよりも異邦人、全世界にイエス様の教えを伝えなさいとお話しなさいました。
使徒の働き1:8「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」」
そう言われて、イエス様は天に上っていかれたのでした。残されたペテロ、ヨハネなど使徒たちの働きと、異邦人への使徒としてパウロが召し出されたことによって、イエス様のみこころが全世界に伝わっていったのでした。
この世界に、地域の神様ではない。どこの国の人も等しく救いを受けられる世界大の宗教が始まったのでした。
ガラテヤ人への手紙3:26−28「26あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。27バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。28ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」
異邦人に福音が伝えられることはイエス様のみこころでした。そのみこころが2千年を過ぎ、日本の八千代に住む私たちにまで向けられていました。そのことを覚える時に、大きな感動と、感謝な思いにあふれます。主の恵みとみこころは全世界に向けられていることを私たちが知って、またその恵みを人々に伝える者として歩みたいと思います。
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