ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年9月4日


2011年9月4日 主日礼拝説教
「生ける神の子キリストです」(マタイの福音書16章13節〜19節)

■はじめに

 イエス様は、ユダヤ教の指導者であるパリサイ人とサドカイ人たちからの「天からのしるしを見せてください」という願いを退け、ガリラヤ湖を渡る舟でベツサイダに向かわれました。その時弟子たちには、イエス様からパリサイ人とサドカイ人のパン種に気をつけるように諭されました。それは彼らの生き方、信仰の持ち方について言われたのでした。形式的・律法主義的、また物質的な、この世に流されてしまう生き方でなく、神様を信じ、神様の国を待ち望む生活をするように教えられたのでした。
 弟子たちは、イエス様の教えと今までのユダヤ教の教えとが全く違う新しい教えであり、その教えに基づく集まりが作られつつあることがわかってきました。その集まりは教会となっていくのですが、それがどのようなものか、何を信じるのか、弟子たちはどう生きて、どのような迫害にあうのかがしだいに明らかになっていきます。
 さて今日の出来事で、イエス様と弟子たちは大きな転換点を迎えます。これ以後、イエス様は迫り来る十字架を前にして、エルサレムへの道を進んで行かれることになります。

■人々はだれだと言っていますか

13さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」

 イエス様たちはベツサイダから北に向かい、ガリラヤの北東にあるピリポ・カイザリヤに着きました。カイザリヤという町はいくつかあるので、そこは、その地方を治めていたピリポの名をつけて呼ばれていました。
 イエス様は弟子たちに尋ねられました。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」

14彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」

 まず挙げられた「バプテスマのヨハネ」は、すでにガリラヤの国主ヘロデに首を切られていましたが、そのヨハネが生き返って、あのような力を発揮しているとうわさされていました。
 また、旧約聖書に出てくる預言者エリヤがやってきたと言う人たちもいました。メシヤが現れる前に、エリヤが現れると預言されていたからでした。そのほか「エレミヤだとか、また預言者のひとり」だと言う人もありました。エレミヤは、ユダヤが危機に瀕した時に助けてくれる預言者とされていました。

■あなたがたはだれだと言いますか

15イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」16シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

 イエス様が知りたかったのは弟子たちの答えでした。弟子たちを代表してペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです。」「あなたは、ユダヤ人が長い間待ち望んでいたキリスト、救い主です」と答えました。
 キリストはギリシヤ語であり、ヘブル語でメシヤ、日本語では「油そそがれた者」です。「メシヤ」ということばは、旧約聖書で20回以上出てきますが、「油そそがれた者」と訳され、王、祭司、預言者のことでした。
 700年以上前にユダヤの国が滅ぼされ、その後再建されても、昔のような栄光を取り戻すことができず外国の支配下に置かれ、今はローマの支配を受けています。そのような状況のなか、王、祭司、預言者の3つの役割を果たす「油そそがれた者」メシヤ、ギリシヤ語で言うキリストを待望するようになったのでした。
 確かにイエス様は、神様の支配をこの世に実現させ、教会を守り、サタンを滅ぼすまことの王でした。またご自身をいけにえとして十字架にささげてくださったまことの祭司でした。また、イエス様は神様のみこころを私たちに教え、示してくださるまことの預言者でした。
 ペテロは、このようなお方であるということを「あなたはメシヤです」「あなたはキリストです」と告白できたのでした。今までもイエス様と共に歩み、その人格に触れ、教えや働き、奇蹟を間近に見て、このお方がキリストではないかと思っていましたが、この時ペテロは、イエス様がその告白を認め、おほめになったように、初めて確信をもって告白できたのでした。イエス様はこう言われました。

17するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。

 ペテロが告白できたのはペテロの考えではなく、そこに神様が働いてくださり、そのように導いてくださったとイエス様は言われました。その告白の時、ペテロの知識はまだ不十分でした。ペテロはイエス様の十字架も復活も見ていませんでした。しかし、これは父なる神様に導かれた告白であり、この時ペテロの信仰は確かに据えられたのでした。
 信仰は何も全部わからなくてもいい。知識が信仰を生み出すのではないからです。信仰とは、イエス様を前にして、「イエス様が私の救い主です、イエス様についていきます」と言い表すことです。そのように神様が導いてくださるのです。

■教会を建てる

 ペテロの告白を聞いて、イエス様は言われました。

18ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。19わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」

 イエス様は、この時初めて「教会」ということばを使いました。イエス様は、そのような集まりができ、その教会にペテロのように告白できた人たちが加えられ、その者たちによって教会が作られていくことを語られました。
 救われた者たちの集まりである教会に、天国のかぎが授けられ、人々をつないだり解いたりするような組織となり、教会で天国を垣間見ることができる生活を送ることができるようになる。すべてのクリスチャンが、教会でそのような信仰生活を送ることができるようになると約束し、示してくださったのでした。
 「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」カトリック教会は、「岩の上」を「ペテロ個人の上」として、ペテロにかぎが渡され、ペテロが土台となって教会がしっかりと建てられると理解しました。そこからペテロのかぎを受け継ぐ者として、ローマ教皇がペテロを初代として現在の265代目、ベネディクト16世まで続いています。
 私たちプロテスタント教会は、かぎはペテロ個人ではなく教会に与えられ、教会はイエス様を神の子キリストと告白する信仰の上に建てられると理解しています。それだけ、イエス様がどういうお方なのかを理解し、告白することが大切なのです。
 この教会はこのようになると約束されています。

エペソ人への手紙2:20−22「20あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。21この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、22このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」

 「使徒と預言者という土台」とは、聖書のことです。神様の導きをいただいて、「イエス様は神の子キリストです」と告白できた人たちの教会は、聖書の教えによって建て上げられ、「御霊によって神の御住まい」となるのです。
 私たちの教会がこのように導かれていることは幸いです。教会に集う人たちがこれからも導かれ、イエス様を「神の子キリストです」と告白できるように祈りたいと思います。そして私たちは、みことばによって成長し、神の国を目指して一歩一歩共に歩んでいきたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年9月4日