ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年9月18日


2011年9月18日 主日礼拝説教
「栄光のキリスト」(マタイの福音書17章1節〜13節)

■はじめに

 ピリポ・カイザリヤで、「あなたは、生ける神の御子キリストです」とペテロが信仰告白をしました。それをきっかけとしてイエス様は、イエス様がエルサレムで受難に会うことと、イエス様に従って行く者の心構えなどを語りました。それから6日目に起こった出来事がきょうの箇所で、山上の変貌(山の上でイエス様が栄光の姿に変わった)と言われています。

■神の御姿に変わる

1それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。2そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。

 イエス様は3人の弟子「ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネ」を連れて山に登られました。これは、ピリポ・カイザリヤの近くのヘルモン山であったと言われています。
 三人の弟子が見ている前で、突然イエス様のお姿が変わっていきました。「御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった」とあります。それは、イエス様が本来持っておられるお姿、神の御姿でした。

ピリピ人への手紙2:6−7「6キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、7ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。」

 またヨハネの黙示録には天国におられるイエス様の姿が描かれています。

ヨハネの黙示録1:14−16「14その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。15その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。16また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」

■モーセとエリヤ

 そのようなお姿に変えられたところに、神様は有名な二人をイエス様のもとに遣わされました。

3しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。

 モーセは、神様から十戒をはじめとする律法を与えられた人でした。一方のエリヤは、旧約聖書を代表する預言者でした。この時、旧約聖書の律法と預言者を代表する二人の人物がイエス様のもとに現れたのです。
 三人は何を話し合っていたことはルカの福音書に出ています。

ルカの福音書9:31「栄光のうちに現れて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。」

 それはイエス様の十字架についてでした。モーセが律法によって、またエリヤたち預言者が語り続けて来た救い主イエス様が「エルサレムで遂げようとしておられるご最期について」話していたのでした。
 栄光の姿、元の神の姿に戻られたイエス様が、この時、改めて十字架への道を選ばれたのでした。イエス様は十字架への道を歩みながらも、その神様のみこころを受け入れるかどうか、最後のゲツセマネの祈りまで、人間としてのイエス様は揺れていたのでした。モーセとエリヤに会ったこの時は、イエス様は神の御姿に戻って十字架の死を受け入れたのでした。

■ペテロの提案

 この時ペテロたち三人は、すばらしい世界にいるという現実に、ただ酔いしれてしまいました。それでペテロは言いました。

4すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」

 ペテロはモーセとエリヤを引きとめたいという思いから、ここに「三つの幕屋」を造りたいと提案しました。それは、このまま栄光の神の国が続いてほしい。神の国が実現してほしいという願いの表れでもありました。
 イエス様たちがエルサレムで十字架にかかられることを話し合っていたのに、ペテロは神の国が十字架なしに、ここに実現できると思ったのでした。しかし、とっさにしたペテロの思惑は見当はずれでした。話の途中で「光り輝く雲」によってさえぎられてしまったからでした。

5彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」という声がした。

 雲の中から声がありました。このことばは、イエス様がバプテスマのヨハネから洗礼を受けられた時に、天から神様が語られたことばと同じでした。

マタイの福音書3:17「また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」」

 イエス様の洗礼の時は、これから宣教に出ていく時に、イエス様のために語られたことばでした。今日の山上の変貌の時は3人の弟子たちに語られました。
 これは、イエス様が言われた「エルサレムで殺されます」ということばに困惑していたペテロたちに、神様が「わたしの愛する子である」イエス様に従いなさいと証言してくださったのでした。
 イエス様から「下がれ。サタン」と言われたペテロでした。今度も喜びのあまり、このまま神の国が実現してほしいと思ってしまったペテロでした。それに対して神様が、イエス様が行おうとしていることを受け入れなさいと諭してくださったのでした。

6弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。

 神様の御声を聞いて、ペテロはさばきが下るのではないかと恐れました。それに対して、ペテロの失敗をイエス様は手を置いて、やさしく赦してくださいました。

7すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない」と言われた。8それで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。

■山から降りる

 イエス様たちは山から降りてきました。

9彼らが山を降りるとき、イエスは彼らに、「人の子が死人の中からよみがえるときまでは、いま見た幻をだれにも話してはならない」と命じられた。

 彼らはイエス様の言われたとおり、ほかの9人の弟子たちにも沈黙を守り通しました。しかし彼らは、エリヤを見たあとだったのでイエス様に尋ねました。

10そこで、弟子たちは、イエスに尋ねて言った。「すると、律法学者たちが、まずエリヤが来るはずだと言っているのは、どうしてでしょうか。」

 私たち今、この山でエリヤに会いました。それは、律法学者たちの言っていることが実現したのでしょうか。
 それに対してイエス様は、エリヤはもうやってきたのであり、そのエリヤはバプテスマのヨハネであったことを話されました。しかし律法学者たちは、バプテスマのヨハネをエリヤとは認めなかったし、ヨハネが指し示したイエス様も救い主とは認めないので、ご自分は律法学者たちに殺されていくことを語られました。
 以前にもそのことを言われていました。

マタイの福音書10:14「あなたがたが進んで受け入れるなら、実はこの人(バプテスマのヨハネ)こそ、きたるべきエリヤなのです。」

 この時になって、ようやくペテロたちは、バプテスマのヨハネがエリヤであったことを悟ったのでした。

■ペテロの手紙

 山上の変貌の時のことをだれにも言わなかったペテロは、後に彼の手紙の中で、この時の様子をこう書きました。

ペテロの手紙第2、1:17−18「17キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」18私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。」

 ペテロは、その祝福に支えられて生涯を主とともに歩み通すことができました。
 イエス様は、私たちの罪を赦し、私たちに永遠のいのちを与えてくださるために、「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました」(ピリピ2:8)。イエス様は、その十字架の死を栄光のお姿、神の子のお姿に変えられた中で受け入れてくださいました。そのことに感謝して、またイエス様とともに歩む喜びにあふれて、今週も歩み出したいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年9月18日