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2011年9月25日 主日礼拝説教
「からし種ほどの信仰」(マタイの福音書17章14節〜21節)
イエス様はペテロ、ヤコブ、ヨハネをつれて高い山に登られました。そこで弟子たちは、イエス様の変貌と言われる出来事を目撃しました。イエス様が栄光の御姿に変わり、そこへモーセとエリヤが現れ、エルサレムで遂げようとしているご最期について語り合ったのでした。それは、ペテロが思わず「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります」と声をあげたほどすばらしい神の国がそこに実現したのでした。しかしイエス様はそこにとどまることなく、再び人間の姿に戻り、神様のみこころのまま十字架への道を歩み始めたのでした。
そこから山を下り、待っていた弟子たちのところに帰った時に起こった出来事が今日の個所です。
14彼らが群衆のところに来たとき、ひとりの人がイエスのそば近くに来て、御前にひざまずいて言った。
イエス様たちが戻ってくると、弟子たちが大勢の群衆に囲まれ、律法学者たちに議論をしむけられているところでした。そのことはマルコの福音書にあります。
マルコの福音書9:14「さて、彼らが、弟子たちのところに帰って来て、見ると、その回りに大ぜいの人の群れがおり、また、律法学者たちが弟子たちと論じ合っていた。」
そこで、イエス様は群衆たちに、何が起こったのか質問されました。それに対して群衆の一人、息子を連れた父親が答えました。
マルコの福音書9:17「すると群衆のひとりが、イエスに答えて言った。「先生。口をきけなくする霊につかれた私の息子を、先生のところに連れて来ました。」
父親が言いました。
15「主よ。私の息子をあわれんでください。てんかんで、たいへん苦しんでおります。何度も何度も火の中に落ちたり、水の中に落ちたりいたします。16そこで、その子をお弟子たちのところに連れて来たのですが、直すことができませんでした。」
マタイの福音書が「てんかん」と表現した病は悪霊によるものでした。マルコの福音書では、父親がはっきりと「口をきけなくする霊につかれた」と言っています。口がきけなくなり、その原因となっている悪い霊によって、子どもが押し倒され、「何度も何度も火の中に落ちたり、水の中に落ちたり」するのです。悪霊が子どもを殺そうとしている、たいへん危険な状態でした。
父親はイエス様の評判を聞き、イエス様のもとに子どもをつれてきましたが、イエス様は山に登られていて、そこにはいませんでした。そこで父親は弟子たちに子どもを見せ、治してほしいと願いました。ところがどうしても弟子たちにはその子を直すことができません。その大騒ぎの中、イエス様が戻ってこられたのでした。
17イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な、曲がった今の世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」
イエス様は、この状況をごらんになって深く嘆かれました。この世の不信仰、群衆の不信仰、弟子たちの不信仰を嘆かれました。しかしイエス様は、その不信仰を嘆きながらも、あわれみをもって、ご自分のところに子どもを連れて来るようにおっしゃいました。
18そして、イエスがその子をおしかりになると、悪霊は彼から出て行き、その子はその時から直った。
イエス様は父親の信仰を引き出してくださいました。マルコの福音書にはこのようなやり取りが書かれています。子どもをイエス様の前に連れて来て、父親は言いました。
マルコの福音書9:22−24「22「もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」23するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」24するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」」
「信じます」と言ったものの、父親は自分を顧みると、不信仰でいっぱいな者であることがわかっていました。イエス様に自分のありのままの信仰を表明して、「こんな不信仰な私ですけど、助けてください」と願ったのでした。
イエス様は父親のことばを受け入れてくださいました。「できるものなら、と言うのか」というイエス様のおことばは、父親を信仰に招くことばでした。このように「不信仰な、曲がった今の世」でも、イエス様を信じる者が起こされていくのです。
さらにイエス様は、弟子たちの信仰をも回復させます。
19そのとき、弟子たちはそっとイエスのもとに来て、言った。「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか。」
弟子たちはすでに悪霊を追い出す力を与えられていました。
マタイの福音書10:1「イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためであった。」
なぜそれが今回できなかったのでしょうか。
20イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。
イエス様は、「あなたがたの信仰が薄いからです」と言われました。それが悪霊を追い出せなかった原因でした。イエス様は「からし種ほどの信仰があったら」とおっしゃいました。その信仰があったなら悪霊を追い出すことができたのでした。
21〔ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。〕」
彼らは以前、イエス様に命じられて町々をめぐった時、病人を前にして祈ったに違いありません。そのようにして人々をいやし、悪霊を追い出すことができたのでした。別の70人の弟子を送り出した時のことです。
ルカの福音書10:17「さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」」
ところが、この時弟子たちは、自分たちに与えられた力や権威はすでに自動的に与えられてものであり、当然の力と過信して神様の前に日々へりくだり、霊的に訓練されていくことをおろそかにしていたのでした。
そのような弟子たちの態度に、イエス様は「この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません」と言って、弟子たちを戒め、教えられたのでした。
私たちのことを考えてみましょう。イエス様は、私たちの罪の身代わりとなって十字架で死なれ、3日目に復活されました。私たちはそのことを信じています。またペテロが告白したように、「あなたは、生ける神の御子キリストです」と告白できた者です。
イエス様は弟子たちに、「もし、からし種ほどの信仰があったら、どんなことでも、あなたがたにできないことはありません」と言われました。私たちはだれでも「からし種ほどの信仰」を与えられています。小さいけれども種にはいのちがあり、生きているので、大きく成長していくのです。
マタイの福音書13:31−32「31天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、32どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」
私たちは、悪霊を追い出すような力は与えられていませんし、山を動かすほどの働きはできないかもしれません。イエス様が私たちに望んでおられるのは、生きた「からし種ほどの信仰」を保ち続けることです。私たちはイエス様の十字架による救いを信じる信仰と、いつも神様に助け求める祈りの生活を続けたいと思います。
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