ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2011年10月2日
2011年10月2日 主日礼拝説教
「愛によるささげ物」(マタイの福音書17章22節〜27節)
イエス様が異邦人の地への旅行、地中海沿岸のツロとシドン、ガリラヤ湖の向こう側のデカポリス地方、北に向かってピリポ・カイザリヤ、ヘルモン山と巡って、またガリラヤに帰ってこられてからのことです。
22彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは彼らに言われた。「人の子は、いまに人々の手に渡されます。23そして彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」すると、彼らは非常に悲しんだ。
イエス様はピリポ・カイザリヤで、ペテロの「あなたは、生ける神の御子キリストです」という信仰告白のあと、初めてご自身のこれからの歩みを弟子たちに明かされました。
マタイの福音書16:21「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。」
今回は2回目の受難の予告になります。イエス様は山上の変貌を経験され、山を下り、悪霊を追い出す力を弟子たちに示されました。そのような神の子であるにもかかわらず、ご自分は受難の道を歩んでいきますと語ったのでした。
ガリラヤのカペナウムで起こったことです。イエス様たちはカペナウムから、いよいよエルサレムに向けて最後の旅に立とうとしていました。その時、イエス様が宮の納入金を納めていないという問題が持ち上がりました。
24また、彼らがカペナウムに来たとき、宮の納入金を集める人たちが、ペテロのところに来て言った。「あなたがたの先生は、宮の納入金を納めないのですか。」
この箇所の直訳は、新改訳聖書の欄外の注に出ているように、「2ドラクマを集める人たちがやってきた」、「あなたがたの先生は、2ドラクマを納めないのですか」です。「2ドラクマ」、宮の納入金については旧約聖書に教えがあります。
出エジプト記30:12、14−15「12「あなたがイスラエル人の登録のため、人口調査をするとき、その登録にあたり、各人は自分自身の贖い金を主に納めなければならない。これは、彼らの登録によって、彼らにわざわいが起こらないためである。……14二十歳、またそれ以上の者で登録される者はみな、主にこの奉納物を納めなければならない。15あなたがた自身を贖うために、主に奉納物を納めるとき、富んだ者も半シェケルより多く払ってはならず、貧しい者もそれより少なく払ってはならない。」
イスラエルの20歳以上の男子は、毎年、エルサレムに行って「奉納物」、宮への納入金を納めなければならなかったのでした。これは「贖い金」と呼ばれていました。自分の罪は赦されるために何かによって贖わなければならない。だれかによって、あるいは何らかの方法によって赦してもらわなけれなならない。それを、神殿へ納める「半シェケル」と、神殿でささげるいけにえによって覚えさせられていたのでした。
ユダヤの半シェケルは、ギリシヤでは2ドラクマ、ローマの2デナリに相当します。それで、宮への納入金のことを「2ドラクマ」と呼んでいたのでした。
宮への納入金は、エルサレム神殿に行けない人のために地方でも納めることができました。イエス様はしばらく旅行をしていたので、エルサレムに行けず納税が遅れていたのでしょう。イエス様は活動の拠点をカペナウムに置いていたので、カペナウムの集金人がやってきたのでした。
イエス様は、今までは毎年、自分が贖われなければならない罪人として、宮への「贖い金」を納めてこられました。ペテロは、今までイエス様が毎年、宮への納入金を納めていたことを知っていたので、当然のように「納めます」と答えました。
25彼は「納めます」と言って、家に入ると、先にイエスのほうからこう言い出された。「シモン。どう思いますか。世の王たちはだれから税や貢を取り立てますか。自分の子どもたちからですか、それともほかの人たちからですか。」
ペテロが家に帰って、イエス様にそのことを話そうとすると、先にイエス様のほうから納入金について話し始められました。それは、イエス様は弟子たちに、神殿のこと、贖い金のことを教えようとされたのでした。イエス様は、弟子たちの「あなたは、生ける神の御子キリストです」という告白を受けて、自ら贖いの小羊となってエルサレムで死のうとされていることを示し始めていたからでした。
イエス様は王が集める税についてたとえ話をなさいました。
26ペテロが「ほかの人たちからです」と言うと、イエスは言われた。「では、子どもたちにはその義務がないのです。
王はその子どもから税を取り立てることはしません。そうならば、神の国の王である神様に対して、神の御子であるイエス様はどうかと問われたのでした。イエス様は神の御子であられるので、むしろ受け取る側、感謝される側、礼拝されるべきお方でした。
イエス様は神の宮への税は支払う必要はなかったのですが、納税をやめて問題を起こそうとはなさらなかったのでした。
27しかし、彼らにつまずきを与えないために、湖に行って釣りをして、最初に釣れた魚を取りなさい。その口をあけるとスタテル一枚が見つかるから、それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい。」
「つまずきを与えないため」でした。税を徴収している役人が困らないように、またイエス様を取り巻いている群衆のことを考えて、今までと同じように、今回も納税をしようとしたのでした。
エルサレム神殿はまもなく必要ではなくなってしまいます。このあとイエス様は神殿に行かれた時、神殿が「強盗の巣」となっていると言って、そこで商売している人たちを追い出すのでした。
さらに毎年神殿に納める「贖い金」や、いけにえはいらなくなるのでした。イエス様ご自身が十字架にかかり、神殿を通してではなく、イエス様を通して、イエス様を信じることによって贖いが果たされ、完成するからでした。
そして、どこでも神様を礼拝できる時代になるのでした。
ヨハネの福音書4:21「イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。」
それでもイエス様は、「つまずきを与えないため」、他者のことを思って「納入金を納める」ことにしたのでした。
イエス様は、ペテロにガリラヤ湖に行って釣りをして、「最初に釣れた魚を取りなさい。その口をあけるとスタテル一枚が見つかるから、それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい」と言われました。
ガリラヤ湖に「ペテロの魚」と呼ばれている魚がいるそうです。口の中で稚魚を入れて育て、大きくなると口に石を入れて、その育った子どもの魚を吐き出す魚です。その魚を使って、イエス様は奇蹟を起こされました。
イエス様は、ご自分には納める義務のないことを、そして集金人につまずきを与えないために、魚さえも支配しておられる神であられることを弟子たちに教えるため、この奇蹟を行ったのでした。
「スタテル一枚」は4ドラクマで、2人分の税金でした。イエス様がペテロの分も代わりに支払ってくださいました。後に私たちの贖い金を、もっと尊いご自身の血をもってイエス様が支払ってくださることをも示していたのでした。
神様が「宮の納入金」を定めたのは、ひとりひとりに罪を覚えさせ、贖われなければならない者であることを覚えさせるためでした。そのために、いけにえが毎年、大祭司は全国民にために、また祭司によって個人個人の罪のために家畜がささげられたのでした。それは後に来る救い主による罪の贖いを示すものでした。
時が満ちて、イエス様が律法と預言を完成させるために、この世に生れてくださいました。
ヘブル人への手紙9:11−12「11しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物(神殿)とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋(人としてのイエス)を通り、12また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血(十字架の死)によって、ただ一度、まことの聖所(天)に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」
感謝いたします。今日も、イエス様が十字架で私たちの罪の代わりに自らいけにえとなって死んでくださり、「永遠の贖いを成し遂げられ」ことを覚えて、聖餐の式にあずかりたいと思います。
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