ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年11月27日


2011年11月27日 主日礼拝説教
「主イエス・キリストに従う」(マタイの福音書19章23節〜30節)

■はじめに

 先回は、富める青年がイエス様に、永遠のいのちについて尋ねた箇所を見ました。青年は、イエス様に言われた十戒、「殺してはならない。姦淫してはならない」などをみな守っていると答えました。するとイエス様は、青年にとって思いもかけないことば、「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい」とおっしゃいました。青年は、良い行いをし、律法を行うことによって永遠のいのちが得られると思っていました。イエス様は、その方法ではできないことを示すために、また良い行いによって神様が求める正しさに到達しようとするなら、「あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい」という、ここまでしなければならない究極の条件を出したのでした。
 私たちには律法を守る力はありませんが、イエス様は律法をすべて守り、行ってくださいました。永遠のいのちを得るためには、このイエス様を信じ、従っていけばよかったのでした。青年は、イエス様のお心を汲み取ることができませんでした。

■金持ちが天の御国に入る

 イエス様と富める青年のやり取りを聞き、青年が悲しそうに去って行ったのを見て、弟子たちは、自分たちのことを考え不安になりました。イエス様は弟子たちに語りました。

23それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。

 弟子たちは、これを聞いて驚きました。旧約聖書では、神様に祝福された人は、霊的な平安とともに、神様は豊かな富を与え、その人を祝福されると教えていました。「裕福な者」は、神様に祝福されているから裕福になったのです。弟子たちは、それが神の国に入る妨げになるとは考えてもいませんでした。
 弟子たちが見て理想的な青年であった者が、神の国に入れないで去って行きました。イエス様は、戸惑い顔の弟子たちに重ねて言いました。

24まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」

 らくだは、当時、イスラエルの地方にいた最大の動物でした。それが針の穴を通ることはできないように、それ以上に金持ちが神の国に入るのは難しいとイエス様はおっしゃいました。ここまで聞いて弟子たちは言いました。

■だれが救われるのか

25弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」

 弟子たちのことばはもっともでした。イエス様の、あまりに非現実的なことばに対して、弟子たちは、ため息ともあきらめともつかないことばを発しました。これではだれも救われない、だれも神の国に入れないと。
 自分の力ではだれも入れません。イエス様は、救いは人のわざではなく、神様のわざであることを弟子たちにわからせようとしたのでした。人がいくらじたばたしても、自分の力では救われません。神様の求めるところには到達できないのです。
 イエス様は弟子たちに、神様から祝福されていると思われていた裕福な者も、自分が正しいことを守り行っていると思っていた者も、それだけではだれも救われないことを教えられたのでした。
 イエス様のことばは、救われることは難しいどころか、不可能であることを弟子たちに思わせました。しかし、神様は不可能を可能にしてくださるお方でした。

26イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」

 イエス様は、救いの主導権は神様にあることを示されました。私たちがすることは、この神様を信頼し、より頼む、子どものようになることでした。何も持っていない、何かをすることができない者が救われるのです。
 神様が手を差し出さなければ、自分の力ではだれも神の国に入れないのです。まさに神様の恵み、神様の選びです。

■すべてを捨てて従ってきました

 そうであっても、ペテロは、イエス様のことばを理解していなかったようです。青年と同じ考え方から抜け出せなかったのです。

27そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」

 ペテロは、自分が捨てた網や舟を捨てた時のことを考えました。

マタイの福音書4:18−20「18イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。19イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」20彼らはすぐに網を捨てて従った。」

 ペテロは、すべてを捨ててイエス様に従ってきました。しかしそれは、イエス様の招きによって、イエス様に従うことができたのでした。
 そのほかイエス様の弟子となったヨハネも、マタイも、みなイエス様が選び呼んでくださったから立ち上がったのでした。あの金持ちの青年のように、捨てることに躊躇したかもしれませんが、神様が働いてくださり、すべてを捨てて従いたいという願いを起こさせてくださったからできたことだったのでした。
 ですからペテロは、何の心配もすることはありませんでした。「私たちは何がいただけるでしょうか」などと聞く必要はなかったのでした。イエス様は、その捨てたものを上回る祝福を約束してくださいました。

■弟子たちに与えられる祝福

28そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。

 これは、12人の使徒たちだけに与えられる特別な祝福でした。新しい神様の国、それは新しいイスラエルとも呼ばれますが、そこでイエス様とともに治めるというのです。またこれから先、使徒たちが書くことになる聖書によって、神様のみこころが明らかにされ、その聖書によって教会を治めるようになるのです。そのような特別な役割が与えられたのでした。
 さらに弟子たちすべてにも言われました。

29また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。

 イエス様は、「わたしの名のために」捨てたもの以上の祝福を与えると約束されました。私たちは、それを報酬ではなく恵みとして受けるのです。

30ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。

 これは、子どもたちの救いから始まり、ペテロが「だれが救われるか」と言ったことのまとめの句になっています。これは、次の20章のたとえ話に続いていきます。
 救われる順序は違っても、神様のための働きは違っても、ささげる物、捨てるものは違っても、神の国ではみな同じ、平等であると教えられたのでした。
 あの富める青年も、この時はイエス様にすぐに従うことができなかったけれども、後になってペテロたちと同じように、神様の国の祝福を受けたと想像できるのです。そうでなければ、単に去っていた青年のことがこれほどていねいに、またイエス様のやさしさと、青年の悲しい顔を印象的に書かなかったでしょう。青年は、あとの者となったのでした。

■十字架への道

 イエス様はエルサレムに向かっていきます。子どもたちのために、あの青年のために、ペテロたちのために、私たちのために。それは、自分の力では天の御国には入ることはできないが、「どんなことでも、神にはできる」ことを示すために、またご自身が選んだ者、神様に従う者に、豊かな祝福を与えるために十字架へと進んで行くのでした。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年11月27日