ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年1月8日


2012年1月8日 主日礼拝説教
「天からの権威」(マタイの福音書21章23節〜32節)

■はじめに

 21章1節で、イエス様はろばの子に乗ってエルサレム入城されました。それが日曜日でした。翌月曜日にも神殿に行き、両替人の台や鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、宮きよめをなさいました。
 火曜日に、エルサレムに行く途中、実がなっていなかったいちじくの木を枯らせるという奇蹟を行いました。この奇蹟の後でイエス様は、神殿でなさった宮きよめと合わせて、イスラエルの人たちの礼拝を正し、礼拝を新しくしようとしておられることをお話しなさいました。
 同じ火曜日です。イエス様はそのままエルサレム神殿に向かわれました。火曜日の出来事は25章46節まで続きます。この日一日、イエス様は朝から晩までと言っていいくらい、ユダヤ人指導者との多くの、そして最後の論争を続けられました。初めの論争は「権威について」です。

■何の権威によって

23それから、イエスが宮に入って、教えておられると、祭司長、民の長老たちが、みもとに来て言った。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにその権威を授けたのですか。」

 「祭司長、民の長老たち」がイエス様のところにやってきました。彼らはユダヤ社会の代表者たち、サンヘドリンというユダヤ議会を構成しているメンバーたちでした。
 「何の権威によって、これらのこと」というのは、直接的にはイエス様がなさった、神殿で商売人を追い出した行為でした。だれの許しを得て商売人を追い出したのか、というのです。そのほか、今までイエス様がしてきた安息日に対する違反、きよめに対する違反、取税人や異邦人と食事をしたことなど、「祭司長、長老たち」が問題にしたことはさまざまありました。
 すでに彼らの態度は決まっていました。マルコの福音書によれば、「祭司長、律法学者たちは、どのようにしてイエスを殺そうかと相談」していたのでした(マルコ11:18)。彼らは、そのきっかけを探っていたのでした。
 「祭司長、長老たち」の権威のよりどころは、彼らが守り、教えていた律法でした。律法は、モーセが神様から与えられ、千年以上にわたって律法学者たちが教え、解釈したものが受け継がれ、引用され、それを民衆に伝えていました。それが彼らの権威のよりどころになっていました。ところが、イエス様はだれからの教えを受けず、今までの解釈を踏襲せず、自分の名によって、それが神からのものであると教えていました。
 祭司長たちの質問に対して、イエス様の答えが神からと言えば、神の名を語る罪を犯したとして逮捕でき、人からと言えば、だれもイエス様に対して語ることを赦していないから、神殿を汚した罪で逮捕できたのでした。

■バプテスマのヨハネはどこから

24イエスは答えて、こう言われた。「わたしも一言あなたがたに尋ねましょう。もし、あなたがたが答えるなら、わたしも何の権威によって、これらのことをしているかを話しましょう。

 イエス様は、その質問に対して「神からです」と答えることができました。しかし、彼らは真理を求めているのではなかったことを見抜いて、イエス様は逆に質問なさいました。

25ヨハネのバプテスマは、どこから来たものですか。天からですか。それとも人からですか。」

 バプテスマのヨハネは、「洗礼運動」を始める前に、エルサレムに行って祭司から許可をもらったわけではありませんでした。彼は内から、神様の御霊に動かされて、「洗礼運動」を開始したのでした。ヨハネは、神様から直接預言者として召されたからでした。ヨハネは人々に罪の悔い改めを語り、悔い改めのしるしとして洗礼を受けるように勧めました。そして、彼の預言者としての最大の目的である、もうすぐ救い主がやって来ることを人々に告げたのでした。
 悔い改めと洗礼は、今までアブラハムの子孫であり、モーセの律法を遵守する者として安穏と過ごしてきたユダヤ人指導者にとって、衝撃的なメッセージでした。この緊急性のあるメッセージに民衆は打たれ、ヨハネが神様から遣わされた預言者であることを信じ、人々は「自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた」(マルコ1:5)のでした。

25……すると、彼らはこう言いながら、互いに論じ合った。「もし、天から、と言えば、それならなぜ、彼を信じなかったか、と言うだろう。26しかし、もし、人から、と言えば、群衆がこわい。彼らはみな、ヨハネを預言者と認めているのだから。」

 彼らはイエス様の質問に、天からとは言えませんでした。彼らはヨハネを預言者とは認めていなかったからでした。彼ら指導者は、自分たちも罪を指摘され、悔い改めるように言われたヨハネを無視し、憎みました。しかし民衆は「ヨハネを預言者と認め」、神様からの者と信じていました。
 一方「人から」と言えば、何をされるかわかりません。暴動が起きるかもしれないし、殺されるかもしれません。イエス様の質問は、どちらとも答えられない質問でした。

27そこで、彼らはイエスに答えて、「わかりません」と言った。イエスもまた彼らにこう言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。

 彼らは「わかりません」と答えました。バプテスマのヨハネについての質問にかかわりたくありませんでした。何が正しいかの判断をしないで、逃げてしまいました。
 彼らは、真実に目をあけるチャンスをイエス様から与えられました。彼らは、自分たちの罪を認め、イエス様が天からの者であることを告白する機会を逃してしまいました。そこに聖霊の働きがあるのに、彼らはそれを拒否したのでした。
 彼らは、自分たちが持っていた権威を失いたくありませんでした。また、今まで権威を持っていたプライドがありました。彼らは、真実は何か、真理とは何かを求めたのではなく、自分たちの安全を第一としたのでした。イエス様も彼らの質問、「何の権威によるか」に答えることを拒否されました。

■兄は行かなかった

 そこでイエス様は、「祭司長、長老たち」に一つのたとえ話をなさいました。

28ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『きょう、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。29兄は答えて『行きます。お父さん』と言ったが、行かなかった。30それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。31ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう。」彼らは言った。「あとの者です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国に入っているのです。

 父は神様、兄と弟はユダヤ人、ぶどう園は神の国を指していました。
 兄は、イエス様の前にいた「祭司長、長老たち」、ユダヤの指導者たちでした。兄は、最初は「行きます。お父さん」と答えながら、その実、神の国に行こうとしませんでした。神殿や、いけにえ、供え物、律法の守り方に関心が行ってしまい、イエス様がいらっしゃったのに、イエス様を通して神様を知り、神の国に入ることを拒否したのでした。
 一方弟とは、「取税人や遊女たち」でした。彼らもユダヤ人でしたが、取税人はユダヤを裏切りローマの税金を取り立てる仕事につき、遊女は姦淫の罪を犯し、人々を罪に陥れていました。しかし、彼らはバプテスマのヨハネの悔い改めの説教を聞き、悔い改め、救い主の到来が間近であることを信じました。彼らは、イエス様を救い主として信じ、後の者として、神の国に先に入ることができたのでした。

32というのは、あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、取税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、彼を信じなかったのです。

 弟が神の国に入ることができたのに、それを見ても、兄たちは心を変えることがありませんでした。

■新しくされた私たち

 私たちは、「祭司長、長老たち」のようでなく、真理に向き合い、新しく生まれることを求めるました。イエス様を神から遣わされた権威あるお方、神のひとり子であることを信じました。私たちは今、イエス様の十字架によって、罪が赦され、新しい生き方に方向転換され、今、喜びと感謝の生涯を送っています。

コリント人への手紙第2、5:17「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

 今日も、聖霊がひとりひとりに働いてくださり、そのように新しくされた者であることを感謝いたします。


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