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2012年1月29日 主日礼拝説教
「神のものは神に返しなさい」(マタイの福音書22章15節〜22節)
受難週の火曜日に起こった出来事を見ています。イエス様が神殿でお話しされている時に、ユダヤ教の指導者「祭司長、長老」たちがイエス様に質問しました。「あなたは何の権威によってこのようなことをしているのですか」と。それに答えるため、イエス様は3つのたとえ話をなさいました。「ふたりの兄弟のたとえ」「悪い農夫のたとえ」、そして先週見た「結婚披露宴のたとえ」でした。
「結婚披露宴のたとえ」では、宴会に招かれても来なかった人たちに代わって、大通りで出会った人たち「良い人でも、悪い人でも」、みな宴会に連れてこられました。それは、神の国が招かれていたユダヤ人から異邦人に開放されたことを告げていました。
それがすむと、また別の人たちがやってきて、イエス様に質問しました。
15そのころ、パリサイ人たちは出て来て、どのようにイエスをことばのわなにかけようかと相談した。16彼らはその弟子たちを、ヘロデ党の者たちといっしょにイエスのもとにやって、こう言わせた。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは、人の顔色を見られないからです。17それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか。」
税金を納めること自体は何も問題ではありませんが、問題は支配者が外国である場合、税を納めてもいいかどうかでした。これは、律法にはっきり書かれていなかったことなので、パリサイ人は、異邦人に税金を納めるのはふさわしくないと思っていました。彼らは、ローマに対して税金を納めたくなかった人たちでした。
一方の「ヘロデ党」とは、かつての栄光あるヘロデ王家を復興したいと考えていた人たちでした。彼らはローマに良く見られたいと思っていたので、税金を納めることに対しては賛成の立場をとっていました。
相対する者たちが手を組んで、イエス様のもとにやってきました。いまや双方にとって、イエス様は邪魔な存在となっていたのでした。
まず、イエス様に対して好意的な様子を示します。「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは、人の顔色を見られないからです」と言っておいて、核心をついた質問をしました。「ことばのわなにかけよう」としていたからでした。
しかもパリサイ人は、直接出るのではなく、教えを学んでいる最中の、おそらく若い「弟子たち」を送りました。
「カイザル」とはローマの皇帝のことで、当時はティベリウス(テベリオ)が皇帝でした。税は、全員にかけられていた人頭税でした。そのための人口調査が行われましたが、税をローマに払いたくないということで、反乱がたびたび起こっていました。
使徒の働き5:37「人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしました。」
ローマにとって危険思想である熱心党がその運動を指導していました。イエス様の弟子たちにガリラヤ出身者が多く、また12弟子のひとりシモンは、もと熱心党のメンバーでした。
イエス様の答えが、「税金は納めなくてよい」ということであれば、イエス様をローマへの反逆罪で訴えることができました。彼らは、それによってイエス様を捕らえ、ローマ総督につきだそうと考えていたのでした。
もし「ローマに納税するように」という答えであれば、イエス様への民衆の支持が一気に失われてしまうことになります。イエス様を逮捕しても、だれも反対しないし、イエス様を死刑にすることが可能になるのでした。
どう転んでも、イエス様を捕らえる口実を作ることができる質問でした。しかしイエス様は、彼らのたくらみを見抜かれました。
18イエスは彼らの悪意を知って言われた。「偽善者たち。なぜ、わたしをためすのか。19納め金にするお金をわたしに見せなさい。」そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。
「デナリ」とは1デナリ銀貨のことで、当時の1日分の労賃に相当しました。雇い人が日給を支払う時に、これ1枚を渡せばいいので、当時、最も流通していた銀貨であったと言われています。
20そこで彼らに言われた。「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」
そこには皇帝の横顔と、皇帝の名前が刻まれていました。
21彼らは、「カイザルのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」
イエス様は、税金は「返す」ものであると答えられました。この銀貨を使う者は、この銀貨を作った国の政治的支配下にあり、その支配の恩恵にあずかっています。国家の法律や貨幣制度によって、秩序や生活の快適さを得ているのなら、その国家から課せられた義務を返しなさい、というのです。ユダヤ指導者たちもローマの平和を受けていたのでした。
「カイザルのものはカイザルに返しなさい」は、国家の権威、治める者の権威を認めるものです。聖書はこう教えています。
ペテロの手紙第1、2:13−14「人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、また、悪を行う者を罰し、善を行う者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。」
人はだれでも、その時代に、その国に対して従う責任があります。しかし、それは政治的・経済的分野のみです。そのような国家も、神様の領域に及んだとしたら、神様に従うことを、ペテロははっきりと語りました。この時、ペテロたちは、福音を伝えることを禁じられました。
使徒の働き4:19「ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。」
もう一つの答えは、「神のものは神に返しなさい」でした。デナリ銀貨はカイザルの像が刻まれているのでカイザルに返します。神の像が刻まれている神のものとは何でしょうか。それは神様が造られた人間です。私たち人間は、神の形に造られました。
創世記1:26「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
私たち人間には、神様によって造られたとき、神のかたちが刻みつけられています。私たちは神様のものです。
神の像が刻まれた私たち自身を神様に返しなさい。神様に、私たちの生き方をゆだねなさい、と言っているのです。それは、造られた者が造ったお方への感謝の生き方です。
22彼らは、これを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。
彼らは、イエス様の答えに驚嘆したパリサイ人たちは、黙って引き下がってしまいました。
しかし結局は、3日後彼らは、「イエスは納税を禁じ、自分が王であると言っている」とローマ総督ピラトに訴えたのでした。
ルカの福音書23:2「この人はわが国民を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じ、自分は王キリストだと言っていることがわかりました。」
反逆罪しか、イエス様を死刑にする道がなかったからでした。確かに、イエス様は、自分が王であると言いましたが、それは、この世を治める王ではありませんでした。
イエス・キリストの十字架は、私たちの罪のためであり、そのことを信じる者に、永遠のいのちを与えてくださるためでした。そして今は、私たちはキリストを信じたことにより、キリストのものになったのです。
イエス様は言われました。「神のものは神に返しなさい」と。神様のものである私たちは、罪赦された喜びと、神様と共に歩む感謝の毎日を過ごすことによって「私たちを神様にお返しする」のです。
ローマ人への手紙12:1−2「1そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」
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