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2012年3月25日 主日礼拝説教
「キリストが大能と栄光を帯びて」(マタイの福音書24章15節〜31節)
弟子たちがエルサレム神殿のすばらしさに驚きの声をあげている時に、イエス様はどのような立派な建物も、やがて崩れ去る時が来ることを教えられました。そして、弟子たちからの「そのようなことはいつ起こるのですか」との問いに対して、イエス様は終わりの日の前兆について教えてくださいました。先回の箇所で6つの前兆をお話しなさいました。終わりの日の前兆が続きます。
15それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)16そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。
7つ目の前兆は、「『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つ」ことです。ダニエルは紀元前600年ごろの預言者でした。
ダニエル書9:27「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」
ダニエル書11:31「彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。」
ダニエルがこのように預言したことが、ダニエルの預言から300年ほど後に、シリヤのアンティオコス・エピファネス王がイスラエルを支配したことで実現しました。「荒らす忌むべき者」はアンティオコス・エピファネス王でした。彼はエルサレム神殿を汚し、ギリシヤの神をゼウス像を置き、拝むように強要し、祭壇に豚の肉をささげました。それに対して、イスラエルの反乱、独立戦争が起こり、多くの人が殺されました。
そのようなことが世の終わりにもう一度起こるとイエス様は言われたのです。ところがイエス様は、ここで世の終わりについて語りながら、やがてローマの軍がエルサレムに攻めてきて、その時に神殿の崩壊、エルサレムの滅亡があることも預言したのでした。ダニエルの預言は、すでに起こった1回だけでなく、2回目はローマによるエルサレムの滅亡、3回目は終わりの日に起こるとイエス様は語ったのでした。
そのとき、そうなったらひたすら「山へ逃げなさい」。エルサレムは城壁に囲まれ、絶対に安全だと思われていましたが、そのエルサレムに逃げ込まないで山へ逃げなさい、というのです。
17屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。18畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。
屋上にいる者、畑にいる者も、家に入って何かを持ち出そうとしないで、そのまま逃げなさい。後ろを振り向いてはいけない。ひたすら逃げなさい。
イエス様がお話しなさってから40年ほどたった紀元70年。ローマ軍によってエルサレムが攻められ、エルサレム神殿が破壊されてしまいました。しかしエルサレム教会の人たちは、イエス様の命令どおり、いちはやくそこから近くの山に逃れ、救われたと歴史書は記しています。
19だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。20ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。21そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。
それは、だれも耐え忍ぶことができないような厳しさです。
22もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。
しかし、そこにも神様の恵みが注がれます。神様が選ばれた者たちに神様の守りがあり、その患難の期間が短くされるのです。
ローマによってエルサレムが滅ぼされたように、終わりの日に「『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立つ」というようなことが、だれなのか、どこに立つのか、それはエルサレムなのか、別の場所か、あるいは象徴的な描写なのかはわかりませんが、それが終わりの日の前兆なのです。
23そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。24にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
8つ目の前兆です。救い主がすでにやってきたかと、「選民をも惑わされそうに」なります。多くの人がそのにせキリストを信じてしまいます。
第1の前兆では自称キリストが現れるということでしたが、ここでは、多くの人が本当に世の救い主が現れたかと思ってしまうのです。彼は、「大きなしるしや不思議なことをして見せます」。それを利用して、人々を惑わす者が現れ、実際に政治的、宗教的な権力を持ってしまいます。
このように世の終わりに、全世界を支配する者、神を否定し、世の救い主とあがめられる独裁者が現れるのです。
25さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。
このように、戦争、地震、ききん、迫害、偽キリストの出現などの前兆をくぐりながら、この世界も教会も終わりの時代を過ごし、イエス様の再臨を迎えます。
26だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。27人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。28死体のある所には、はげたかが集まります。29だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
イエス様の再臨の前に、今までにないほどの天変地異が起こります。
ヨハネの黙示録6:12−13「12私は見た。小羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。13そして天の星が地上に落ちた。」
そしてイエス様がやって来られます。
30そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。31人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
その日、人の子であるイエス様はこの地上に、御使いを送って神の民を四方から集められます。すでに死んでいる者、その時生きている者たちが主によって呼び集められます。
テサロニケ人への手紙第1、4:16−17「16主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、17次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
このようなことがいつか起こるのです。そのことについてペテロはこう書きました。
ペテロの手紙第2、3:3−9「3まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、4次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。……8しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。9主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」
私たちにとって、神様の御心に属する終わりの日とイエス・キリストの再臨の教えです。これは必ず起こることと聖書は語ります。
イエス様が2000年前に、この地上にお生まれなさり、私たちの罪を赦してくださるために私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかってくださいました。それは、神様の「時満ちて」と言われているとおり、神様によってすでに定まっていたことでしたが、人間にとっては突然のことのように見えました。聖書で預言されていたことでしたが、多くの人には見えなかったのでした。
そのイエス様が、もう一度いらっしゃって救いを完成してくださいます。神様の時が満ちるのです。その厳粛な聖書の約束を思って、私たちは日々の歩みを続けたいと思います。
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