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2012年6月3日 主日礼拝説教
「あなたは神の子キリストです」(マタイの福音書26章57節〜68節)
イエス様は、ゲツセマネの園で最後のお祈りをなさいました。そこで、十字架を前にして、「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください」と祈られました。祈りが終わって弟子たちと話しているところに、「祭司長、民の長老たち」から差し向けられた群衆がやってきました。先頭にはイスカリオテのユダがいました。ユダの口づけの合図により、イエス様は捕らえられました。
57イエスをつかまえた人たちは、イエスを大祭司カヤパのところへ連れて行った。そこには、律法学者、長老たちが集まっていた。58しかし、ペテロも遠くからイエスのあとをつけながら、大祭司の中庭まで入って行き、成り行きを見ようと役人たちといっしょにすわった。
イエス様は、その時の大祭司カヤパのところに連れて行かれました。
本来、議会は夜に開かない慣習だったので、これは緊急に招集されたユダヤ議会でした。しかしその前に、イエス様はカヤパのしゅうとであったアンナスのところに連れて行かれ、最初の尋問を受けました。
ヨハネの福音書18:13、24「13まずアンナスのところに連れて行った。彼がその年の大祭司カヤパのしゅうとだったからである。……24アンナスはイエスを、縛ったままで大祭司カヤパのところに送った。」
一方ペテロは、イエス様のあとを遠くからつけ、アンナス、カヤパの裁判の間、「大祭司の中庭」まで入っていって、裁判の様子をうかがっていました。
59さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた。60偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、61言った。「この人は、『わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せる』と言いました。」
彼らは、イエス様を死刑にするための証拠を見つけようとしました。しかし、一致する証言が得られませんでした。律法によれば、死刑にする場合、2人か3人の証言がなければならなかったのです。
申命記17:6「ふたりの証人または三人の証人の証言によって、死刑に処さなければならない。ひとりの証言で死刑にしてはならない。」
そのうち、「イエスが神殿をこわして、それを三日のうちに建て直せると言った」という証言が出ました。確かに、イエス様はそう言われたことがありましたが、これはイエス様の体を指して神殿と言ったのであり、イエス様が死んで3日目に復活されることを意味していました。ところが彼らは、「神殿をこわす」ということばが神殿を冒涜するものだとしたのです。 しかし、それは2年以上前のことであり、そのことばを聞いた人の証言も一致しませんでした。
62そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「何も答えないのですか。この人たちが、あなたに不利な証言をしていますが、これはどうなのですか。」
証言が一致しないと知った大祭司カヤパは、自らイエス様に質問することによって、何か死刑にする証拠をつかもうとしました。「みんなは、あなたに不利な証言をしようとしているが、本当のところはどうなのか。自分を弁護するために何か言うことはないのか」と。
63しかし、イエスは黙っておられた。それで、大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
イエス様は黙っておられました。正しい事実に基づく裁判ならば、この段階で、もうイエス様の無罪が決定していました。しかし、どうしても死刑にしたかった議会は、誘導尋問によってイエス様の罪を引き出そうとしました。再度、大祭司は質問します。 あなたは神の子、キリストなのですか、救い主なのですか、と質問したのです。
64イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
このとき、今まで沈黙を守っていたイエス様が初めて口を開かれました。イエス様は、「あなたの言うとおりです」と、大祭司の質問をそのまま認め、ご自分がキリストであり、神の子であることをはっきりと言い表しました。そして、「人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見る」とはっきりおっしゃいました。これは詩篇110篇とダニエル書7章を引用して言われたおことばでした。
詩篇110:1「主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」」
ダニエル書7:13「私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。」
ご自分が神の右の座につくことにできる権威と栄光を持つ者であり、そして、このわたしが天の雲に乗ってやってくると証しされました。イエス様の復活と昇天、そして再臨のことでした。
それまでは、イエス様は、ご自分がキリストであることをだれにも話さないようにと命じておられました。イエス様の不思議なわざに、群衆が驚いて「この方のなさったことはみなすばらしい。耳の聞こえない者を聞こえるようにし、口のきけない者を話せるようにしてくださった」と言った時も、シモン・ペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです」と告白した時も、「ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない」とお命じになりました。
しかしここにいたって、イエス様は、もうご自分がだれであるかを隠す必要がなくなったのでした。ご自分は、救い主キリストとして十字架にかかろうとしておられたからです。
65すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。66どう考えますか。」彼らは答えて、「彼は死刑に当たる」と言った。
「神への冒涜」とは、イエス様がご自分を神の子であると言ったことを指していました。イエス様のことばは議会の全員が聞いていました。これ以上の証人は不要でした。「死刑」と議会は判決を下します。
レビ記24:16「主の御名を冒涜する者は必ず殺されなければならない。全会衆は必ずその者に石を投げて殺さなければならない。」
しかし正式には、死刑はローマの総督によって判決が下され、処刑はローマのやり方で行わなければなりませんでした。
67そうして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、また、他の者たちは、イエスを平手で打って、68こう言った。「当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか。」
この決定の後、「議員たち」がイエス様に近づき、イエス様を侮辱し始めました。イエス様は、彼らがつばきを吐きかけ、こぶしで、あるいは平手で打たれ、これは他の福音書によれば目隠しをして行った行為でしたが、「当ててみろ。キリスト。あなたを打ったのはだれか」と言われ、ののしられました。それでもイエス様は、されるままになっておられました。
これによって、イエス様がメシヤであることが明らかになっていったのです。罪のないお方が、罪人たちの仕打ちを黙って耐え忍ばれるという旧約聖書の預言が実現していたのでした。
イザヤ書50:5、6「神である主は、私の耳を開かれた。私は逆らわず、うしろに退きもせず、打つ者に私の背中をまかせ、ひげを抜く者に私の頬をまかせ、侮辱されても、つばきをかけられても、私の顔を隠さなかった。」
イザヤ書53:7「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」
イエス様は黙っておられました。不法な裁判の時も、つばきをかけられ、こぶしで打たれている時も。そして、背中にむち打たれ、十字架にかけられ、苦しまれている時も。イエス様は、黙ってすべての人の罪を、一身に負っておられたのです。
ペテロの手紙第1、2:22−24「22キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。23ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。24そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」
イエス・キリストが私たちの罪の代わりに十字架で死なれたことをイエス様がご自分の体と血とをもって、私たちの罪を赦してくださったことを覚えて、今日の聖餐式に臨みたいと思います。
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