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2012年6月24日 主日礼拝説教
「罪にないお方が十字架に」(マタイの福音書27章11節〜26節)
先回は、イスカリオテ・ユダの最期の箇所を読みました。ユダは、その罪を神様に赦してもらうのでなく、ユダヤの長老たちのところに行って、もらった銀貨30枚を返し、「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして」と話しただけでした。ユダはその後、首をつって自らの命を絶ったのでした。
さてイエス様は、ユダヤの議会から、今度はローマ総督ピラトによる裁判を受けることになりました。ユダヤ議会が訴えた罪状は、自分をユダヤ人の王とし、暴動を起こそうとしているというローマへの反逆罪でした。
11さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねた。イエスは彼に「そのとおりです」と言われた。
しかし、イエス様はピラトに積極的に答えたわけではありません。「そのとおりです」の原文は「あなたは言っている」で、「あなたがそう言われるならそうでしょう」という感じの答えです。マタイの福音書に記されているピラトの尋問に対するイエス様の答えは、これだけです。
12しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかった。13そのとき、ピラトはイエスに言った。「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしているのに、聞こえないのですか。」14それでも、イエスは、どんな訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた。
どう尋問しても何も答えられないイエス様。それは、父なる神様のみこころに従おうという思いと、聖書のことばとおりに従うとする思いからくる沈黙でした。
イザヤ書53:7「彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。」
ここまで調べて、ピラトはイエス様を釈放することにしました。
ルカの福音書23:14−16「14こう言った。「あなたがたは、この人を、民衆を惑わす者として、私のところに連れて来たけれども、私があなたがたの前で取り調べたところ、あなたがたが訴えているような罪は別に何も見つかりません。15……見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。16だから私は、懲らしめたうえで、釈放します。」」
しかしユダヤ教指導者は、何としてもイエス様を死刑にしたかったのでした。そこでピラトは次に、ユダヤ教指導者ではなく民衆の声を聞こうとしました。イエス様が民衆から支持されていると思ったからでした。1週間前にイエス様がエルサレムに入城した時は、ユダヤ教指導者たちの機嫌が悪くなるほど民衆は喜び、「ホサナ、ホサナ」と歌ってイエス様を歓迎しました。
15ところで総督は、その祭りには、群衆のために、いつも望みの囚人をひとりだけ赦免してやっていた。16そのころ、バラバという名の知れた囚人が捕らえられていた。
ピラトは毎年、過越の祭りの時に、一人の死刑をとりやめるという恩赦を与えていました。
17それで、彼らが集まったとき、ピラトが言った。「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」18ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。
ピラトは、今年は暴動による殺人者であった「バラバか」、それとも「キリストと呼ばれているイエス」のどちらかを釈放しようと告げ、イエス様の釈放を民衆の判断にゆだねました。イエス様がこのようにさばかれることになったのは、ユダヤ指導者たちのねたみによることと、わかっていたからでした。
19また、ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。」
ピラトの妻が出てくるのはマタイの福音書だけです。イエス様が無実であり、神様が特別にそのことを夢を通してピラトの妻に示したのでした。
しかしその間、祭司長たちは群衆に中に紛れ込んで、群衆の声を一つにしようと謀ったのでした。
20しかし、祭司長、長老たちは、バラバのほうを願うよう、そして、イエスを死刑にするよう、群衆を説きつけた。21しかし、総督は彼らに答えて言った。「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」彼らは言った。「バラバだ。」
群衆から上がった声は「バラバ」でした。祭司長たちの扇動は成功しました。群衆はイエス様より、殺人者「バラバ」を選んだのでした。
最初から、イエス様は無罪で釈放、バラバは恩赦で釈放と、ピラトは決定すればよかったのでした。ところがピラトの無責任さと民衆に判断をゆだねることによって、イエス様かバラバかのどちらかをという展開になってしまいました。
イエス様を死刑にしなければならなくなったピラトは、自分の責任を少なくしようと、もう1度呼びかけました。
22ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」
民衆の声は、いっせいに「十字架につけろ」と叫びました。初めて「十字架につけろ」という声があがりました。その日、3人の犯罪人の十字架刑が予定されていたのでしょう。そのひとりがバラバであったと思われます。バラバの十字架刑の代わりに、イエス様を十字架にかけよ、と叫んだのでした。
イエス様が、ご自分は十字架にかかって死ぬと予告していたことが、ピラトがバラバの名前を出したことによって実現されようとしていました。
いっせいに叫ぶ「十字架につけろ」の声に、ピラトの権威も立場もすべてかき消され、ピラトは沈黙せざるをえなくなりました。それでもピラトは、イエス様が無罪であることを宣言しました。
23だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫び続けた。
ヨハネの福音書19:12「ピラトはイエスを釈放しようと努力した。しかし、ユダヤ人たちは激しく叫んで言った。「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」」
ピラトは、カイザルに謀反を働いたイエス様を釈放すれば、あなたもローマに背く者であるとまで脅され、ついに彼らの声に屈しました。
24そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
手を洗うことは、自分はこの事件には関係ない、身に覚えがないことを示すために行う儀式でした。ピラトはイエス様に罪を認めませんでした。イエス様を釈放したいと願っていましたが、できませんでした。それで自分に災いが及ばないようにと、このような行為を民衆の目の前で行ったのでした。
25すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
人間らしさを表す良心の呵責も、罪を犯しているという恐れもなく、集団で暴力をふるい、罪を犯すことに麻痺してしまった群衆の声でした。その結果が、70年に起こったローマによるエルサレム神殿の破壊と、ユダヤの国の滅亡でした。そして、それに続くユダヤ民族の苦難の歴史でした。
26そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。
ピラトは、「イエス様は無罪」であり「イエス様を釈放したい」と願いました。それを彼らが拒んで、十字架につけるよう要求しました。彼らとは、「祭司長たち指導者と群衆」でした。祭司長たち指導者は、以前からイエス様を殺そうと狙っていましたが、ここに至って、群衆も扇動され、イエス様を十字架に追いやったのでした。
イエス・キリストは、私たちと同じような人でしたが、生まれながらの罪はなく、また現実の罪も犯されませんでした。そのお方が、このように十字架にかかることになりました。
コリント人への手紙第2、5:21「神は、罪を知らない方(キリスト)を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」
それは、私たちの罪が罰せられるところを、代わりにイエス様が神の刑罰を受けてくださるためでした。そのことを信じる者は、罪赦され、神の子とされるのです。
ペテロは、後にユダヤ議会に、こう語りました。
使徒の働き3:13−19「13あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。14そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、15いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。……19そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。」
そそのかしによって、罪のないお方を「十字架につけよ」と叫ぶ群衆のひとりになる可能性をもつほど、罪深い、弱い私たちです。しかし神様は、イエス様を信じたいと願う人を喜んで迎え入れてくださいます。そしてイエス様の十字架によって私たちの罪をすっかり赦してくださいます。
罪なきお方が私たちの代わりに十字架にかかったことを今日も覚え、このお方を信じ、感謝して歩んでいきたいと思います。
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