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2012年7月22日 主日礼拝説教
「封印されたキリストの墓」(マタイの福音書27章55節〜66節)
先回は、イエス様が十字架にかかられ、息を引き取られるまでを見ました。その時、ローマの百人隊長がイエス様を見て、「この方はまことに神の子であった」と信仰を告白しました。イエス様は十字架で息を引き取られ、葬られることになりました。パウロはイエス様の葬りについて、こう書きました。
コリント人への手紙第1、15:3−4「3私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、4また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと」
また使徒信条には、「十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、3日目に死人のうちよりよみがえり」あります。これらは、イエス様が十字架で死んで、さらに間違いなく葬られたことを伝え、そのあとイエス様が復活したことを私たちに教えています。そのイエス様の葬りについて見ていきましょう。
イエス様が十字架で息を引き取られた時に、その最期を見ていた3人の女の弟子たちがいました。
55そこには、遠くからながめている女たちがたくさんいた。イエスに仕えてガリラヤからついて来た女たちであった。56その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。
「マグダラのマリヤ」たちはガリラヤでイエス様に出会い、イエス様を信じ、イエス様のあとに従い、イエス様と共にエルサレムにやってきたのでした。彼女たちは葬りの場に立ち会い、また28章1節にあるように復活の最初の目撃者となるのでした。女性の証言は重んじられなかった時代に、神様はあえて女の弟子を選ばれました。男の弟子でなかったところに、これが歴史的事実であったことを証ししています。
57夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。
十字架につけられた金曜日の夕方です。金曜日の日没から、安息日が始まります。安息日になると何もできなくなってしまいます。それまでにイエス様の体を十字架から降ろし、葬ってしまわなければならなかったのでした。イエス様は十字架刑にされた犯罪者だったので、このままだと共同墓地に葬られることになってしまいます。しかも、本来イエス様を葬らなければならなかったペテロたち男の弟子たちは逃げ出したままでした。
そこにやってきたのが「アリマタヤの金持ちでヨセフ」でした。ヨセフは、この葬りの時だけに出てくる人です。彼は「有力な議員」あり、「神の国を待ち望んでいた人」と紹介されています。
マルコの福音書15:43「アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。」
ヨハネの福音書では、アリマタヤのヨセフをこのように紹介しています。
ヨハネの福音書19:38「そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。」
ヨセフは、イエス様への信仰を公にすることを隠していた人でしたが、ここにきて、はっきりとイエス様への信仰を表明したのです。ヨセフは、総督ピラトのもとに行き、イエス様の遺体の引き取りを申し出ました。
ヨセフはこのあとユダヤ議会と決別しなければならなくなり、自分の地位を失うかもしれませんでした。ユダヤ議会が死刑に追いやった犯罪人イエス様の死体を引き取るということは、確かに「思い切って」でなければできないことでした。
58この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。そこで、ピラトは、渡すように命じた。
ピラトは、確かにイエス様が死んでしまったことを確認し、イエス様の体をヨセフに与えました。ヨセフが持っていた墓は、新しく、岩をくりぬいたお墓でした。
59ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、60岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。61そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。
許可を受けたヨセフは、十字架からおろされたイエス様を受け取り、「亜麻布で包み」ました。この時、もう一人のユダヤ人が登場します。ニコデモです。
ヨハネの福音書19:39−40「前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。」
ニコデモはパリサイ人で、ヨハネの福音書3章に出てきます。夜ひそかにイエス様のもとにやってきて、救いについて質問した人でした。ニコデモも、それまでは公に信仰を告白できなかったのですが、この時、葬りの場にやってきました。
イエス様の葬りの時に、ユダヤ議員のアリマタヤのヨセフ、パリサイ人のニコデモが信仰を表明したことになります。
さて、これからの出来事はマタイだけが伝えていることでした。
62さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピラトのところに集まって、
イエス様が葬られた次の日、「備えの日の翌日」安息日、土曜日のことです。ユダヤ人指導者たちがピラトのもとにやってきました。安息日にこのようなことはしてはいけないことであり、彼らの今までの言動に反することでしたが、彼らにとって事は急を要することでした。
63こう言った。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる』と言っていたのを思い出しました。
イエス様は生前、弟子たちに「三日の後によみがえる」と4度語りました。金曜日になくなりましたので、日曜日にそのことが起こるかもしれなかったのでした。
彼らはイエス様がよみがえるとは信じていなかったでしょうが、弟子たちが何かをするかもしれない、と思ったのでした。
64ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の場合より、もっとひどいことになります。」
しかし、そんな心配をする必要はありませんでした。イエス様が十字架にかかる前、「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます」と言われたことが、そのとおりに起こって、みな逃げ出してしまったのでした。
だれも勇気をもってイエス様の体を盗もうなどとは考えられなかったし、弟子たちもイエス様が復活することに半信半疑でした。お墓の前にあった石も、簡単には動かすことができないものでした。
65ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい」と彼らに言った。66そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。
石と壁の間に粘土を詰め、そこに印が押されました。結局は、このことが、イエス様が死んで葬られ、確かに復活したことの証拠になってしまうのでした。
私たちは聖書が伝えた、イエス様は死んで葬られ、そのお方が確かによみがえられたことを信じる信仰に導かれました。イエス様がそうであったように、私たちにも死が訪れ、葬られる時がやってきます。その死はだれもが持っている罪のためであった、と聖書は記します。
ローマ人への手紙6:23「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」
しかし私たちは、死をもはや恐れることはなくなりました。死も葬りも、私たちの1通過点なのです。私たちの罪はイエス様が代わりに負ってくださったので、私たちの死は新しい意味が与えられました。信仰によって「私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのち」が与えられたのです。
私たちの霊は、死んだ後、天国に行き、神様のご支配の中に移されますが、体はいつの日か、また新しい体を持ってよみがえるまで休息の時を過ごすのです。
ローマ人への手紙6:3−4「3キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。4私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」
イエス様を信じ、バプテスマ、洗礼を受けるということは、私たちがイエス様と結ばれ、イエス様が体験された十字架と葬りと復活を、同じようにあずかることです。私たちは、罪あるいのちが葬られ、新しいいのちに生きることができるようになりました。イエス様の葬りを通して、私たちは、今日もそのような希望に生かされていることを感謝して歩み出したいと思います。
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