ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年8月5日


2012年8月5日 主日礼拝説教
「いつも、あなたがたとともにいます」(マタイの福音書28章16節〜20節)

■はじめに

 マタイの福音書だけを読むならば、イエス様はよみがえられてから、マグダラのマリヤとそのほかの女たちにその復活のお姿を現され、その後すぐにガリラヤに向かったように記されています。
 ルカ、ヨハネの福音書を見ると、復活の日の夜、ペテロたち弟子たちが恐ろしさのあまり、どこにも出られず部屋にこもっていました。そこにイエス様は来てくださいました。イエス様は、今の教会の礼拝にあたる日曜日の夜の集まりに現れてくださいました。この時から、日曜日の礼拝が始まったと言ってもいいでしょう。礼拝は、復活された主にお会いし、主を礼拝する日だからです。
 その時、そこに弟子のひとりのトマスがいませんでした。それで次の週の日曜日、もう一度イエス様は現れてくださいました。そしてトマスに、「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです」と言われました。
 それまでは、彼らはユダヤ人でしたから、安息日の土曜日に集まっていたでしょう。それが、今までの土曜日の安息日に代わって、新しく日曜日が主の日に定められたのでした。このようにイエス様は少しずつ弟子たちに、これから始まる教会のために準備をなさっていたのでした。
 その間に、ちまたでは、イエス様の体を兵たちが寝ている間に弟子たちが盗んで行ってしまい、イエス様が死からよみがえったと言っている。そのような話が広まっていたのでした。

■ガリラヤに行く

 その後、弟子たちは、イエス様の言われたとおりにガリラヤに向かいました。それは、彼らがイエス様の教えを携えて全世界に出ていくための派遣式でもあったのでした。これが「ガリラヤにおける世界宣教命令」と言われている出来事です。そこからもう一度エルサレムに戻り、イエス様は昇天されます。

16しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。

 イスカリオテ・ユダを除いた11人の弟子たちは、イエス様の復活を見、力を与えられ、恐れることなく、イエス様がガリラヤでもう一度会おうと約束されたガリラヤの山に登りました。

17そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。

 山の頂からイエス様が降りて来られました。それにに気づいた弟子たちは、イエス様を、神を礼拝するかのように礼拝したのでした。
 「ある者は疑った」とあります。11弟子の中には、この状況をまだ理解できていない者がいたのでした。また、自分たちは何をすべきかの使命を理解できなかった弟子もいたでしょう。それが全く払拭されるのは、ペンテコステのしるし、イエス様が言っておられた約束の聖霊が与えられたことを目で見、また自分たちが他国のことばで話し出したというしるしを見てからでした。

■権威を与えられた

18イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。

 イエス様が与えられた権威は、父なる神様が持っておられる権威、造り主なる神様がご自分の造ったものに対して持っている権威のすべてでした。支配者として被造物を治め、被造物を自由に選び、被造物をどうするか決定する。そのような「いっさいの権威」がイエス様に与えられたのでした。
 それまでの人としてのイエス様は、父なる神様に服従する生涯でした。それが、復活によって神様の権威が与えられたのでした。そのことを示す聖書を2か所お読みします。

ピリピ人への手紙2:8−11「8自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。9それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。10それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、11すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」

エペソ人への手紙1:20−22「20神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、21すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。22また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。」

■弟子としなさい

19それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、20また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。

 イエス様に全被造物に対する権威が与えられたので、「それゆえ」に、その権威にすべてのものが服従するように、その権威をすべてのものが認めるようになるために、イエス様は弟子たちに命じました。その方法は、権威を振りかざして力づくではなく、ここにいる11弟子が新しく弟子を生み出すという方法を通して、イエス様の権威を知らせるのでした。
 今までは、あなたがたがわたしの弟子であったが、これからはあなたがたが弟子を生み出すのです。イエス様のことを知らない人たち、「あらゆる国の人々」のところに行き、イエス様の教えを語り、信じ、イエス様に信頼して歩む人たちを起こしていきなさい、というのです。その新しい弟子たち、クリスチャンたちによって教会が作られていくのです。
 そのために、そのような弟子となった者たちに「バプテスマを授け」なさいと命じられました。ですから洗礼は、教会が始まったその時から行われました。ペンテコステの時に、ペテロの説教を聞いた3千人の人が洗礼を受けたのでした。
 また弟子となった者たちに、イエス様の教えを守るように教えなさいと命じられました。このようにして、教会の歩みは弟子が弟子を生み出し、またそれから弟子を生み出していく2000年間であったのでした。

■いつも、あなたがたとともにいます

 そのような大きな使命が与えられた11弟子でした。はたしてこの少ない11人でできるでしょうか。それでイエス様は、最後のことばを弟子たちに約束なさいました。

20見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

 イエス様が再臨されるまで、「いつも、あなたがたとともにいます」という約束でした。弟子たちが全世界に出て行って人々を弟子とする働きに、イエス様がいつも共にいてくださるというのです。どんなことがあっても、弟子たちにとっては困難も迫害もあるかもしれませんが、それでも「わたしがいつも共にいる」という約束でした。これは、教会の働きが人の力や人の計画によってなるのではなく、神様の働きによることを教えています。

申命記31:8「【主】ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」

 神様が共にいてくださり、教会の働きを歩みを、私たちの信仰の歩みを支えていてくださいます。神様が私たちを守り、導いてくださり、恵みと祝福を与えてくださることを覚え、感謝しつつ歩んでいきたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年8月5日