ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2012年8月19日
2012年8月19日 主日礼拝説教
「キリストの証人となる」(使徒の働き1章6節〜11節)
使徒の働きは、ルカの福音書の著者であるルカが書いたものであり、イエス様の十字架と復活の後、残された弟子たちが聖霊の助けをいただいて、弟子が新しい弟子を生み出し、人々をクリスチャンとし、教会を建て上げていく様子を、福音書と同じくテオピロのために書こうとしたのでした。
先週は「父の約束」、聖霊が間もなく与えられるので、その時を待ち望むようにとイエス様が言われたところまでを見ました。
6そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
イエス様は復活されてから40日間の間、弟子たちに「神の国」について教えてくださいました。弟子たちは、それでは実際のイスラエルの国はどうなるのか。イスラエル民族がローマ帝国から解放されて、自分たちの国が独立し、そこに神様のご支配が及ぶような国を再興してくださる時がいつ来るのか。今すぐに来るのか。イエス様に対して、そう問いかけたのでした。
イスラエルが昔のように神の国として再建されることは、当時のイスラエルの人たちが持っていた期待でした。弟子たちも、イエス様の教えを受けながらも、イスラエルに神の国が現れるという選民意識を持ち続けていたのでした。
7イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
イスラエルが再興されることに限らず、「いつとか、どんなときとかいうこと」は、その決定と、それをどう知らせるかは父なる神様に属することであり、「あなたがたは知らなくてもよい」ことだったのでした。
私たちは、すべてに神様の時があることを教えられています。
伝道者の書3:1−2「1天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。2生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。」
伝道者の書3:11「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」
神様が知っておられることを私たちが知りたいと思っても知ることができないし、知らされていないことがあるのです。ですから私たちは、そのようなことに思い煩わされてはならないのです。イエス様は弟子たちに、もっと大切なことを告げました。
8しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
間もなく父の約束である聖霊が与えられます。その時あなたがたは力が、人を根底から変える聖霊による力が与えられるのです。旧約聖書に出てくるサムソンに下った主の霊もそうでした。
士師記15:14−15「14サムソンがレヒに来たとき、ペリシテ人は大声をあげて彼に近づいた。すると、【主】の霊が激しく彼の上に下り、彼の腕にかかっていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、そのなわめが手から解け落ちた。15サムソンは、生新しいろばのあご骨を見つけ、手を差し伸べて、それを取り、それで千人を打ち殺した。」
サムソンにはイスラエルの敵であるペリシテを打つための力でしたが、間もなく与えられる聖霊は「キリストの証人」となるために必要な力でした。キリストの証人として証し続けるためには力が必要でした。弟子たちは、いかに自分たちが弱い者であるかを知っていました。また迫害が起こり、殺されることになるかもしれなかったのです。
キリストの証人は、イエス様が何をなさったか、何を語られたか、とりわけ十字架と復活を見たことを証しするのです。それは、世界中に広がり、やがて「地の果てにまで」及んでいくのです。この使命のために、弟子たちに聖霊の力が与えられると約束されたのでした。
9こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
イエス様は弟子たちの見ている前で昇天されました。イエス様は瞬時にして姿を消し、天に帰ることもできましたが、このように時間をかけて「雲に包まれて」、それからイエス様が天に昇って行かれたのは、弟子たちのためでした。
イエス様は復活されてから40日間、弟子たちの前に姿を現されましたが、これも弟子たちに復活の信仰を確かにするためでした。40日間の間、イエス様はすでに天に、パラダイスと言われた天国におられたのでした。
ルカの福音書23:42−43「42そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」43イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」」
イエス様が復活されてからの40日間は天国にいて、時間を超え場所を超え現れてくださったのでした。それがこの時、イエス様は弟子たちに見える形で天に昇って行かれたのでした。それは、イエス様が神様の右の座に着座され、今もそこにおられることをはっきり弟子たちに示し、悟らせるためでした。
雲は、聖書では栄光のしるし、神様がいてくださるしるしです。モーセがイスラエルの人たちを連れ出した時、雲の柱が彼らを導きました。それは神様が導いてくださることを人々に知らせるためでした。ソロモンが神殿を立てた時、雲が神殿をおおいました。
列王記第1、8:10−11「10祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が【主】の宮に満ちた。11祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。【主】の栄光が【主】の宮に満ちたからである。」
イエス様は、それと同じ雲に包まれたのでした。
10イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。11そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
弟子たちはイエス様が見えなくなっても、まだ天を見上げていました。イエス様が昇天されたあとで去ることもできず、そこにとどまっている弟子たちに「白い衣を着た人がふたり」が現れました。それは復活の時に現れた御使いでした。
御使いは、イエス様がイエス様だとわかるお姿で昇って行ったと同じように、再び栄光の雲に包まれて、雲に乗って来られますと告げました。
イエス様がもう一度やって来られます。あなたがたが見たまま同じように、雲の乗ってやってこられます。弟子たちは、この再臨の希望も伝えることになるのでした。
弟子たちはキリストの証人となるために、40日間の間、神の国と、イエス様の復活、イエス様が生きておられることを確かな証拠を示して教えられました。そのために間もなく聖霊が与えられるのでした。それは、キリストの証人となるために必要な力でした。
それに加えて、イエス様の昇天を体験をさせられました。それは、イエス様が今も天におられ、父なる神様と同じ権威が与えられ、父なる神様に私たちの祈りをとりなしてくださっていることと、もう一度この世界に来られることを教えられたのでした。
もうこれで十分でした。キリストの証人となるための十分すぎるイエス様のご配慮でした。だからこそ、最初の教会の爆発的な伸展があったのでした。
私たちも、イエス様が教えてくださった神の国を知っています。イエス様の復活を知っています。イエス様が天におられ、もう一度やって来られることを知っています。ですから私たちも「キリストの証人」になれるのです。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」という命令は使徒たちに対するものです。
しかし、私たちのうちにいてくださる聖霊がイエス様のことを証ししたいという思いを与えてくださっています。これからもイエス様に感謝し、従っていきたいと思います。
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