ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2012年9月2日
2012年9月2日 主日礼拝説教
「恵みと平安がありますように」(コリント人への手紙第二 1章1節〜2節)
コリントはギリシヤ南端のアカヤという州にある町で、その州には今のギリシヤの首都であるアテネもあります。このコリントにある教会に送られたのが「コリント人への手紙」です。
1神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロ、および兄弟テモテから、コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
1節は挨拶です。手紙を書いた人が「キリスト・イエスの使徒パウロ」であり、いっしょに「兄弟テモテ」がいたことがわかります。送り先は「コリントにある神の教会」と「アカヤ全土にいるすべての聖徒たち」なので、パウロは、この手紙がコリント教会だけでなく、アカヤ州にあるほかの教会にも読まれることを考えていました。
パウロは、自分を「キリスト・イエスの使徒」と語りました。パウロが使徒であることをあまり認めていなかった教会にあてた手紙や、内容によっては使徒としての権威をもって語らなければならない時、パウロは「使徒パウロ」と語ります。個人的な手紙や、パウロの使徒としての権威が受け入れられている親しい教会には、単に「パウロ」あるいは「キリストのしもべ、パウロ」と語り出しています。
コリント教会には、パウロの使徒としての権威を軽く考えていた人たちがいました。使徒とは、イエス・キリストの証人となるようにイエス様から直接任命された人たちでした。それは、ペテロやヨハネやヤコブ、マタイなど、12使徒と言われている人たちです。しかしパウロは、その12人とは違った形でイエス様に召し出されました。タルソで生まれ、エルサレムでユダヤ教の教育を受けたパウロは、キリスト教に敵対する者でした。
そのパウロがダマスコというところに、クリスチャンたちを捕らえようと向かっていた時、復活されたイエス様に出会ったのです。クリスチャンを迫害する者であったパウロは、このダマスコ途上でイエス・キリストに出会い、劇的な回心を経験しました。その時パウロは、直接イエス様から、キリストの福音を異邦人に宣べ伝える使徒として任命されました。それは、「人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく」(ガラテヤ1:1)、むしろイエス様から強いられるようにしてなった使徒職でした。それを「神のみこころによる」ということばで表しました。
それは私たちも同じです。教会に導かれ、イエス・キリストへの信仰を持つことができた、これらすべては、みな「神のみこころに」よらないでは何一つ起こらなかったことです。
パウロは使徒の働きで3回の伝道旅行をしていますが、その第2回目の伝道旅行の時にテモテに会い、いっしょに伝道旅行をするようになりました。この旅行で初めてヨーロッパに福音が伝えられ、その時マケドニヤ州のピリピやテサロニケ、アカヤ州のコリントなどに教会が建てられました。その後パウロはいったんエルサレムに帰り、異邦人伝道の様子を伝えてから、すぐに第3回目の伝道旅行に出発しました。今度は、第2回目の時に果たせなかったアジヤ州の首都エペソに向かいました。パウロはそこで2年以上滞在して伝道しました。
そのエペソにいた時、コリント教会から教会の実情を訴える手紙がパウロに届きました。コリント教会はパウロが去った後、いろいろな問題が起こり、もめていました。教会内の派閥争い、不品行から抜け出せない人たち、信徒同士が訴え合うことまでありました。そのほか、礼拝の守り方、結婚について、復活についてなど、実にさまざまな問題の回答を求めてきたのです。
それに対してパウロはすぐに飛んでいきたいと思ったのですが、エペソを離れることができず、1通の長い手紙を書きました。それが「コリント人への手紙第1」です。その手紙と共にテモテをコリントに送りました。しかし、せっかく送った手紙も、テモテの訪問も、結果はかんばしくありませんでした。テモテは失望してエペソに帰ってきました。
そして、今度はテトスをコリントに遣わしました。帰ってきたテトスの報告は、100パーセント満足する結果ではありませんでしたが、パウロの気持ちが晴れるような知らせであったのです。
しかし、まだパウロの使徒としての権威を疑う者など、いくつか問題が残っていました。そこで書いた手紙がこのコリント人への手紙第2でした。
1節の「テモテ」について戻ります。ここで、とりわけ「兄弟テモテ」と書いたのは、先にコリントを訪問した時にあまりうまくいかなかったテモテを、もう一度コリントの教会に推薦する意味もあったでしょう。テモテは、私パウロの兄弟でもあるようにあなたがたにとっても兄弟であり、受け入れてほしいという願いをもって、「兄弟テモテ」と記しました。パウロの温かい心が伝わってくるようです。
そして「神の教会へ」、「聖徒たちへ」と書きました。コリントの町は不品行と偶像礼拝に満ちた町であり、コリント教会も同じ誘惑や、さまざまな問題を抱えていました。しかしそのような教会であっても、パウロは「神の教会」と呼び、その傷つき破れた教会を尊んでいるのです。
教会は人間の働きによって建てられたのではないし、その中にいる人の善し悪しによって価値が決まるのでもありません。パウロにとって、何度言っても何度手紙を出してもわかってもらえない、自分の意に沿わないところがあった教会かもしれませんが、教会とは神様が建て、神様が愛されるところです。教会は神様の導きによって悔い改める人が起こされ、信仰を持つに至った人々がいるところなのです。
そして、そこに集う人をパウロは「聖徒」と呼びました。コリントの教会の人が完全な人格、聖められた品性を持っているから「聖徒」と呼ばれるのではありません。聖徒とは、その人が「神様の属しているのか」「神様との関係に入ったのか」で決まるのです。イエス様によって召され、神様のものになった信徒はすべて「聖徒」と呼ばれるのです。
2私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
「恵みと平安」は、父なる神様と主イエス様が私たちに与えてくださる最高の祝福です。神様の「恵み」とは、何の値うちもない、何の誇ることもない私たちに、神様が一方的に与えてくださるものです。それは無代価の罪の赦しです。
エペソ人への手紙2:8−9「8あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。9行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」
この恵みをいただくと「平安」が与えられます。真の「平安」とは、神様の恵みによって与えられる神様との平和です。罪人である私たちが神様との和解によって与えられるものです。
ローマへの手紙5:1「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」
私たちは、神様に敵対していた者たちでしたが、私たちの罪の身代わりの死であるキリストの十字架の死によって神様と和解でき、神様との平和が与えられたのです。
パウロは、このすばらしい神様の祝福がコリントの教会のクリスチャンたちに与えられるように祈りました。それは、その祝福が教会の上に、さらに満ちあふれるように願ったからでした。
「恵みと平安」を与えてくださるのは、「私たちの父なる神様と主イエス・キリスト」です。そのことをパウロは、クリスチャンを迫害する者から福音を伝える者になった時に、そして今度は、自分が迫害されながら福音をひたすら宣べ伝えている時に、絶えず覚え感謝したことでした。だから、それをコリントの教会にも祈ることができたのです。
私たちもこのすばらしい祝福を、イエス様の十字架を信じることによって神様からいただいています。そのことを感謝して、今日の聖餐式に臨みたいと思います。
ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2012年9月2日