ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年9月16日


2012年9月16日 主日礼拝説教
「主の御名を呼ぶ者は、みな救われる」(使徒の働き2章14節〜21節)

■はじめに

 ペンテコステの日、弟子たちに聖霊が降るのを見た人々が、その物音と炎のような舌に驚き、また自分たちの国のことばを語るのを聞いて集まってきました。彼らの反応は、これはどうしたことか、何が起こったのか、私たちは知りたいというものと、「ぶどう酒に酔っているのだ」というあざけりのことばでした。
 それらの人たちにペテロは、教会としての初めての公式の説教を行いました。それが40節まで続きます。
 まずペテロは、どうして自分たちは聖霊に満たされて語り出したのか、その意味を旧約聖書の預言から説明します。続いてイエス様の十字架と復活を語り、聞いている人たちに信仰に入るように勧めます。そのように説教は進んでいきます。

■酔っているのではない

14そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。

 使徒たち12人が立ち上がり、代表してペテロが語り始めました。それは屋外でしたので、「声を張り上げ」ての説教でした。まず「酔っぱらっているのではないか」と言う人たちの誤解を解くことから始めました。

15今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。

 「今は朝の九時」でした。9時は朝の祈りの時でした。当時ユダヤでは1日2食、朝食は祈りが終わった10時過ぎ、12時近くになることもありました。ですから、朝の9時はまだ朝食をしていない時間であり、酒を飲むのは夕食時であったので、酒に酔っているのではないと反論したのでした。

■ヨエルの預言

 このような不思議な体験があったのは、旧約の預言者ヨエルが預言していた神様の霊が注がれたためでした。ペテロは、ヨエル書2:28−32のみことばを語りました。

16これは、預言者ヨエルによって語られた事です。17『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。18その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。19また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。20主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。21しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』

 ヨエル書の最初の部分はこうです。

ヨエル書2:28「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」

 ペテロは、旧約聖書70人訳と呼ばれているヘブル語聖書ギリシヤ語訳から語りました。ですから実際のヨエル書と比較してみると、細かいところで違っています。さらにペテロは、聞いている人がわかるように修正し、補足したのです。
 最も大きな違いは最初の箇所です。ペテロは「神は言われる」を加え、「その後」とある語を「終わりの日に」と変ました。それは、神様の導きのもとにペテロが解釈したことでした。
 ヨエルの預言は、実際にはいなごによる災害からの回復を語ったものですが、さらに終わりの日の出来事を示していました。イエス様が来られた時から、それが始まったことをペテロは語ったのでした。

■神の霊が注がれる

 ヨエルだけでなく、終わりの日に神様の霊が注がれて、すべてが新しくなることが数多く預言されていました。

イザヤ書32:15−17「15しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる。16公正は荒野に宿り、義は果樹園に住む。17義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。」

イザヤ書44:3「わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。」

エゼキエル書36:26「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」

 その霊がすべての人に、今日、「わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ」ということが起こったのでした。旧約時代にも、このような特別な力を伴った霊は、士師ギデオンやサムソン、王であったサウル、ダビデなどに、そのほか預言者、祭司など特別な人たちに注がれました。彼らは幻を見、預言を語り、また敵に勝つ力を与えられたのでした。
 上からの霊が降られるということが、イエス様の生涯の初めにもありました。バプテスマのヨハネから洗礼を受けたあとでした。

ルカの福音書3:21−22「21さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、22聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」」

 その御霊の力を帯びたイエス様は、ナザレの会堂で新しい時代が始まったことを告げたのでした(ルカ4:18−19)。
 このように、御霊が降ることによってイエス様の公の生涯が始まり、またすべての弟子たちに御霊が降ることによって、弟子たちの活動、教会の歩みが始まったのでした。それがヨエル書に預言されていたことであり、それが今日実現したとペテロ語るのでした。

■終わりの時

 そして、今日このことが起こったことによって新しい時代、終わりの日が始まりました。さらに、終わりの時が近づくにつれてさまざまなしるしが現れるのでした。

20主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。

 イエス様もそのことを弟子たちに語っていました。

マタイの福音書24:29−30「29だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。30そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。」

■主の名を呼ぶ者

21しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。

 世の終わり、最後のさばきの時に、主の名を呼ぶ者はみな救われます。それが、私たちひとりひとりです。主の名を呼ぶ者はみな主が召された者たちであり、それは青年も老いた人も、しもべもはしためも、子どもたちも、ユダヤ人だけではない、遠くの人たち、どこの国の人でも救われるのでした。このペテロの説教を聞いた人たちはそれを信じ、受け入れ、洗礼を受けました。
 パウロも、このヨエル書の箇所を引用して、すべての人が救われることを語りました。

ローマ人への手紙10:12−13「12ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。13「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。」

 このようにして、聖霊は旧約の時代に働かれ、イエス様が地上におられた時代に働かれ、そして、聖霊が降られることによって、聖霊がペンテコステから始まった終わりの時代に働かれるのです。それがイエス様が再び来られる時まで続くこと、その間、主の名を呼ぶ者が起こされ、それらの人はみな救われることをヨエルの預言から明らかにしたのでした。

■幻と夢

 今日は敬老感謝礼拝です。今日の箇所で、老人のことが出てくる箇所がありました。

17神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

 これは、かつて預言者など特別な人にしか与えられなかった霊が、すべての神の民に与えられたことを示していました。神様に召され、愛されている者たちはいつまでも御霊によって幻や夢を見、そしてそれが神様によって、実現されていくのです。
 私たちはそのように生かされていることを、年をとっても、いつまでも変わらないことを感謝します。どうか、老いも若きも、いつまでも幻を見、夢を見続ける生涯を歩みたいと思います。


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