ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年9月30日


2012年9月30日 主日礼拝説教
「御父から約束された聖霊」(使徒の働き2章33節〜40節)

■はじめに

 ペンテコステの日に弟子たちに聖霊が降り、彼らは他国のことばで話し始めました。エルサレムにいた人たちが、それら自分たちの国のことばを聞いて集まってきました。その人たちにペテロが教会最初の説教を語りました。その説教を今まで2回に分けて見てきました。
 最初に、これは預言者ヨエルが預言したことであり、このように聖霊が降られたことによって終わりの日々が始まったこと、続いてペテロは、イエス様の復活が確かであったことをダビデの預言のことばから説明し、さらに弟子たち自らがイエス様の復活の証人であることを語ったのでした。
 今日の箇所でペテロは、イエス様が昇天されたこと、神の右の座に着かれたことを語ります。

■神の右に上げられたイエス様

33ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。

 イエス様は復活され昇天されました。そのことは、弟子たちがオリーブ山で、天に帰って行かれるイエス様を見ていました。そしてイエス様は、神様の右の座に着かれたのでした。これはだれも見ることができないことなので、聖書がそう言っていることをペテロたちは信じたのでした。そこでイエス様は、永遠の大祭司として、神様に私たちのことをとりなしてくださっているのです。

ローマ人への手紙8:34「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」

へブル人への手紙7:24−25「24しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。25したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」

 神様の右に上げられたイエス様が、「御父から約束された聖霊をお注ぎになったのです」。イエス様は最後の晩餐の席で、イエス様ご自身が弟子たちのもとを去って行くことによって、助け主と言われる聖霊が来るとお話ししました。

ヨハネの福音書16:7「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。」

■ダビデの詩篇から

 次にペテロは、詩篇110:1を引用し、ダビデの預言から説明しました。

34ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。

 ダビデは「主は私の主に言われた」と語りました。同じ主が2回出てきますが、最初の「主」は父なる神様を指す主であり、次の「私の主」の主は、ダビデの主、救い主キリストを指していました。

35わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』

 ダビデの主である救い主キリストが、神様から「わたしの右の座に着いていなさい」と言われました。それは、あなたの敵(イエス・キリストの敵。サタンであり、それに従う者たち)を「足台とするまで」(足の下に踏みつけるようになる時が来るまで)、わたしの右の座に着いていなさいというのです。

■十字架につけた

36ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

 このことをあなたがたは今知らなければなりません。このような尊いお方を、ダビデが「私の主」と呼んだお方、救い主キリストをあなたがたは十字架につけたのです。
 ペテロが、説教を聞いている人たちに「あなたがたは十字架につけた」と言うのは2回目です。

使徒の働き2:23「あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。」

 2回目に「あなたがたは十字架につけた」と迫られた時、イエス様が救い主キリストであったこと、そして神様がイエス様の敵を滅ぼされることになると言われて、彼らは恐れました。自分たちがイエス様を十字架につけた罪のゆえに、神様の足の下に組み伏せられ、さばかれることを知ったのでした。

■悔い改めて洗礼を受けなさい

37人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

 聞いていた人たちは心を刺されました。「私たちはどうしたらよいでしょうか」、何をしたらいいのでしょうか。

38そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

 ペテロは3つのことを勧めました。
 「悔い改めなさい」。
 「イエス・キリストの名によってバプテスマ(洗礼)を受けなさい」、そうすれば、罪が赦され、神から約束された賜物として聖霊を受けるでしょう。
 3つめは、40節の「この曲がった時代から救われなさい」です。
 最初の「悔い改めなさい」です。聖書の言う「悔い改め」とは、今までの生き方を変えること、人の生き方を方向転換することを意味しています。神様なしの歩み、そのような人生から、神様を知っている人生に方向転換するのです。その結果、神様と共に歩む人生、神様を喜ぶ人生が始まるのです。それが悔い改めです。
 それはイエス・キリストを信じる信仰によって、私たちの生き方の方向転換ができるのです。ですから「悔い改めなさい」は、イエス様を信じる信仰を持ちなさい、とも言うのです。
 イエス様を信じるとは、イエス様の十字架が私たちの罪を赦すためであり、私たちを永遠のいのちを与えるため、天の御国に迎え入れるための身代わりの死であったことを心に受け入れることです。
 そして洗礼を受けるようにペテロは勧めました。洗礼は「イエス・キリストの名によって」行われます。それは1つに、イエス様への信仰と、自分の生涯をイエス様にゆだねること、イエス様と共に歩む献身のしるしです。
 2つに、私たちがイエス様のものとなった、イエス様の弟子となったことを示すしるしです。そのことを聖書ではさまざまなたとえで表しています。イエス様に結び合わされたものとなる、イエス様と一体とされる、イエス様に接木される、イエス様の枝となる、イエス様の体の一部となる、などです。
 3つに、キリストの体の一部となることは、キリストの体であると言われている教会に属することを意味しています。

■救われなさい

39なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

 「この約束」とは、罪が赦され、御父からの約束である聖霊が与えられることです。だれひとり差別なく与えられます。神様の選びと神様の招きは国籍、人種、男女を問わず、全人類を招いてくださるのです。

40ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。

 「この曲がった時代」とは、神様を認めない、イエス様を神の子と認めないこの世です。それに気づいて、このような世に流されることなく、あなたがたの今の生き方から早く方向転換しなさい。「一刻も早く救われなさい」とペテロは決断を勧めているのです。
 救われるとは、ことばのとおり私たちにとっては受け身です。だれも、自分自身で救う力はありません。それは神様のあわれみと恵みによることです。
 私たちは、そのようにされて神様によって救われたことを感謝します。そのことをきょうも覚えましょう。

エペソ人への手紙2:8「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年9月30日