ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2012年10月21日
2012年10月21日 主日礼拝説教
「イエス・キリストの名によって歩きなさい」(使徒の働き3章1節〜16節)
2章から始まったペンテコステ(五旬節の祭り)の日に起こった出来事と、その後のペテロの説教を5回に分けて見てきました。その日、3千人の人が洗礼を受けてエルサレム教会に加えられました。その教会で、「使徒たちによって多くの不思議としるしが行われ」(2:43)、信徒たちが「毎日、心を一つにして宮に集まり」(2:46)をしていました。そのようななか、宮でペテロによるしるしが行われました。
1ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
午後3時に、神殿では午後のいけにえと祈りがささげられました。ペテロとヨハネも、その時間に合わせて神殿に行きました。ほかの信徒たちと会うためと、今までユダヤ人としての習慣であった、神殿で祈るためでもありました。
2すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。
同じように、神殿にひとりの「生まれつき足のなえた人」が、友人たちによって連れて来られました。彼は毎日、「美しの門」のところにいたのでした。年齢は「四十歳余り」(4:22)でした。
3彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。4ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。5男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。
彼は美しの門で、いつものように施しを求めました。そこにペテロ、ヨハネがやって来ました。足のなえた男は毎日ここにいたのですが、このところ毎日のように神殿に来ている何千人もの人たち。ナザレのイエス様を信じて、共に助け合い、なかには共同生活までしている人たち。エルサレムの人々から好意をもって見られている人たち。それらのことをこの男も知っていたでしょう。それで、その指導者であったペテロたちを見つけ、私をあわれんでくださいと、施しを求めたのでした。
ペテロは聖霊に導かれて、この男の前に立ち止まり、彼にいやされる信仰があるのを知り、声をかけました。「私たちを見なさい。」それを聞いて男がペテロに「目を注いだ」のでした。今まで声をかけられることもなかった、忘れられていたような、ただ座って施しを求めていた自分に目を向け、真実のこもった声をかけてくれたのでした。何かが起こると思ってペテロたちと向き合いました。
6すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、
ペテロの最初のことばに男は失望したでしょう。「金銀」、それは彼がいつも欲していたものでした。しかし次に発せられたペテロのことばは、金銀よりももっとすばらしいものでした。
「イエス・キリストの名によって」(イエス・キリストから与えられた権威によって)とペテロが言うことができたのは、イエス様のいやしの力がペテロに与えられていたからでした。
ペテロは決して金銀を持っていなかったわけではありませんでしたが、この男の最も必要としているものをあげたかったのでした。金銀ではなく、金銀を人からもらう生活から離れることでした。
7彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、8おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。
ペテロは、手を差し出して男が立ち上がるように促しました。自分は立つことができると信じた時、男の関節はいやされ、強くなり立つことができました。さらに歩き、飛び跳ねることもできたのでした。そして、ペテロたちと宮に入り、神様に感謝をささげたのでした。
9人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。10そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。
その光景は、皆の注意を引くこととなりました。この男が長い間、歩けず、ここで施しを求めていたことを知っていたからでした。見ていた人たちは、起こったことを神様に結び付けず、驚き、あきれるだけでした。
ペテロが行ったことは、救い主が来られたことのしるしでした。
イザヤ書35:4−6「4心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」5そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。6そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。」
イエス様が「目の見えない者、耳の聞こえない者、足のなえた者、口のきけない者」をいやされたのは、イザヤ書の預言を成就するためであり、それが救い主キリストであることのしるしであったからでした。
ペテロが「歩きなさい」と言った同じことばをイエス様も、足の不自由な人に語りました。イエス様のところに中風の人が連れて来られました。そのときイエス様は、家にいてお話をしていたのですが、人がいっぱいで彼らはイエス様に近づくことができませんでした。そこで、中風の人を連れてきた4人は、屋根に上り、屋根をはがし、寝床ごとイエス様の前につり降ろして、イエス様にいやしを願ったのでした。そのときイエス様は「起きて歩きなさい」とおっしゃって、その男をいやし、また男の罪も赦してくださったのでした。
イエス様とペテロのことばが違うところは、ペテロのことばには「イエス・キリストの名によって」とあることです。イエス様のみわざが、イエス様に代わってペテロを通して行われたのでした。それは聖霊によってペテロに与えられた力でしたが、イエス様が今も生きていて、働いておられること、イエス様が救い主であることをペテロは、この奇蹟を通して示したのでした。
このあとはペンテコステに起こったことと同じでした。集まってきた人たちにペテロは説教を始めます。
12ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
人々は、ペテロに何か力があったか、あるいは神様がそのような力を与えるほど信仰深かったからと思いました。それを知りたかったのでした。ペテロは、起こった奇蹟の源であるイエス様の話を始めました。
足のなえた男は、「ナザレのイエス・キリストの名によって」いやされ、歩けるようになりました。
16そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。
それは、「その御名を信じる信仰のゆえに」でした。いやされた男に、イエス様を求める信仰があったのでした。その信仰はイエス様が与えてくださったものでした。それをペテロは認め、イエス様の名によって、イエス様に代わってこの男をいやしたのでした。
同じようなことが信仰によって私たちにも起こるのです。ただイエス様だけが私を救ってくださる。その思いを神様が起こしてくださるのです。
教会に行ってみよう、イエス様を信じて、新しい歩みを始めたい、そう神様は思いを起こしてくださり、救ってくださるのです。そして私たちは立ち上がり、歩くことができたのです。
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」その声を聞いて、私たちが歩き出した時を思い起こし、主に感謝したいと思います。
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