ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年11月4日


2012年11月4日 主日礼拝説教
「多くの人々の祈りにより」(コリント人への手紙第二 1章8節〜11節)

■はじめに

 パウロは、3節で神様への賛美をささげました。「私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。」そこから、7節まで、私たちに与えられる神様の「慰め」を、「慰め」ということばを9回も使って語りました。「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです」(4節)。

■苦しみに会いました

8兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、9ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。

 パウロは「兄弟たちよ」と呼び掛けます。パウロがこう呼び掛けるのは、何か重要なことを語ろうとする時です。それから「私たちがアジヤで会った苦しみについて」と続けます。
 ここの「アジヤで会った苦しみ」が何を指しているのか、具体的にはわかりません。この手紙は、パウロがマケドニヤ(現在のギリシヤ)のピリピにいた時に書かれました。ピリピに行く前はアジヤ(現在のトルコ)のエペソにいました。そのエペソでコリント人への手紙第1を書いたのですが、その手紙にこのような記述があります。

コリント人への手紙第1、15:32「もし、私が人間的な動機から、エペソで獣と戦ったのなら、何の益があるでしょう。」

 エペソで獣と戦ったというのです。また使徒の働き19章には、エペソで、デメテリオという銀細工人が起こした騒ぎのことが書かれています。

使徒の働き19:26「ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。」

 このような出来事も含めて、パウロはアジヤでよほどひどい仕打ちを受け、苦しんだに違いありません。また11章にはこうあります。

コリント人への手紙第2、11:23−24「23私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。24ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、25むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。」

 このようにパウロは、「非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受けた」のでした。「ついにいのちさえも危くなり」、「心の中で死を覚悟しました」と言うほどの窮地に追い込まれました。

■救い出してくだる神

 しかし神様は、そのような危機的な状況からパウロを救い出してくださいました。次の10節にこう書かれています。

10ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。

 神様が救い出してくださったことは、パウロにとって、「もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした」(9節)。
 もし私たちが、みことばによって、直面する困難や苦しみが神様により頼む者となるための経験であったと確信できるなら、4節で見たように、「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださる」と知ることができるのです。
 自分の力では、どうにもならない苦しみの中で、パウロは神様の慰めを知りました。そして「もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となる」ことを知ったのでした。そのことを知ることができたので、パウロはこの手紙の後半でこのように書きました。

コリント人への手紙第2、12:10「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

■望みを神に置く

10ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。

 ここには大きな死の危険から救い出された者の、真の平安と望みがあります。この望みは、もはや目に見えるものによる望みではありません。ただひとえに、復活の主である神が確かな救いをもって私たちに臨んでくださるという信頼に基づく望みです。だからパウロは、「救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いている」と語るのです。この神様に信頼して、人は絶望から救われるのです。
 神様は真実なお方ですから、私たちを耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。

コリント人への手紙第1、10:13「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」

 「神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。」そればかりでなく、そのような中から救われた体験を持った者は、「将来」に対しても絶対の確信を神様に抱くのです。「また将来も救い出してくださいます。」そして、「なおも、これからも救い出してくださるという望みを」「神に置くことができる」のです。

■祈りによって

11あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。

 神様がパウロを救い出されたのは、パウロの祈りの答えでもあったでしょう。しかし、それと同時に、コリントの教会でパウロのための「多くの人々の祈りにより」とあるように、その祈りの答えでもあったのです。
 「あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。」パウロは、祈りによって支えてくれているコリントの兄弟たちが、これからも祈りによってパウロの福音宣教の働きに参加してくれることを願うのです。それは、パウロのために祈っていてくれる多くの人々が、またこれからも祈ってくれるであろう多くの人々が、パウロに与えられた恵みのゆえにパウロといっしょに「感謝をささげるようになるためです」。

エペソ人への手紙6:18「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」

 私たちの教会が、教会に集う方たちのために互いに祈り合う教会であることを、またその祈りの交わりが豊かに築かれている教会であることを感謝します。神様により頼む、多くの人々の祈りによって支えられ、また支えていく私たちでありたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年11月4日