ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2012年12月2日
2012年12月2日 主日礼拝説教
「私たちの主イエスの日に」(コリント人への手紙第二 1章12節〜17節)
1節から11節まででパウロは、コリント教会へのあいさつと、感謝を語りました。その中で、苦難の中から体験した慰め主である神様に賛美をささげました。そして、自分も神から受ける慰めによって、苦しみの中にいる人を慰めることができる者とされていることを感謝しました。
12私たちがこの世の中で、特にあなたがたに対して、聖さと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動していることは、私たちの良心のあかしするところであって、これこそ私たちの誇りです。
パウロは「神の恵みによって行動」していると語りました。神様が私たちを選び、私たちを救ってくださるのは、私たちを通してご自分の恵みをすべての人に明らかにするためです。ですから救われた人は、自分自身の思いによってではなく、神様のみこころにすべてをゆだねて歩むのです。パウロはそのような思いで歩んできました。
神様が弱い私(パウロ)を聖め、尊い御用のためにお使いくださる。これこそが神様の恵みであり、この恵みがパウロにとっての「誇り」でした。パウロは、4章で自分のことを「土の器」と呼びます。
コリント人への手紙第2、4:7「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」
「土の器」とは、土から作られ土に帰る私たち人間、そして誇るべきものが人間の側には何もないことを言っています。さらにパウロは、11章で数々の苦しみの経験を書き連ねます。その中で、パウロはキリストの恵みと守りを覚え、自分の弱さを知ったのです。
コリント人への手紙第2、11:29−30「29だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。30もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。」
自分には誇るものが何もない。誇るとすれば、弱さだけ。だからこそ、神の恵みによって歩んで来ることができた。それだけがパウロにとって誇りだったのです。
そのパウロが、私は「聖さと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動して」きたと弁明したのはなぜでしょうか。それは、パウロはコリント教会の一部の人たちから、教会訪問の計画を変更して約束を破ったと厳しく非難されたからでした。さらにコリント教会の中には、パウロの使徒としての権威を認めようとしない動きがありました。
パウロはエペソにいる時、コリント教会を訪問する計画について、第1の手紙の最後でこう書きました。
コリント人への手紙第1、コリント16:5−6「5私は、マケドニヤを通って後、あなたがたのところへ行きます。マケドニヤを通るつもりでいますから。6そして、たぶんあなたがたのところに滞在するでしょう。冬を越すことになるかもしれません。それは、どこに行くとしても、あなたがたに送っていただこうと思うからです。」
パウロはコリントに行って冬を過ごしたいと言っていました。しかし、その手紙を送ってからさまざまな状況の変化があったのでしょう。コリント訪問の計画をこのように変更しました。13、14節を飛ばして15節から読みます。
15この確信をもって、私は次のような計画を立てました。まず初めにあなたがたのところへ行くことによって、あなたがたが恵みを二度受けられるようにしようとしたのです。16すなわち、あなたがたのところを通ってマケドニヤに行き、そしてマケドニヤから再びあなたがたのところに帰り、あなたがたに送られてユダヤに行きたいと思ったのです。
パウロは、新たにコリントを2度訪問するという計画を立てました。先ほどのコリント人への手紙第1、16章にあった計画を変えて、まずエペソから直接コリントに直行し、それからマケドニヤに行き、それからまたコリントに戻ることにしたのでした。
しかしこの計画もどういうわけかとん挫し、結局は最初の計画どおり、マケドニヤを通ってから、1回だけコリントに行くことになりました。
今パウロは、そのコリントへの旅の途中でした。コリントの教会では、パウロの変更の知らせのたびに失望し、コリント教会が軽く見られていると感じたでしょう。そのことについてパウロはこう言います。
コリント人への手紙第2、1:23「私はこのいのちにかけ、神を証人にお呼びして言います。私がまだコリントへ行かないでいるのは、あなたがたに対する思いやりのためです。」
このようにパウロが計画を変えたのは、「彼らに対する思いやり」のためでした。しかしこの2度にわたる計画変更は、パウロの信用を失墜させたようです。
17そういうわけですから、この計画を立てた私が、どうして軽率でありえたでしょう。それとも、私の計画は人間的な計画であって、私にとっては、「しかり、しかり」は同時に、「否、否」なのでしょうか。
コリントの教会の反対派は、パウロはうそつきだと非難しました。パウロの計画は「人間的な計画」であり、自分の好き勝手に立てているだけである。だからパウロが言ったり書いたりしていることは信用できない。パウロの「はい」は「いいえ」かもしれないし、「いいえ」と言っても「はい」のこともあるのだ、と。
ささいな誤解がさらに誤解を生み収拾がつかなくなりました。それが12節で「人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動してきた」とパウロが弁明した事情でした。
13私たちは、あなたがたへの手紙で、あなたがたが読んで理解できること以外は何も書いていません。そして私は、あなたがたが十分に理解してくれることを望みます。
自分が潔白である理由として、まず第一に自分が書いた手紙をあげます。パウロを非難した人たちは、「パウロの手紙は理解できない」とか「信用できない」とか言ったのでしょう。しか、パウロは、「あなたがたが読んで理解できること以外は何も書いていません」と言い切りました。
パウロはいつも12節「聖さと神から来る誠実さとをもって」行動してきました。決して人を欺こうなどとは考えず、考えたことを率直に書いただけです。だからパウロは、「あなたがたが十分に理解してくれることを望みます」と言ったのです。
14あなたがたは、ある程度は、私たちを理解しているのですから、私たちの主イエスの日には、あなたがたが私たちの誇りであるように、私たちもあなたがたの誇りであるということを、さらに十分に理解してくださるよう望むのです。
大部分の人はパウロを理解し、尊敬していました。だからパウロはその人たちを「誇り」と感じ、自分も「あなたがたの誇りとなる」ように願っていました。それは「私たちの主イエスの日」、すなわちキリストの再臨されるその時にすべてが明らかになるからです。
その時、コリントの教会の人たちのまごころも明らかになるし、またパウロの誠実と良心も明らかにされるのです。今はお互いの間にどんな誤解があろうと、私たちの主イエスの日にキリストの御前に立つ時、すべてが明らかにされ理解され、イエス・キリストの栄光が現されるのです。
コリント教会は、パウロの1年半におよぶ伝道の結果生まれた教会です。それは神様の恵みによってパウロが忠実に働いた結果でした。パウロは主イエスの日に、「主よ、コリント教会を御覧ください。私は、あなたからいただいた恵みによって、忠実に働かせていただきました」。そう言って、コリント教会を誇ることができるのです。
さらにコリント教会の人々も、イエス様の前でパウロたちのことを誇ることができると言うのです。なぜならコリント教会の人々が人間的な動機からパウロの教えに従ったのではなく、神様のみこころによるキリスト・イエスの使徒として受け入れたからです。
私たちの歩みもそうです。私たちは、人が何を言おうと、誤解されようと、あなたからいただいた恵みによって、十字架による救いを信じ、罪ゆるされる者となりました。ただそれだけに従って歩んできました。そのことが「私たちの主イエスの日」に、再臨のキリストの前に立った時に明らかにされるのです。
私たちは、今週もみことばに従い、「人間的な知恵によらず、神様の恵みによって行動」する者たちでありたいと思います。
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