ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年12月16日


2012年12月16日 主日礼拝説教
「神から出た教え」(使徒の働き5章27節〜42節)

■はじめに

 大祭司たちに捕らえられた使徒たち。しかし、主の使いが牢の番人たちを眠らせ、かぎをあけ、使徒たちを助け出し、「行って宮の中に立ち、いのちのことばを、ことごとく語りなさい」と命じました。神様は、神のことば、いのちのことばを語ることに妨げがあってはならないことを願っておられたのでした。

■議会の尋問

 エルサレム神殿で夜明けと同時に語り始めた使徒たちが、もう一度ユダヤ議会に連れ戻されるところから始まります。

27彼らが使徒たちを連れて来て議会の中に立たせると、大祭司は使徒たちを問いただして、28言った。「あの名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい、そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているではないか。」

 大祭司は、1回目の逮捕、裁判のときに伝えた説教禁止命令、「いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない」(4:18)と命じたことに基づいて尋問を始めました。それと、「あの人の血の責任を」われわれユダヤ指導者に負わせている。この2つが訴えの内容でした。大祭司は「イエス」という名を使いたくなかったので、「あの名によって」、「あの人の血の責任を」とぼかして語ります。
 彼ら大祭司たちは、イエスを合法的な裁判で死刑としたのであって、何の落ち度もない。それを使徒たちが十字架刑は殺人であったと断言し、ユダヤ指導者たちに神のさばきがあることを人々に教えたというのです。
 「あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているではないか」と非難していますが、イエス様の十字架のときに、ユダヤ人民衆はこう叫びました。

マタイの福音書27:24−25「24そこでピラトは、手を洗って言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」25すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」」

 ペテロは今までの説教のなかで、ユダヤ人たちが十字架をつけたことを何度も説教で語りましたが、それは知らないでしたことであり、また神様のご計画でもあったので、悔い改めてイエス様を信じるように勧めたのでした。それを大祭司たちは十字架につけたこと、「血の責任をわれわれに負わせようとしている」ことだけを問題にしたのでした。

■私たちは証人です

 それに対してペテロたちは答えました。

29ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。

 この答えは、「ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください」(4:19)と同じでした。また先週の主の使いのことば、「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさい」(5:20)も、神様からの命令であって、これも人間のことばよりも優先されるべきものでした。

30私たちの父祖たちの神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。31そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。

 ペテロは、十字架につけられて死んだイエス様をよみがえらせたお方はユダヤ人の父祖たちの神であることを改めて指摘しました。しかしイエス様は、その罪を犯してしまったイスラエルの民に悔い改めと罪の赦しを与えてくださいます。ペテロは、裁判を受けながら、逆にさばいている側にいるユダヤ指導者たちに神様の恵みの福音を語りました。

32私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」

 このことも今までの説教でペテロが語っています。

使徒の働き2:32「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」

使徒の働き3:15「神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。」

 今回は、聖霊も証人であると語りました。聖霊が使徒たちに、イエス様が救い主であることを証しさせていたのです。そのことは、イエス様は最後の晩餐で語りました。

ヨハネの福音書15:26「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」

 ペテロたちは、イエス様が捕らえられた時みな逃げ出してしまったような者たちでした。しかし、それでも悔い改めて赦され、このように証人となることができたのです。どうか、ユダヤの指導者のみなさん、私たちはあなたがたに血の責任を負わせようとしているのではありません。私たちと同じように悔い改めて、赦されて、イエス様を神様、救い主と信じてくださいと勧めたのでした。

■ガマリエル

33彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。

 しかし、ここで思いがけない発言が起こります。

34ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。

 パリサイ人はイエス様としばしが対立していたユダヤ教の一派でした。しかし、イエス様の教えに好意的なパリサイ人もいたことが聖書に載せられています。また後に使徒となるパウロも、パリサイ人の一人であり、このガマリエルの教えを受けた弟子でした。
 ガマリエルは、使徒たちの扱いには慎重に扱うように提案しました。人間が始めたことであれば、特に議会が反対しなくても消えてしまう。指導者が死んでしまっているのだから、その弟子たちの熱意もさめ、運動は下火になるだろう。神に導かれているのであれば、これに逆らうことは危険であると語りました。下火になった例として、「チゥダ」と「ガリラヤ人ユダ」の反乱を引きました。

38そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。39しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」

 議会は、キリスト教に対して行動を起こすべきではありません。神に由来するものであるなら、人間の反対を乗り越えてしまうでしょう。神に敵対する者となり、かえってわれわれが神のさばきを受けることになります。
 ガマリエルの提案によって、裁判は終わりとなり、使徒たちを呼び入れ、むち打ちと、再度イエスの名によって語ってはならないと言い渡して釈放しました。

■神から出た教え

41そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。42そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。

 使徒たちは、むち打ちによって血みどろになったでしょう。むち打ちとはそれほど厳しい刑でした。それでもひるまず、喜びで満ち、議会の命令に従わずイエス様のことを宣べ伝えたのでした。
 これは、イエス様の御名のゆえの苦しみであり辱めでした。イエス様のために投獄されたパウロは、その牢獄の中から苦しみも神様が下さった賜物であると語りました。

ピリピ人への手紙1:29「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」

 このように言うことができたのは、この教えが神様からのものであるということ、イエス様は死んだままではなかったということ、イエス様は復活なされ今も生きておられることを知っていたからでした。
 ガマリエルが、人間から出た教えならば、指導者が死んだのだから自滅してしまうと言いました。しかし、そうではありませんでした。イエス様は十字架にかかり、罪の赦しを私たちに与えてくださいました。そして、復活し今も生きておられるのです。その教えは、自滅することなく、いつまでも、どこまでも、そしてこれからも、そのことを聞いた人たちが、苦しめられても、たとい殺されるようなことがあっても語り続けるのです。
 「もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう」というガマリエルのことばは真実でした。イエス様の十字架による救いは、神からの教えでした。
 私たちは、このような愛とあわれみに満ちた神様からのまことの教えを信じることができました。そのように信じる賜物を与えてくださったことを、今日も感謝して、1週間を歩み出し、来週のクリスマスを迎えたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2012年12月16日