ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年2月9日


2014年2月9日 主日礼拝説教
「慰められた人たち」(使徒の働き20章1節〜16節)

■はじめに

 パウロのエペソ滞在中の終わりごろに起こった騒動。それは、エペソのアルテミス神殿の模型を作っていたデメテリオが、パウロの伝道のおかげで自分たちの商売が危うくなってしまったと同業者に訴えたことから始まりました。パウロたちが手で作られた物など神ではないと教えていたからでした。
 同業者同士で始まった騒動はしだいに大きくなり、エペソの野外劇場に集まった群衆は大混乱に陥り、めいめい好き勝手なことを言って騒ぎ立て、それが2時間にも及びました。この騒動も、ようやく町の書記役によって解散させられました。その騒ぎが治まったところから20章が始まります。

■マケドニヤへ、そしてコリントへ

1騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した。

 アルテミスを巡る騒動が治まったあと、パウロはこれ以上エペソにいるとまた問題が持ち上がるのではないかと思い、かねてから計画していたマケドニヤとアカヤを通ってエルサレムに帰るために出発しました。パウロは、エペソの信徒たちに別れの説教を語り「マケドニヤ」に向かいました。
 コリント人への手紙第2を見ると、パウロはまずトロアスに行き、そこでコリントからやってくるテトスに会おうと待っていました。テトスはコリント教会の紛争を解決するため、パウロの手紙(その手紙は今は残っていない)を持ってコリントに行きました。その結果がどうなったかと、パウロは不安を抱えながらエペソを出発しました。

コリント人への手紙第2、2:12−13「12私が、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、主は私のために門を開いてくださいましたが、13兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがなく、そこの人々に別れを告げて、マケドニヤへ向かいました。」

 パウロはテトスに会えませんでしたが、トロアスで「主は私のために門を開いてくださいました」とあるように、パウロによる伝道によってクリスチャンが生まれました。しかし、なおコリントへの不安な思いを抱きながら、マケドニヤでテトスに会えるだろうと思い、海を渡ったのでした。
 マケドニヤ(ピリピ)に着くと、テトスがコリント教会の良い知らせを携えてやってきました。

コリント人への手紙第2、7:5−6「5マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。6しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。」

 そしてパウロは、ここからコリント人への手紙第2を書いて、またテトスに託してコリントに送ったのでした。

2そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。

 それからパウロは「ギリシヤ」(アカヤのコリント)に着きました。「その地方を通り」とある間、パウロはイルリコに行って伝道しました。

ローマ人への手紙15:19「その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。」

 このローマ人への手紙は、コリントに着いてから書かれたものです。

■マケドニヤへ、そしてトロアスへ

3パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。

 パウロはコリントで「三か月」を過ごしました。それは冬の時期で、エルサレムへの船便がなかったからでした。春になって船でシリヤに行こうとしましたが、船上でパウロを襲おうとするユダヤ人の陰謀があることがわかり、予定を変更し、陸路でマケドニヤに戻り、そこから船に乗ることにしました。
 この時に同行したのは7人でした。

4プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していたが、5彼らは先発して、トロアスで私たちを待っていた。

 彼ら7人のある人たちは、マケドニヤとアカヤの教会の代表として、教会が集めたエルサレム教会への献金を持っていく人たちでした。2人目の「テサロニケ人アリスタルコ」は、先回エペソのアルテミス騒動の時に捕らえられた人でした。また27章に、パウロがローマに護送される時にも同行者として出てきます。6人目の「アジヤ人テキコ」は、パウロの手紙に多く載せられている人です。
 彼らはパウロより先に出発してトロアスに渡りました。ここで「私たちを待っていた」のでした。ここから、「私たち」とあるように、著者ルカが同行したことがわかります。

6種なしパンの祝いが過ぎてから、私たちはピリピから船出し、五日かかってトロアスで彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。

 「種なしパンの祝い」は過越の祭りのことです。その時にイエス様は、私たちの罪を赦してくださるために十字架にかかり、3日目によみがえりました。ですからパウロは、ピリピ教会でイースターを祝ったのかもしれません。そこから船で皆が待っているトロアスに向かいました。

■トロアスでの集会

7週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。

 トロアス教会でのことです。「週の初めの日」、日曜日にパウロの説教を聞くため、また「パンを裂くため」(聖餐式)に集まりました。ここから教会が日曜日に礼拝を守っていたことがわかります。
 人々の仕事を終えて、日曜の夜に集会が行われました。それが「夜中」まで続きました。パウロは数時間以上の説教をしたかもしれません。このような長時間の集会で、仕事の疲れが出、またランプの油で眠くなる人も出てきました。

9ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。10パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、「心配することはない。まだいのちがあります」と言った。

 「青年」は8〜14歳くらいの若者を指すことばです。ユテコは、パウロの長い説教と疲れに眠くなり、開け放たれた3階の部屋の窓から落ちてしまいました。驚いた人たちが階下に降り、抱き起こしてみると、青年はすでに死んでいました。
 「まだいのちがあります」とは、ユテコは死んだけれどもその中にいのちがあるということです。ペテロが9章でヨッパのタビタ(ドルカス)を生き返らせた奇蹟と同じものです。パウロはユテコを生き返らせました。

11そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した。

 思いがけないことが起こって集会が中断したあとさらに続けられ、聖餐式と、愛餐と呼ばれる食事をし、さらに明け方まで語り合いました。生き返った青年ユテコの出来事は、人々に慰めと、神の力のすばらしさを伝えました。

■ミレトへ

13さて、私たちは先に船に乗り込んで、アソスに向けて出帆した。そしてアソスでパウロを船に乗せることにしていた。パウロが、自分は陸路をとるつもりで、そう決めておいたからである。

 ルカとそのほかの人たちは船で「アソス」向かいましたが、パウロは一人陸路を行きました。アソスで落ち合い、船で「ミテレネ」、「キヨスの沖」、「サモス」、「ミレト」と進みました。

16それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである。

 パウロは急いでいたので、エペソに立ち寄らないことにしていました。それで、ここ「ミレト」にエペソの長老たちを呼び寄せて、お別れを言うことになります。
 パウロたちは「五旬節の日」までにエルサレムに着いていたいと考えていました。それは過越祭りから50日目、ペンテコステの祭りの日でした。。

■慰められた人たち

 12節に「人々は慰められた」とあります。それはパウロの説教によって、また「パンを裂く」という聖餐式を通して、「食べて」とあるように皆で食事と交わりを楽しんだことによって、さらにユテコを生き返らすという奇蹟を見て、彼らは慰められたのでした。
 この慰められるということばは、「励ます」ということばの受身形です。1、2節に出てくる「励ます」がそうです。神様が御霊の働きを通してみことばによって、聖餐によって、交わりによって、私たちを励ましてくださり、私たちはそれによって慰められるのです。
 私たちは、教会で、神様によって励ましを受け、慰められています。そのような歩みをこれからも続けていきたいと思います。


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