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2014年2月16日 主日礼拝説教
「涙をもって主に仕えました」(使徒の働き20章17節〜27節)
パウロの第3回伝道旅行が終わりに近づいてきました。19章1節で、パウロはアジヤ州の首都であるエペソにやってきました。その前の第2回伝道旅行の時には、願いながらも寄ることができなかったエペソでした。ここでパウロは3年間、そのうちの2年間はツラノの講堂を借りて伝道しました。それが、アジヤ州全体に福音が広まるようになり、各地に教会が建てられていきました。
滞在期間の終わり近くに起こったアルテミス神殿をめぐる騒動が終わり、パウロはマケドニヤ、アカヤに行き、さらに同じく陸路を通ってマケドニヤまで引き返し、トロアスにやってきました。そこで、週の初めの日、日曜日の夜、送別会を兼ねたパウロの説教と聖餐式の集会がありました。集会中に青年ユテコが眠くなって3階の窓から落ちて死ぬという出来事が起こりました。しかし、ユテコはパウロによって生き返らされ、人々に大きな慰めを与えたのでした。
翌日、トロアスから船出し、シリヤに向け急いで出帆しました。何とか五旬節の祭りまでにエルサレムに着きたいと願っていたからでした。こうしてパウロたちはミレトまでやってきました。パウロは、ミレトにエペソの長老たちを呼んだのでした。
17パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。18彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。「皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。
パウロはエペソの長老たちにお別れ説教を語るのですが、今日の27節まではパウロがエペソでどのように生活してきたかを語ります。28節からは長老たちに、今後のエペソの教会についてどうあるべきか、その勧めと警告を語ります。
最後のお別れ説教ということで、パウロの死を見つめた遺言のようなことばが随所に見られます。今日の箇所で言えば、24節「私のいのちは少しも惜しいとは思いません」、25節「私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています」などです。
これはパウロがエペソの長老に語ったものなので、今でいう牧師や長老たち、教会の信徒たちを守り、導いている人たちはどうあるべきかを教えている説教でもあります。
まずパウロは、アジヤ州のエペソに来てどのような働きをしたかを語りました。第2回伝道旅行の帰りに少しエペソによってユダヤの会堂でお話ししたこと、そして今回の3年間のエペソで過ごしたこと、私が何をしてきたか、あなたがた長老たちはよくご存知でしょうと語るのです。
このように、自分の過ごしてきたことを思い出させようとする話し方は、パウロの手紙によく出てきます。
19私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。
パウロは自分のことをキリストのしもべと呼び、そのようにして歩んできました。パウロは、すべての働きが「主に仕える」ものであったことを証ししました。「主に仕えるように」は、すべてのクリスチャンたちに言われていることです。
コロサイ人への手紙3:23「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」
そのような思いで行ったパウロの働きは、まずそれが「謙遜の限りを尽くした」ものでした。これは、自分を低くし、自分のためには何も要求しなかったということです。
コリント人への手紙第2、11:7「それとも、あなたがたを高めるために、自分を低くして報酬を受けずに神の福音をあなたがたに宣べ伝えたことが、私の罪だったのでしょうか。」
「涙をもって」とは、回心した人たちに抱くパウロの思いでした。魂への深い思いやりの心です。
ピリピ人への手紙3:18「というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。」
3つ目は、「わが身にふりかかる数々の試練の中で」とあります。どのような試練の中でも、負けることなく忍耐をもって歩み続けたことです。ユダヤ人からの迫害があっても、もう引き下がってしまおうとの誘惑の思いを振り切って働き続けました。
20益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、
エペソでの働きは、「人々の前でも」とあるユダヤ会堂とツラノ講堂でなされたものや、「家々」を訪問して行われたものもありました。場合によっては歓迎されないことがあっても、聞いている人に「益になる」と思ったら、決してやめることなく語り続けました。
21ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。
ユダヤ人にもギリシヤ人たち異邦人にも、罪を「悔い改めて」神様に立ち返り、信仰による救いを語りました。
22いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。
パウロの旅は、聖霊の導きによって進んできました。今は「心を縛られて、エルサレムに上る途中です」と語りました。パウロがそう決心したということです。聖霊はエルサレムでパウロに何が起こるのか、そのあとどうなるのかを具体的に示していませんでした。ですからパウロはコリントで書いたローマ人への手紙このように書きました。
ローマ人への手紙15:30−31「30兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。31私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。」
けれどもパウロは、今までのいろいろな都市での場合もそうであったように、エルサレムで迫害にあうことは、聖霊によって教えられていたのでした。
24けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。
エルサレムでどんなことが起こるかわかりませんが、それが死に至るものであるかもしれない。もしそうなってもパウロはそれに対する心備えができていました。パウロはどのような迫害にあおうとも、自分のいのちを失うことを惜しいとは思ってもいませんでした。パウロは、神様から与えられた使命を忠実に果たし、自分の生涯を走り通すだけでした。それでパウロはこれからローマに行き、さらにイスパニヤにまで宣教したいと望んでいたのでした。
パウロは、エペソにもう二度と立ち寄ることがないだろうと思っていました。しかし、パウロのその後の歩みを手紙から見ると、何回かアジヤに来たことがわかります。
テモテへの手紙第1、1:3「私がマケドニヤに出発するとき、あなたにお願いしたように、あなたは、エペソにずっととどまっていて、ある人たちが違った教えを説いたり、」
パウロはこの時、エペソでテモテと別れ、マケドニヤからこのテモテへの手紙第1を書きました。
テモテへの手紙第2、4:13「あなたが来るときは、トロアスでカルポのところに残しておいた上着を持って来てください。」
パウロはトロアスのカルポの所に上着を置いてきたのでした。
27私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。
パウロは涙をもって主に仕えました。そして「神のご計画の全体を、余すところなく」みことばを語りました。
20節「益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました」。それは、24節「主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかし」したことでした。自分は「罪人のかしら」であると語っていたパウロが、救われるに値しないパウロが、クリスチャンたちを迫害していたパウロが救われました。これこそ「神の恵み」であることを、神様のみこころによって選ばれたパウロが最も感じたことだったでしょう。
パウロが伝えたことは27節「神のご計画の全体を、余すところなく」でした。神様のご計画の全体は、イエス様の十字架によって罪が赦され、神の子とされ、天の御国に入ることができるようにしてくださったことでした。それが、21節「神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰」によって与えられるのでした。それらを伝えること、それが、パウロが涙をもって主に仕えることでした。
パウロの、魂に対する思い、主に仕える思いを私たちは知ることができます。今日も、そのような福音を私たちも知らされ、受け入れることができたことを感謝したいと思います。
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