ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年2月23日


2014年2月23日 主日礼拝説教
「聖なるものとされた人々」(使徒の働き20章28節〜38節)

■はじめに

 パウロは第3回伝道旅行から帰る途中、船でミレトに立ち寄りました。そこからエペソの長老たちを呼び寄せて、お別れの説教をしました。先週はその前半、パウロがどのようにエペソで伝道してきたかを長老たちに語った箇所を学びました。その働きは「涙をもって主に仕えるように」、エペソの人たちにイエス様の教えと神様のご計画を余すところなく語ったことでした。それは、主に仕えるように人に仕えることを実践したパウロの生活でした。
 今日は、パウロのお別れ説教の後半で、教会に立てられた長老たちに対する注意、助言、警告などが語られていきます。

■気を配りなさい

28あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。

 パウロは、長老たちにとって、この務めに召されたことがいかに光栄あるかを思い起こさせます。
 まず何よりも、彼らは自分自身の霊的な状態に気を配らなければなりません。指導者が神様に忠実でなければ、教会の人たちに同じことを期待することができないからでした。同じことをパウロはテモテにも語りました。

テモテへの手紙第1、4:16「自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。」

 ここで「群れ」ということばが出てきます。パウロはその群れを「神の教会」と言っています。群れとは、神の民を指すことばとしてイエス様も使いました。

ルカの福音書12:32「小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」

 パウロは長老たちに、あなたがたは教会である「群れ」を牧する「監督」として立てられたと言いました。パウロは手紙の中で、教会の指導者のことを監督と呼んだり、長老と呼んだり区別なく使っています。
 もともと長老はユダヤ教の指導者のことでした。それがそのまま、キリスト教会にも使われ、指導者を長老と呼ぶようになり、しだいに、年取った人、老人という意味に取られないように、働きを表す「監督」ということばが使われてきたのではないかと言われています。
 それら長老たちに対して、このような働き、「監督」に任命されたのは、聖霊によって神様がお選びになったからでした。これが、長老の働きがいかに光栄あるものであるかの理由でした。
 パウロは、教会とはどのようなものであるかを語りました。教会とは、「神の教会」でした。教会は、神ご自身であられるイエス様がその血を代金として支払って買い取られたものだからです。そのような教会の長老に、あるいは監督に聖霊が任命されました。父なる神様、子なる神様であられるイエス様が教会をご自分のものとされ、聖霊がその教会の指導者として立ててくださったのでした。
 それほどの光栄ある働きであり、聖なる職務なので、自分自身の歩みに気を配りなさい、気をつけなさいというのです。そして、群れ全体に気を配りなさいというのです。これから後、群れに、あることが起こるからでした。

■群れを荒らす者たち

29私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。

 教会に「狂暴な狼」が外から入り込むのです。それは、異端の教師でした。すでにパウロが訪問してきたコリントの教会でもそれが起こっていました。

コリント人への手紙第2、10:13−14「13こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。14しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。」

30あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。

 外からではなく、内側からも現れてきます。外からの異端者、偽使徒とともに、エペソのある信徒も、その「曲がった」教えを受け入れて、教会の人たちを間違った教えに引き込もうとします。パウロが、コリントから書いたローマ人への手紙にも書きました。

ローマ人への手紙16:17−18「17兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。18そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。」

■目をさましていなさい。

 それだから、何が正しいことかをいつも覚えているために、パウロはこうお願いするのでした。

31ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。

 「目をさましていなさい」「思い出してください」。羊飼いは羊のために、夜も寝ないで狼がやって来るのを見張っています。羊の群れを守る者は「目をさまして」いなければなりませんでした。パウロはそのように教え、実践してきました。パウロは、エペソで3年の間「夜も昼も」教え、訓戒してきました。

32いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。

 パウロは、そのような厳しい、何が起こるかわからない状況に置かれているエペソの長老たちを神様にゆだねました。「恵みのみことば」にゆだねたのでした。神様が恵みによって、みこころのうちに選び、立ててくださった長老たちでした。この長老たちが恵みのみことばを伝え、みことばに忠実に従おうとするならば、長老たちは養われ、彼らの民たちとともに御国を受け継ぐ祝福にあずかるのです。
 パウロがエペソでしてきたこと、教えたことを思い出し、またゆだねられた聖徒たち(「聖なるものとされた人々」)があなたがたとともに御国を受け継ぐ者となるというすばらしい約束を覚えて、長老・監督の職を全うするようにと教えました。

■弱い人たちに対して

 そして最後に、教会では弱い人たちを支えなさいと勧めます。パウロはエペソ伝道の3年間、何の報酬も求めませんでした。パウロは、教会からの援助は感謝して受け取りましたが、自らの生活を支えるために仕事をしました。教会は、パウロの生活を支えるための重荷はなかったのでした。

35このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」

 パウロの生活は、「弱い者を助けなければならないこと」と、またイエス様の「受けるよりも与えるほうが幸いである」ということばに従ったものでした。イエス様のことばは、受ける人と与える人のどちらが幸いかの比較を言っているのではなく、自分のために富を蓄えるよりも、他の人々を助けなさい。与える人になりなさいと言われたのでした。

36こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈った。

 パウロは、エルサレムで投獄されることを覚悟していました。パウロは死を覚悟しながら、エルサレムに行こうとしていました。長老たちは、もう二度と会えないかもしれないパウロとの別れに心を痛め、パウロを見送りました。

■聖なるものとされた人たち

 パウロの説教は、長老たち、教会の群れの指導者に語ったことですが、その中で、すべてのクリスチャンにも言われていることばがありました。32節「すべての聖なるものとされた人々」ということばです。
 クリスチャンは、神様の目には「聖なるものとされた人」と言われます。そう呼ばれるに値しない者ですが、イエス様の愛と義によって、私たちの罪をおおってくださったからです。

へブル人への手紙10:10「イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」

 イエス様が十字架で流されたご自身の血によって教会が贖われたように、私たち一人一人も、イエス様によって「聖なるもの」とされました。贖われた私たちの生涯をこれからも感謝して送りたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年2月23日