ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年3月9日


2014年3月9日 主日礼拝説教
「主のみこころのままに」(使徒の働き21章1節〜16節)

■はじめに

 パウロは第3回伝道旅行から帰る途中、船でミレトに立ち寄りました。そこからエペソの長老たちを呼び寄せて、お別れの説教をしました。

■ミレトからツロへ

1私たちは彼ら(エペソの長老たち)と別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。

 「私たち」、使徒の働きを書いたルカとパウロたち一行は、ミレトから南にある「コス」島に、そして翌日には「ロドス」島へ、そして南海岸沿いに航行して「パタラ」に到着しました。

2そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。3やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。

 パタラから、パウロたちは別の船に乗り換えました。ここからは海岸沿いでなく、パウロは旅を急いでいたので(五旬節までにエルサレムに着きたいと思っていた)、地中海を突っ切って、フェニキヤの「ツロ」を目指して航海しました。
 途中「キプロス」を左にして、つまりキプロス島の南側を通ってツロに上陸し、積荷を降ろしました。キプロス島は、パウロとバルナバが第1回伝道旅行で行った島でした。

使徒の働き13:4「ふたり(パウロとバルナバ)は聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。」

4私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。

 ツロで待ち時間がありました。パウロは、この待ち時間を使って、ツロにいるキリスト者を捜し出して交わりを持とうとしました。
 ここにいるキリスト者は、25年ほど前のことになりますが、かつてステパノへの迫害と殉教によって散らされた人たちと、彼らによって導かれた人たちでした。

使徒の働き11:19「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。」

 パウロと会ったツロのキリスト者のなかに、預言を語る人たちがいました。彼らはパウロに「エルサレムに上らないように」と警告しました。
 ツロの預言者たちは、パウロがエルサレムであう苦難を御霊によって示され、パウロに、そのような危険が待っているからエルサレムに行かないように引き止めました。しかし彼らには、パウロがエルサレムに行くことによって開けていく神様のご計画については知らされなかったのでした。
 ツロでの7日間が過ぎ、出帆の準備ができると、さらに旅を続けることになりました。ツロのキリスト者たちは、パウロたちを町外れの海岸まで見送りました。それには「妻や子どももいっしょ」でした。7日間だけの短い時間でしたが、パウロたち一行は教会員の家族と親しい間柄になったことがわかります。
 彼らは海岸で「ひざまずいて祈」りました。生きては二度と会うことはないかもしれない、次は天の御国での再会かもしれない別れでした。ミレトのエペソの長老たちとも同じような別れ方をしました(使徒20:36)。

■ツロからカイザリヤへ

7私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。

 ツロから「トレマイ」に着き、そこで船を降り「一日」滞在しました。トレマイにもクリスチャンがいて、パウロたちと親しく夜を過ごしました。
 航海は、実にていねいに正確に記録されていることがわかります。これを書いたルカが同行していたからでした。

8翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家に入って、そこに滞在した。9この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。

 翌日、7節に「航海を終えて」とあるので、そこから歩いて行ったのか、また船に乗って行った可能性もありますが(新共同訳は、「航海を続けて」)、トレマイを出発してカイザリヤに到着しました。
 カイザリヤには伝道者ピリポがいました。ピリポは、教会の食べ物の配給について世話をする役員として、ステパノといっしょに選ばれた7人のうちの一人でした。

使徒の働き6:5−6「彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。」

 ピリポは、ステパノの殉教のあとの迫害によってサマリヤに行き、そこで教会を立て上げました。その後、南に下り、そこを旅していたエチオピヤ人に伝道をし、洗礼をさずけ、そのあとみことばを宣べ伝えながら「カイザリヤ」に来ました。おそらくカイザリヤ教会を開拓し、そのままそこに住んでいたと思われます。

使徒の働き8:40「それからピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。」

 またカイザリヤは、10章で見たペテロが伝道した異邦人コルネリオがいた町です。

10幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。11彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。

 カイザリヤに滞在中、「アガボという預言者」がパウロのもとにやってきました。アガボは以前、エルサレムからアンテオケにやって来て、飢饉が起こると預言しました。

使徒の働き11:28「その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。」

 アガボは、象徴的な行為をしながら預言するという方法でパウロに告げました。イザヤやエレミヤ、エゼキエルなど旧約の預言者も、このような演技をしながら預言をすることがありました。
 アガボは、パウロの帯を自分の両手両足に巻きつけて、「聖霊がお告げになっています」と語りました。ユダヤ人がこのようにパウロを縛って異邦人、ローマ人に引き渡すであろう、と。
 このような劇的な預言を聞いて、同行者であるルカたちもいっしょになって、エルサレムでのパウロの身を案じて、エルサレムに行かないように勧めました。しかしパウロは、神様のみこころに従おうとする決意に変わりはありませんでした。
 パウロは親しい友人たちのことばに心を動かされましたが、パウロはそれ以上の、死ぬことさえも受け入れる覚悟ができていました。

■エルサレムへ―主のみこころのままに

14彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまった。

 パウロの決意に、友人たちはパウロを説得するのをあきらめ、パウロの神様への思い、「主のみこころのままに」ゆだねたのでした。

15こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。16カイザリヤの弟子たちも幾人か私たちと同行して、古くからの弟子であるキプロス人マナソンのところに案内してくれた。私たちはそこに泊まることになっていたのである。

 パウロたちはエルサレムに向かって出発しました。「旅仕度をして」とあるのは、馬を用意したという意味でしょう。カイザリヤからエルサレムまでおよそ100キロでした。馬を使えば2日の距離です。
 カイザリヤのキリストたちも同行して、「キプロス人マナソン」の家まで案内しました。最後のエルサレムへの道中は、たくさんの人に囲まれての旅となりました。
 エルサレムまでのパウロの旅を見ると、友人たちの反対にもかかわらず、それに心を動かされるようなこともあったでしょうが、「主のみこころのままに」従おうとする歩みでした。
 パウロは、ローマを見なければならない、ローマに行きたいという思いを持っていました。それが主のみこころであると確信し、それに向かって進んでいました。

ピリピ人への手紙2:13「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」

 ローマに行くことは神様のみこころであることが、エルサレムで捕まった牢の中でパウロは神様から知らされるのです。

使徒の働き23:11「その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」と言われた。」

 私たちは、パウロの主のみこころに従った生涯を思いながら今週は歩みたいと思います。


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