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2014年3月16日 主日礼拝説教
「神をほめたたえた」(使徒の働き21章17節〜26節)
パウロは第3回伝道旅行を終え、エルサレムに到着しました。帰りの船旅の途中、ツロとカイザリヤで「エルサレムに上らないように」と引き止められましたが、その声を振り切って、自分が神様に示されている道、神様のみこころはエルサレムへ、そしてローマへの伝道であることを確信して旅を続けたのでした。
17エルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで私たちを迎えてくれた。
エルサレムに到着すると、エルサレムのキリスト者たちはパウロを歓迎しました。これは、正式なエルサレム教会への挨拶ではなく、16節に出てきた「キプロス人マナソン」の家に、パウロと特に親しいキリスト者たちが集まってきたと思われます。22節にあるように、エルサレム教会のユダヤ人キリスト者は、まだパウロがエルサレムに来たことを知らなかったのでした。
18次の日、パウロは私たちを連れて、ヤコブを訪問した。そこには長老たちがみな集まっていた。
翌日、パウロたちは、エルサレム教会の指導者であった「ヤコブ」と「長老たち」を尋ねました。「ヤコブ」とは、イエス様の弟子であったヤコブではなく(そのヤコブは、すでに最初の殉教者として12章に出てきました)、イエス様の弟のヤコブで、イエス様の復活後イエス様を救い主として信じ、エルサレム教会の指導者となり、15章にあったエルサレム会議の議長を務めた人です。
パウロといっしょにエルサレムにやってきた「私たち」、この使徒の働きを書いたルカや、アジヤ、マケドニヤ、アカヤの教会の代表者たちも同席しました。そこで、異邦人教会で集められたエルサレム教会への献金の贈呈式があったと思われます。彼らはこのためにパウロに同行してきたのでした。
ここで「私たち」の表記は終わり、次は27章に登場します。
19彼らにあいさつしてから、パウロは彼の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ話しだした。
パウロは、第3回伝道旅行において神様の祝福と恵みがどのようであったかを報告しました。これは、第1回、第2回伝道旅行の終わりにも、エルサレム教会でしたことでした。
パウロの働きは、どの町でも、まずユダヤ人の会堂で始められました。しかしキリスト教に回心した多くは、ユダヤ人ではなく、会堂に出席していた異邦人や、会堂を出て行った伝道によって信じた異邦人たちでした。彼らのほとんどは、今まで律法や旧約聖書を全く知らなかった者たちでした。
パウロは、それは「神」様がなさったことであり、地の果てにまでイエス様の救いを宣べ伝えることが神様のみこころであったことを、エルサレム教会の指導者たちに知らせました。
異邦人伝道はアンテオケ教会の発案で始まりました。ユダヤ人中心の、ユダヤ人としての習慣を守りながら教会に加わった人たちが中心となっているエルサレム教会に対して、異邦人たちが救いに導かれたことを知らせるのは大切なことでした。
20彼らはそれを聞いて神をほめたたえ、パウロにこう言った。「兄弟よ。ご承知のように、ユダヤ人の中で信仰に入っている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです。
パウロの報告を聞いたエルサレム教会の指導者たちは、パウロの働きを認め、神様をほめたたえ、神様のなさることはすばらしいと神様を賛美しました。
このように、彼ら指導者たちはパウロを信頼していたのですが、エルサレム教会の中にはパウロの働きに対して批判的な、また警戒心を持っているキリスト者もいました。彼らは、パウロはすべての律法を否定していると考えていました。
ユダヤ人のなかでユダヤ教からキリスト者になった人たちは、「幾万となくあり、みな律法に熱心な人たち」でした。ヤコブは誇張して「幾万となく」と言いましたが、確かにエルサレム教会にはユダヤ人としての伝統を重んじるキリスト者たちがたくさんいました。そのことをどう調整させるか話し合ったのがエルサレム会議でした。議題は、異邦人クリスチャンに、ユダヤ人のように律法を守らせるべきかどうかでした。その決議内容は25節にあることでした。
25信仰に入った異邦人に関しては、偶像の神に供えた肉と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきであると決定しましたので、私たちはすでに手紙を書きました。」
しかし、その後もエルサレム教会に、回心したパリサイ人や元ユダヤ教祭司たちなどが増えていったでしょう。彼らはそれまでの生活様式や、律法を守るという生き方を捨てることができなかったのでした。
パウロもユダヤ人として、かつてはそうでしたが、異邦人への伝道を通して、より柔軟な態度をとるか、あるものは放棄してしまいました。
ピリピ人への手紙3:8「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」
割礼についてはこう教えました。
コリント人への手紙第1、7:18−19「18召されたとき割礼を受けていたのなら、その跡をなくしてはいけません。また、召されたとき割礼を受けていなかったのなら、割礼を受けてはいけません。19割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。」
しかしエルサレム教会のある人たちは、福音をそこまで理解することができませんでした。
21ところで、彼らが聞かされていることは、あなたは異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習に従って歩むな、と言って、モーセにそむくように教えているということなのです。
パウロは、ユダヤ人がクリスチャンになったときに、その子供に割礼を施さないようにと教えているという噂が伝わってきて、それをエルサレム教会のユダヤ人キリスト者たちは信じたのでした。
パウロは、異邦人のなかにいたユダヤ人たちに、割礼は個人の自由に任されていると教えたでしょう。
ガラテヤ人への手紙5:6「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。」
パウロは、律法を行うことと、信仰によって救われるという議論のなかで割礼を受けることの無意味さを語ることはあっても、ユダヤ人キリスト者の子供たちに割礼をしないようにとは勧めていませんでした。彼らの誤解でした。
そこで、指導者たちはパウロに1つの提案をしました。こうすることによって、パウロへの非難は誤解であることがはっきりするというのです。
エルサレム教会には誓願中のユダヤ人キリスト者が4人いました。彼らは、誓願の途中で何らかの事情によってきよめを受け、誓願が終わったら頭をそらなければならなかったのでした。パウロ自身も異邦人の地から帰ってきたので、きよめの儀式を受けなければなりませんでした。きよめの儀式を4人といっしょに行って、パウロ自身と4人のきよめの費用と、終わったあとの頭をそる費用をパウロが出してあげたらどうかという提案でした。パウロはこの提案を受け入れました。
パウロは翌日、神殿に行って、パウロ自身がきよめの期間に入ったことと、また4人の誓願者たちが、誓願期間が完了して神殿に供え物をささげる日を告げたのでした。
パウロは、救われるためには律法の行いは無力であり、キリストの十字架の死が私たちの罪の身代わりであり、その贖いによって罪が赦され、救われることを信じるだけでいいと教えてきました。その教えが多くの異邦人に受け入れられ、それに対してヤコブたちは「神をほめたたえた」のでした。そうであっても、パウロはこのとき、エルサレム教会の指導者たちの提案を受け入れ、誓願に対する律法をそのまま行ったのでした。
パウロはユダヤ人であり、ユダヤ人をつまずかせないように、ユダヤ人を救うために、本質的でない、どちらでもいいという問題には相手と同じ立場に立って振舞ったのでした。
このことは、日本人キリスト者として、日本の習慣、各地方、各家の習慣、しきたりにどう対処していくかについて、神様の導きを求めて行動することを教えられます。私たちが大事なのは、「愛によって働く信仰」であることを改めて覚え、私たちは自由に生きるために、イエス様が私たちの罪のために十字架で死んでくださったことを感謝したいと思います。
コリント人への手紙第1、9:19−20「19私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。20ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。」
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