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2014年3月23日 主日礼拝説教
「機会を十分に生かして」(使徒の働き21章27節〜40節)
パウロは第3回伝道旅行からエルサレムに帰ってきて、エルサレム教会の指導者たちに、異邦人伝道について報告しました。その時、エルサレムの指導者であるヤコブたちから、エルサレムのキリスト者たちにパウロに対する悪い噂が広まり、それが信じられていると言われました。それは、パウロがアジヤやギリシヤのユダヤ人たちに割礼を施すな、律法は守らなくてもよいと教えているというものでした。
そこで、なんとかその悪い噂を取り除こうと、ヤコブたちは一つの提案をしました。エルサレム教会の4人のユダヤ人キリスト者たちが今誓願を立てている。そのきよめと、また終わった後の頭をそる費用をパウロが立て替え、そのような誤解をといたらどうかというものでした。
パウロは、ユダヤ人にはユダヤ人のようにという原則のもと、どちらでもいいことは相手と状況にまかせるという考えで行動してきました。今回も、これに合わせてヤコブたちの提案を受け入れ、パウロは神殿に行き、きよめの期間が終わって供え物をささげる日時を告げました。そのきよめの7日目が終わろうとしていた時に、今回の騒動が起こりました。
27ところが、その七日がほとんど終わろうとしていたころ、アジヤから来たユダヤ人たちは、パウロが宮にいるのを見ると、全群衆をあおりたて、彼に手をかけて、28こう叫んだ。「イスラエルの人々。手を貸してください。この男は、この民と、律法と、この場所に逆らうことを、至る所ですべての人に教えている者です。そのうえ、ギリシヤ人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所をけがしています。」
神殿にいたパウロがアジヤからのユダヤ人たちに見られてしまいました。このときは五旬節でしたので、そのためにエルサレムにやってきたアジヤのユダヤ人たち、おそらくエペソからやってきたユダヤ人と思われます。
パウロはエペソに3年間も滞在していたのですから、彼らはパウロの顔も、パウロが教えていたことも知っていたと思われます。彼らは群衆を扇動して、パウロに暴行を加えようとしました。アジヤから来たユダヤ人たちは、パウロが「この民と、律法と、この場所に逆らう」ことを教えていると群衆たちを煽り立て、パウロが異邦人たちを神殿に入れ、神殿を汚したと叫びました。異邦人がここまで入って来ていると聞いて、群衆たちはすぐに扇動に乗せられてしまいました。パウロは神殿できよめの期間を過ごしていたのですが、群衆にはそれが見えなかったのでした。
ユダヤ人にとって、異邦人が入り込んで神殿を汚すことは大変な問題でした。異邦人は神殿の一番外側にある「異邦人の庭」まで入ることができましたが、それ以上は入るませんでした。「異邦人の庭」には、「異邦人がここから先に入ると死をもって罰せられる」という高札が掲げられていました。
きよめの儀式までしてユダヤ人のように、また律法を守ろうとしていたパウロが、異邦人を神殿の内側に入れることなどあり得ませんでした。
29彼らは前にエペソ人トロピモが町でパウロといっしょにいるのを見かけたので、パウロが彼を宮に連れ込んだのだと思ったのである。
「エペソ人トロピモ」とは、パウロといっしょに旅をしてきた8人のうちの一人でした。
騒ぎはすぐに拡大し、町中が大混乱になりました。群衆はみなパウロを捕らえる側になり、パウロを神殿の外に引きずり出しました。神殿の管理者は、すぐに神殿の門である異邦人の庭とその内側を仕切る門を閉鎖し、これ以上騒ぎが広まらないようにしました。
31彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。
騒動の報告は、エルサレムに駐屯しているローマ軍の千人隊長、「クラウデオ・ルシヤ」(23:26)にもたらされました。
ローマ軍の兵営は、エルサレム神殿にアントニア要塞と呼ばれる所に駐屯していました。エルサレムのローマ軍は760人の歩兵と240人の騎兵によって構成されていて、その長が千人隊長でした。
アントニア要塞の四角に塔があって、そこから神殿を見渡すことができました。そこで見張っていた兵士が騒動を見つけて、千人隊長に伝えたのでした。
千人隊長は暴動に対して迅速に行動し、「百人隊長」など部下をつれ現場に駆けつけました。ローマ軍の出動を見て、群衆はパウロを打つことをやめ後ろに引き下がりました。
33千人隊長は近づいてパウロを捕らえ、二つの鎖につなぐように命じたうえ、パウロが何者なのか、何をしたのか、と尋ねた。
千人隊長は、とりあえず騒動の原因となったパウロを逮捕しました。「二つの鎖につなぐように」とあるので、左右の腕を縛ったと思われます。カイザリヤで言われたアガボの預言は実現しました。
使徒の働き21:11「彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。」
千人隊長は群衆に、この男が誰なのか、何をしたのか尋ねました。しかし、混乱していたので何もわからず、それでパウロを直接取り調べようと、静かな「兵営」(アントニア要塞)に連れて行くことにしました。
35パウロが階段にさしかかったときには、群衆の暴行を避けるために、兵士たちが彼をかつぎ上げなければならなかった。
しかし群衆が騒ぎ出し、パウロを兵営へ連れて行こうと階段に差し掛かった時、邪魔をして通らせないようにしたため、パウロを「かつぎ上げなければならなかった」のでした。
「かつぎ上げる」など、ほんとうに見ていた人ではわからない細かい描写です。ルカが群衆の中にいたのでしょう。
37兵営の中に連れ込まれようとしたとき、パウロが千人隊長に、「一言お話ししてもよいでしょうか」と尋ねると、千人隊長は、「あなたはギリシヤ語を知っているのか。
千人隊長は、尋問のためパウロを兵営の中に連れて行こうとしましたが、パウロが担がれて行くその途中、人々に話をしたいと千人隊長に許可を申し出ました。千人隊長はパウロを、乱暴を働くような粗野なユダヤ人と思っていたので、パウロが当時の世界共通語であるギリシヤ語を話せることに驚きました。
38するとあなたは、以前暴動を起こして、四千人の刺客を荒野に引き連れて逃げた、あのエジプト人ではないのか」と言った。
ユダヤ人でないとすれば、最近エルサレムで起こった事件の首謀者であるエジプト人(お尋ね者になっていました)であると考えました。エジプトはギリシヤのアレキサンドロス大王の後継者であったプトレマイオス王朝が支配していたので、公用語はギリシヤ語でした。
39パウロは答えた。「私はキリキヤのタルソ出身のユダヤ人で、れっきとした町の市民です。お願いです。この人々に話をさせてください。」
パウロは、自分は神殿で騒ぎを起こす無法者ではなく、またエジプト人でもギリシヤ人でもない。自分は神殿を守る立場にあるユダヤ人であり、タルソの町の市民であり、市民権を持っている確かな身分の者であることを明かしました。
パウロはタルソ市民権だけではなく、さらにローマ市民権を持っていたのですが、今は人々に話をしたいためタルソ市民であることだけを明かしたのでした。
40千人隊長がそれを許したので、パウロは階段の上に立ち、民衆に向かって手を振った。そして、すっかり静かになったとき、彼はヘブル語で次のように話した。
許されてパウロは階段の上に立ちました。パウロが何かを話そうとする合図をすると、人々は静かになりました。パウロはユダヤ人たちに、彼らの日常語であった「ヘブル語」、正しく言えば「アラム語」で話し始めました。
このようにパウロは、もう一度戻って同胞ユダヤ人に、彼らが信じていて私も信じている、同じ私たちの父祖たちの神様がなさったことを語っていくのでした。
パウロの思いはいつも人々に、自分がこのようになってまで伝えたいものは何なのかを知らせることでした。パウロは、「人々に話をさせてください」と願いました。パウロはいつでも、その機会を待っていたのでした。
コロサイ人への手紙4:5−6「外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。」
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