ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年4月13日


2014年3月30日 主日礼拝説教
「あなたを遠く、異邦人に遣わす」(使徒の働き22章1節〜21節)

■はじめに

 エルサレムに帰ってきたパウロがエルサレム神殿にいた時、アジヤ(エペソ)から来たユダヤ人に見られ、パウロが異邦人を引き連れ神殿を汚していると訴えられ、大騒ぎになりました。そこにローマの千人隊長率いるエルサレム守備隊が出動してきて、騒ぎを治めるためにパウロをとりあえず逮捕しました。パウロは、連れられていく途中、千人隊長に許可を得て、騒動を起こしたユダヤ人たちに話をすることになりました。

■ユダヤ人パウロ

1「兄弟たち、父たちよ。いま私が皆さんにしようとする弁明を聞いてください。」

 「異邦人を神殿に連れて入っていない」ことを証明しようとするのが弁明ですが、パウロはそれには触れないで、自分の歩みを話すことによって、聞いている人々に、イエス様への信仰を持つように勧めたのでした。
 彼らの日常語である「ヘブル語」で話し始めたので、人々はパウロの話を聞こうと、さらに静かになりました。

3「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。

 パウロは、まず自分が忠実なユダヤ人であることを語りました。誕生はタルソで、育ちはエルサレムでした。パウロはかなり早い時期、少年時代の前からエルサレムに連れてこられたと思われます。さらにパウロは自分の受けた教育について語ります。
 「ガマリエル」は、パリサイ派の学者でした。ペテロが捕らえられた時に、ガマリエルは議会で発言しました。

使徒5:34「ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。」

 そのガマリエルのもと、「律法について厳格な教育を受け」ました。そしてパウロは「神に対して熱心な者」でした。

ガラテヤ人への手紙1:14「また私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。」

 でも私は、その熱心さのあまり、もっとすごいこともしましたと続けました。

4私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。

 私は、皆さんと同じように律法を熱心に守る者でしたが、その熱心さは、キリスト教を迫害し、信徒を死にまで至らせました。

ピリピ人への手紙3:6「その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。」

 確かにそうであり、そのパウロの熱心さは、ユダヤ教の指導者たちも証言してくれることでした。ダマスコにキリスト者を捕らえに行くための手紙を受け取ったことは、議会も知っていることでした。

■パウロの回心

 6節からは、パウロがダマスコへ行く途中、主イエス様に出会い回心した体験を語ります。

6ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。

 パウロが受けた光は太陽の光をもしのぐ強さでした。パウロは地面に倒れ、天からの語りかける声を聞きました。

7私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞きました。8そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ』と言われました。

 同行者たちは、光は見ましたが、それが誰なのか聞き分けられませんでした。

10私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる』と言われました。

 パウロがイエス様に対して「主よ」問いかけ、「私はどうしたらよいのでしょうか」と問いかけました。9章にはない表現です。パウロは、天から「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ」と言われ、自分が行ってきたことの罪深さがわかりました。
 パウロは、光によって目が見えなくなり、ダマスコまで手引きされなければなりませんでした。イエス様に会ったというしるしとして、パウロの目は一時的に見えなくされました。イエス様に会ったことが、パウロの使徒としての資格になりました。

コリント人への手紙第1、9:1「私には自由がないでしょうか。私は使徒ではないのでしょうか。私は私たちの主イエスを見たのではないでしょうか。」

■アナニヤが遣わされる

12すると、律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、13私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい』と言いました。すると、そのとき、私はその人が見えるようになりました。

 アナニヤは律法を重んじるユダヤ人でした。その評判が広まっていたことを語ることによって、律法を守ることと、キリスト教の信仰は両立することを示しました。

14彼はこう言いました。『私たちの父祖たちの神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。

 パウロは、「私たちの父祖たちの神」がみこころを知らされたことを語りました。ユダヤ人たちは、律法によって神のみこころを知らされていると誇っていました。その同じ神様が、パウロに「義なる方」(イエス様)を見させてくださり、パウロを選んでおられたことを告げました。
 律法によって神様を知るのではなく、イエス様に出会い、イエス様を知ることによって神様を知るようにしてくださったのでした。
 パウロが主の御声を聞かされたのは、自分の「見たこと、聞いたことの証人」とさせるためでした。パウロは立ち上がり、すぐさま迫害の罪が赦されたことを示す洗礼を受けました。

■神殿で見た幻

 17節からは、パウロがエルサレム神殿で見た幻について語ります。ここも9章には記されなかった部分です。

17こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、18主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。』

 パウロはエルサレムに戻って祈りのため神殿に入りました。祈っている時、パウロは幻を見ました。エルサレムのユダヤ人たちがイエス様についての証しを受け入れないので危険な状態になる。身の安全のため、エルサレムを離れなさい、と。
 しかしパウロは、自分の証しこそユダヤ人が耳を傾けるはずです、と答えました。自分がキリスト者を牢に入れ、鞭打っていたことをユダヤ人たちは知っています。ステパノを殺した時も、それに加わっていました。それらのことはユダヤ人たちがみな知っているからでした。

21すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす』と言われました。」

 ここでイエス様は、エルサレムを離れるのは安全のためだけではなく、異邦人に遣わすという目的であることをパウロに告げたのでした。

■主イエスを語る

 パウロはここで、弁明といっても実際にはイエス・キリストについて語りました。自分の救われた体験を語ることは、イエス様を語ることです。神様が遣わされた「義なる方」(14節)が今も生きておられ、パウロに現れてくださいました。パウロはそのお方を迫害してきましたが、アナニヤに「その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい」(16節)と言われ、罪を赦していただきました。
 その福音を遠く異邦人に伝えるために、私パウロは召されたけれども、それはすべての人のものであり、その罪の赦しがあなたがたエルサレムのユダヤ人たちにももたらされたことを、弁明を通して訴えたのでした。
 パウロは、自分の神殿に対する訴えを弁護することなく、ユダヤ人に救われてほしいと願ったのでした。

ローマ人への手紙10:1−2「1兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。2私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。」


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年4月13日