ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2014年4月20日
2014年4月20日 主日礼拝(イースター)説教
「勇気を出しなさい」(使徒の働き23章1節〜11節)
パウロが異邦人を引き連れ、神殿を汚していると訴えられて大騒ぎになったことが発端でした。これに対するパウロの弁明は、弁明というよりパウロがイエス様に出会い救われた証しでした。しかし、それがかえって騒ぎを大きくし、千人隊長は部下にパウロを兵営に連れて行き、鞭打ち尋問するように命じました。その時、パウロは自分がローマ市民権を持っていることを明かしました。
翌日、千人隊長はユダヤ議会を召集して、何が問題なのかを明らかにしようとしました。
1パウロは議会を見つめて、こう言った。「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」
まずユダヤ人からパウロへの告発理由(律法と神殿に逆らうことを教え広めている、パウロが異邦人を神殿に入れた)が述べられたでしょうが、ルカはそれを省略し、パウロの発言から始めています。パウロは、自分は良心の咎めを感じることは何一つしていないと答えました。
2すると大祭司アナニヤは、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打てと命じた。
アナニヤという名前はよくある名前で、パウロの回心の時にパウロの目を開け、神様からのことばを伝えた人も「アナニヤ」でした。今まで出てきた大祭司では「カヤパ」(イエス様の裁判をした大祭司)、「アンナス」(カヤパのしゅうと)などがいました。
「大祭司アナニヤ」はパウロの近くにいた者に、パウロの「口を」打つように(平手打ちをするように)命じました。アナニヤは、パウロの発言が嘘と見て、いらだたしさからパウロの口を打つように命じたのでした。アナニヤは尊大で短気な性格であったことが別の歴史書に出ています。
3そのとき、パウロはアナニヤに向かってこう言った。「ああ、白く塗った壁。神があなたを打たれる。あなたは、律法に従って私をさばく座に着きながら、律法にそむいて、私を打てと命じるのですか。」
パウロは、アナニヤの堕落ぶりの結末を預言して語りました。「神があなたを打たれる」は、後にアナニヤがユダヤ人に暗殺されたことによって成就しました。
「白く塗った壁」とは、偽善者であることを表現したことばです。裁判を不公正に振る舞おうとしているアナニヤに対する告発でした。イエス様は、偽善的なパリサイ人たちに言われました。
マタイの福音書23:27「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。」
議会の議員たちは、神によって任じられた大祭司に対してそのような呪いのことばをパウロが浴びせたことにびっくりし、パウロに発言の撤回を要求しました。それに対してパウロは、「彼が大祭司だとは知らなかった」(5節)と答えました。「まさかこのような命令を下す人物が大祭司だとは思わなかった」という皮肉を込めたパウロの言い方でした。パウロは、この裁判で公正な裁きがなされるとは思えなかったからでした。
6しかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」
議会は「サドカイ人、パリサイ人」の代表者も加わっていました。「サドカイ人」はローマ帝国の支持者であり、現状維持を願う貴族階級に属していました。「パリサイ人」はおもに律法学者で、ローマ帝国に対しては静かな抵抗者であり、復活を信じていました。
そこでパウロは、自分はパリサイ人であり、問題は復活を信じるかどうかであると叫びました。それはイエス様が復活したこと、そのイエス様がパウロに現れて、自分は異邦人へ教えを広めるように命じられたことを、またパリサイ人が信じている復活の信仰が、イエス様の復活によって明らかになったことをパリサイ人たちに訴えたのでした。
パウロがこのように語ったのは、あるいは会議を分断させるために意図的に発言したかもしれませんが、パウロの発言によって議会は大混乱に陥りました。議会の二つの党派は互いに論争を始め、収拾がつかなくなっていきました。
9騒ぎがいよいよ大きくなり、パリサイ派のある律法学者たちが立ち上がって激しく論じて、「私たちは、この人に何の悪い点も見いださない。もしかしたら、霊か御使いかが、彼に語りかけたのかもしれない」と言った。
ここで「パリサイ派のある律法学者たち」、彼らは少数ではありますが、キリスト者に対して寛容な態度をとりました。しかしこの発言によって、議会はさらに混乱と分裂を引き起こしていきました。
千人隊長は会議を中断し、何も得ることもなく、再びパウロを兵営に連れ戻すように命じました。
11その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」と言われた。
その夜、主イエス様がパウロに現れ、「勇気を出しなさい」と言われ、パウロの将来についてはっきり示されました。パウロのローマに行きたいという願いが神様のご計画でもあったこと、神様がパウロをローマまで導くことを約束されました。
「私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです」(6節)。パウロは議会で、問題は復活を信じるかどうかであると発言しました。
今日は、イエス様の復活をお祝いするイースターの日です。
イエス・キリストはゴルゴタの丘で十字架につけられました。金曜日の12時ごろから太陽は暗くなり、3時すぎにイエス様は息を引き取られましたしかし、イエス様はそれで終わりではありませんでした。
墓に葬られてから3日目、日曜日の朝です。その早朝、マグダラのマリヤたち、女の弟子たちが、イエス様が葬られている墓に訪ねたところ、お墓が空になっていること、そして御使いからイエス様がよみがえったことを知らされました。マリヤからの知らせを聞いた弟子のペテロとヨハネは、空になったお墓に駆けつけましたが、半信半疑のまま帰っていきました。
そのあと、イエス様はマグダラのマリヤにご自身が復活されたことを示されました。
ヨハネの福音書20:18「マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。」
しかし弟子たちは、まだ信じることができませんでした。彼らは、恐れのため部屋に閉じこもっていました。
同じ日曜日のお昼ごろ、エマオという村に向かって歩いていく3人がいました。クレオパたち2人の弟子とイエス様でした。しかし彼らは、復活を信じることができなかったので、そのお方がイエス様であることがわかりませんでした。イエス様がクレオパたちの目を開いてくださいました。彼らは、イエス様を目の当たりにして、イエス様が復活され生きておられることがわかりました。
彼らはすぐにエルサレムにとって返しました。復活されたイエス様にお会いしたことを弟子たちに話しました。しかし、それを聞いた弟子たちは、それでも信じることができませんでした。
日曜日の夜のことです。イエス様は、信じられずにいた弟子たちの部屋に現れまれました。
ルカの福音書24:36−39「36これらのことを話している間に、イエスご自身が彼らの真ん中に立たれた。37彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。 ……39わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」
それからは、誰も疑う者はありませんでした。「イエス・キリストは死からよみがえられた。私はその復活の主をこの目で見たのだ」と、自分のいのちをかけて伝えるようになったのです。
私たちはその人たちの証言によって、確かにイエス様が十字架で死んで、よみがえられたことを信じています。私たちは、イエス様によって救われました。どんなに私たちの心が罪深くても、イエス様は私たちすべての罪を引き受けて、私たちの代わりに十字架にかかってくださいました。そのことを信じれば、私たちの罪が赦されるという道を開いてくださいました。
そればかりではありません。イエス・キリストを信じる者は一人も滅びることなく、永遠のいのちを持つという約束を与えてくださいました。
今日イースターを迎え、復活の主イエス・キリストが最初の弟子たちに現れてくださったように、今日も私たちと共にいてくださることを覚えて歩み続けたいと思います。
ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2014年4月20日