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2014年5月4日 主日礼拝説教
「心を広くしてください」(コリント人への手紙第二 6章3節〜13節)
パウロは、6章1節から「神の恵みをむだに受けないようにしてください」「今は恵みの時、今は救いの日です」と語りました。3節からは、さらにパウロは「神とともに働く者」として、また「神の和解の福音」を宣べ伝える者として語っていきます。
3私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、
パウロは、神様の務めが「そしられないために」、また「人につまずきを与えないように」細心の注意を払って行動していました。また福音を宣べ伝えるために、さまざまな苦難の中を通りました。しかしその中でも、神様の恵みがいつもあふれていたことを語ります。
4節後半から5節までは、肉体的な苦痛をよく耐え忍んできた、自分の経験した患難を語りながら、神様の恵みを証しします。
4あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、5また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、
次に、そうした苦難の中でもどのように生きてきたか、また神様から与えられた霊的な恵みを証しします。6節からです。
6また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、7真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、8また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。
パウロは、これらを4節の「あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです」と、8節の「自分を神のしもべとして推薦しているのです」をサンドイッチにして、神のしもべとして歩んできたことを語ります。そして最後に、キリストのしもべの見かけ上の姿を語りながら、見えないところにある7つの本当のキリストのしもべの姿を語ります。
8私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、9人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、10悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、/貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。
「人をだます者のように見えても、真実であり」。パウロは反対者からにせ使徒と言われ、攻撃されていました。しかし、パウロこそキリストの真実を語り続けていました。
「人に知られないようでも、よく知られ」。パウロは取るに足りない、この世から見れば無視されるような者であったかもしれません。しかし、神様によってパウロの働きはよく知られていました。
「死にそうでも、見よ、生きており」「罰せられているようであっても、殺されず」。パウロはいつも死にさらされていました。しかしいつも生きていました。迫害の中、パウロに石が投げつけられたことがありましたが、殺されることはありませんでした。
コリント人への手紙第2、1:10「ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。」
それは、いつも神様の助けがあったからであり、キリストの救いを通して新しい力と恵みがいつもあり、永遠のいのちへの望みが与えられていたからでした。
コリント人への手紙第2、4:9−11「9迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。10いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。11私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。」
「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり」。パウロが語る福音の中に、悲しみを越える喜びがあふれていました。
コリント人への手紙第2、7:4「私のあなたがたに対する信頼は大きいのであって、私はあなたがたを大いに誇りとしています。私は慰めに満たされ、どんな苦しみの中にあっても喜びに満ちあふれています。」
それは「患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」(ローマ5:3-4)と言える生き方、また「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」(ピリピ4:4)と言えるキリストにある喜びでした。
「貧しいようでも、多くの人を富ませ」。パウロはこの世的に価値のあるものは、キリストのゆえに「損と思うようになった」(ピリピ3:7)と言っています。パウロは、どこからも報酬を受けず、天幕づくりをしながら伝道を続けました。しかしパウロの宣教によって、多くの人が霊的に富む者とされました。それは、キリストの十字架によって救われたからでした。
コリント人への手紙第2、8:9「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」
そして最後に「何も持たないようでも、すべてのものを持っています」。パウロの生涯は、キリストのためにすべてをささげ尽くした生涯でした。しかし、彼はすべてのものを持っていると言い切ることができたのでした。
ローマ人への手紙8:32「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」
パウロには神様の恵みがいつも注がれていました。「キリストを持つ」生き方とは、「悩み」「苦しみ」「嘆き」の中にありながら、「死にそうでも、悲しんでいるようでも、貧しいようでも」「見よ、生きており、いつも喜んでおり、すべてのものを持っています」と言える生き方です。
このようにパウロは、自分の生き方、キリスト者としての生き方である恵みを語って、11節からコリント教会の人々に「心を広くしてください」と語りかけます。
11コリントの人たち。私たちはあなたがたに包み隠すことなく話しました。私たちの心は広く開かれています。12あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。
パウロはキリストのしもべとしての状態を、率直に「包み隠すことなく」語りました。そして、その中にあふれていたキリストの恵みを語ってきました。
パウロは、コリント教会に対して心を開き、自分の子どもに対するように話しました。実際にコリント教会はパウロが生み、パウロが育てた教会でした。パウロはコリントで1年半、腰を据えて伝道しました。神様から「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」(使徒18:9-10)と励ましのことばを与えられた教会でした。
パウロは、コリント教会の人たちに「自分の心で自分を窮屈にしているのです」と語り、あなたがたは心を広く開いて、私のことばを受け取ってくださいと願います。
13私は自分の子どもに対するように言います。それに報いて、あなたがたのほうでも心を広くしてください。
パウロはコリントの人たちを「子どもたち」と語りました。パウロは愛する子どもたちが、自分が彼らに心を開いたように、彼らもまた心を開いてそれに答えてくれるように訴えているのです。
「心を広くしてください。」私たちも、パウロの懇願に心を開いて、今日のみことばのひとつひとつを心に留め、歩んでいきたいと思います。
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