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2014年6月8日 主日礼拝説教
「生きているイエス・キリスト」(使徒の働き25章13節〜27節)
パウロが第3回伝道旅行からエルサレムに帰ってきてからのことを読んでいます。パウロはエルサレムで神殿を汚したという誤解から、エペソから来たユダヤ人の扇動によって殺されそうになりました。そこにローマの千人隊長クラウデオ・ルシヤが率いる兵士たちがやってきて、パウロを鎖でもって捕らえました。その時パウロは群衆に、なぜこういうことになったのかを説明するため、イエス様に出会った次第を語りました。その夜、パウロは自分が市民権を持つ身であることを千人隊長に告げました。ここから、パウロの身柄はローマの側に移りました。
千人隊長のもとユダヤの議会が開かれましたが、議員であったパリサイ人とサドカイ人の間に、復活を信じるかどうかの違いから分裂が起こりました。その夜、主がパウロに現れ、「勇気を出しなさい。あなたはローマでわたしのことを証しすることになる」と告げました。
翌日、パウロを殺そうとする陰謀が発覚し、千人隊長はパウロをローマ総督ペリクスが駐在するカイザリヤに護送しました。ペリクスのもと裁判が始まりました。しかし判決が下されることなく裁判は閉廷され、しかも2年間パウロは牢に入れられたままにされました。
2年が過ぎ、ペリクスに代わってフェストが総督となってカイザリヤに着任しました。パウロの裁判が再開されましたが、そこでパウロはローマ皇帝に上訴すると発言し、フェストもそのことを認めました。今日はその続きになります。
13数日たってから、アグリッパ王とベルニケが、フェストに敬意を表するためにカイザリヤに来た。
この「アグリッパ王」は、12章に出てきた使徒ヤコブを殺した「ヘロデ王」の子どもです。歴史上では、12章のヘロデ王は「ヘロデ・アグリッパT世」、ここで登場したアグリッパ王は「ヘロデ・アグリッパU世」と呼ばれます。ヘロデ・アグリッパU世は、ローマからユダヤ北方に領地が与えられ、そこを支配していました。
一方「ベルニケ」もヘロデ・アグリッパT世の子どもで、ヘロデ・アグリッパU世の妹になります。ベルニケは、最初彼女の叔父にあたる人と結婚しましたが、死亡したため兄であるヘロデ・アグリッパU世と生活することになりました。しかしベルニケはまもなく再婚しますがうまくいかず離婚し、また兄のヘロデ・アグリッパU世のもとに戻って来ていました。
この二人「アグリッパ王とベルニケ」が、新しく総督になったフェストを訪ねて、カイザリヤにやってきたのでした。
14ふたりがそこに長く滞在していたので、フェストはパウロの一件を王に持ち出してこう言った。「ペリクスが囚人として残して行ったひとりの男がおります。
この滞在中にフェストは、ユダヤ教の律法違反で訴えられたパウロの裁判について、アグリッパ王に助言を仰ごうとしました。
フェストは、アグリッパ王に今までの裁判の経過を詳しく説明しました。エルサレムに行った時に、パウロの裁判を再開し早く有罪とするように訴えられたこと。それでカイザリヤで裁判を開くことになり、エルサレムからユダヤ人たちがやってきて、裁判が始まったこと。いざ裁判が始まってみると、問題にされている違反行為はユダヤ人の律法に関することであることがわかったことなどをアグリッパ王に語りました。
19ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。
最初の神殿を汚したという訴えが消えてしまい、論点はイエス様が復活し、今も生きているかどうかになっていました。フェストにとって、これがなぜ犯罪なのか、復活が本当に起こったことなのかは、どうしても理解できなかった点でした。しかも、パウロがそれを宣べ伝えていることが問題になっていたのでした。
ユダヤ人にとって、サドカイ派はもともと復活を信じていなかったので、イエス様の復活は受け入れがたいことでしたが、さばきの時に全人類が復活すると信じていたパリサイ派も、イエス様個人が復活したことなどありえないとしていました。
フェストはパウロに、宗教問題であるならエルサレムで裁判を受けるように提案しました。
21パウロは、皇帝の判決を受けるまで保護してほしいと願い出たので、彼をカイザルのもとに送る時まで守っておくように、命じておきました。」
この時パウロはフェストの提案を拒否し、ローマ皇帝に上訴できるローマ市民権を行使しました。
これらの説明を聞いたアグリッパ王は、自分がパウロの話を聞くことによって、フェストに協力する旨を申し出ました。それにアグリッパ王は、パウロの話を聞きたいという好奇心もありました。
23こういうわけで、翌日、アグリッパとベルニケは、大いに威儀を整えて到着し、千人隊長たちや市の首脳者たちにつき添われて講堂に入った。そのとき、フェストの命令によってパウロが連れて来られた。
翌日、アグリッパ王は総督の来賓として、荘重な儀式によって迎えられ、着席しました。そこに囚人パウロが連れてこられました。
フェストがパウロを紹介しました。パウロは、全ユダヤ人から死に値する罪で訴えられていて、「ユダヤ人がこぞって、一刻も生かしてはおけないと呼ばわ」っていたのでした。
フェストは、パウロが「死に当たることは何一つしていない」とわかっていました。それでも、パウロは無罪釈放になりませんでした。それは不思議な神様の導きによって、パウロを無事にローマに行かせるためでした。釈放されたらパウロはユダヤ議会に捕まり処刑されるか、暗殺されてしまうでしょう。
25私としては、彼は死に当たることは何一つしていないと思います。しかし、彼自身が皇帝に上訴しましたので、彼をそちらに送ることに決めました。
フェストは、パウロをローマに送ることにしたことを述べました。
26ところが、彼について、わが君に書き送るべき確かな事がらが一つもないのです。それで皆さんの前に、わけてもアグリッパ王よ、あなたの前に、彼を連れてまいりました。取り調べをしてみたら、何か書き送るべきことが得られましょう。27囚人を送るのに、その訴えの個条を示さないのは、理に合わないと思うのです。」
フェストは、皇帝(この時はネロが皇帝でした)に、囚人といっしょに何があったかの報告書を送らなければなりませんでした。明らかに無罪と思われるパウロを、囚人としてローマに送るためにフェストはどう報告書を書くか、また今までの経過に加えることがあるのかないのか困っていました。
今回、幸いにして、ユダヤ人のアグリッパ王の前で取り調べる機会が与えられたので、パウロをローマに送るための理由をより明確に文書にすることができるでしょうと、フェストはアグリッパ王に述べました。
この裁判で問題にしているのは、フェストも言ったように「死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張している」(19節)ということでした。ユダヤ教のパリサイ派の人たちが終わりの日にすべての人がよみがえると信じていることや、パウロが、エルサレムのユダヤ教議会で発言した、「私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです」(23:6)と言ったような、死者の復活の望みを持っている、そう信じているという論点から、もっと具体的に、イエス様の復活が実際にあったのか、それが歴史的事実であったかどうかになっていました。
パウロはこのあと、アグリッパ王とフェストに、自分の救われた証しと、その中でイエス・キリストが復活して今も生きていることを語ります。これが21章から始まった、2年以上続いたパウロ裁判の集大成、私たちにとっても、改めてイエス様が復活して今も生きておられることを聞く機会となるのです。
パウロの逮捕、投獄、そして千人隊長ルシヤのもとエルサレムで、護送されて総督ペリクスのもとカイザリヤで、また2年が過ぎて総督フェストのもとでの裁判、そして最後にアグリッパ王の前でのパウロの弁明と続いていきます。
これらを通してルカが伝えたかったことは、復活したイエス様でした。また、不思議な方法で、神様の守りと導きによってパウロがローマに行くことになったことでした。
私たちは、今も生きているイエス・キリストとともに歩むことができる幸いを感謝して、今週も過ごしたいと思います。
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