ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2014年7月13日


2014年7月13日 主日礼拝説教
「私たちのいのちは失われません」(使徒の働き27章1節〜26節)

■はじめに

 長かった、2年以上にわたるカイザリヤでの囚人生活を終え、パウロはローマへ護送されることになりました。

■カイザリヤからミラまで

1さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。

 ここから「私たち」が主語になります。著者のルカは、第3回伝道旅行から帰ってきて、パウロといっしょにエルサレムのヤコブを訪問した21章18節で消えてしまいます。これ以後ルカはパレスチナにいて、福音書の資料集めと、使徒の働きの前半部分であるペテロを中心としたエルサレム教会の情報を集めていたのではないかと言われています。

2私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。

 当時の地中海航海は沿岸から離れることなく航行し、また冬の航海は危険なため避けました。パウロたちが乗ったのは「アドラミテオ」(小アジヤのトロアスの南)から来た船で、百人隊長は、その寄港地のミラでイタリヤに向かう船に乗り換えようと考えていました。
 同行者に「テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコ」がいました。彼は、途中、自分の町であるテサロニケに帰ろうとして同じ船に乗り込んだのですが、途中の嵐のため、ローマまで行くことになったと思われます。

3翌日、シドンに入港した。ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。

 船はカイザリヤから出発し、海岸沿いに北上し、翌日「シドン」に入港しました。ここでパウロは、シドンの友人であるクリスチャンたちと会うために上陸を許されました。家での食事のもてなしと、旅に必要な贈り物を受けたと思われます。
 このように乗客が上陸するのは、船は入港のたびに荷物の積み下ろしがあり、時間がかかるためです。パウロは囚人であったため、船にとどめておくほうが安全だったでしょうが、特別便宜を図ってもらえたと思われます。

4そこから出帆したが、向かい風なので、キプロスの島陰を航行した。5そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した。

 シドンから安全を考えて、「キプロス」島の風の当たらない北側に回り込んで「キリキヤとパンフリヤの沖を航行」して、「ルキヤのミラ」までやってきました。

6そこに、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた。

 当時、エジプトの穀物をローマに運ぶため、「アレキサンドリヤ」から直接、真北のミラに行き、そこからイタリヤに、沿岸を離れずに行く航路がありました。パウロたち一行は、その船に乗るためにミラまでやって来たのでした。

■ミラから良い港まで

7幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、

 アレキサンドリヤからの船は、冬の天候になる前にイタリヤに到着できると考え出帆したのですが、ミラを出てすぐに北西の風(ほぼ向かい風)のためゆっくりと進み、「クニドの沖」までに相当の日数がかかってしまいました。通常ですとクレテ島の北側を通り、ギリシヤ沿岸に沿ってイタリヤに向かうのですが、北風を避けクレテの「島陰」(南側)を進みました。

8その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。

 ようやく「良い港」と呼ばれる避難場所に到着しました。すでに相当の期間を費やし、北風も続くようなので、これ以上航海を続けることは難しくなっていました。「断食の季節もすでに過ぎて」いました。航海ができない冬も間近に迫っていました。
 「断食の季節」は9月から10月にかけてのことであり、11月11日からは地中海航路は禁止されていました。これまで囚人の一員であったパウロが、ここで初めてこの航海に対して意見を述べます。

10「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます」と言った。

 しかし、百人隊長はパウロの警告を聞かず、航海の専門家の知識と経験に従うことにしました。船長たちが問題にしたのは、「良い港」が冬の間停泊するのに適していないことでした。幸い、すぐ近くにある「ピニクス」まで行けば、冬を過ごすことができました。そのような相談に対して、同じ海岸線上にある「ピニクス」に行くことさえも危険であるとパウロは主張したのでした。

■嵐のため難破する

13おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した。

 この南風によって、1日もかからないで「ピニクス」に行くことができると考えました。船は注意深く海岸沿いを進みました。進み始めて間もなく、クレテ島からの「ユーラクロン」(欄外注・北東の風)という強い山風、「暴風」が船を襲いました。船は大嵐に巻き込まれ、一気に沖に吹き流されてしまいました。当時の航海術ではどうすることもできず、風に流されるままにするしかありませんでした。

16しかしクラウダという小さな島の陰に入ったので、ようやくのことで小舟を処置することができた。

 クレテ島のから37キロほどのところにある「クラウダ」の島陰に入り、「小舟を処置することが」できました。それは、引いていた小舟を甲板に引き上げることでした。

17小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻いた。また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた。

 さらに船が壊れないように、ロープを船腹に巻き付けました。またこのまま流されて「スルテスの浅瀬」に乗り上げたら危険です。これはアフリカのリビヤ沖合にある浅瀬地帯で、航海の危険な場所として有名な所でした。その恐れもあったので、「船具をはずして流れるに任せ」ました。「船具」は海錨(浮いている錨、大きな座布団のようなもの)と思われます。それを降ろして、船の速度を遅くしようとしました。
 それでも状況は良くなりません。おそらく甲板には水がかかったため、水夫たちは船を軽くしようと、さらに「積荷を捨て始め」ました。3日目になって「船具」まで捨てました。重い主マストを切り捨てたのかもしれません。
 「太陽も星も見えない日が幾日も続き」、天体観測ができなくて船の位置を知る手がかりが全くなくなってしまいました。どこを進んでいるのか、浅瀬や岩礁がどこにあるのか全くわかりませんでした。

■いのちは失われません

 いつ沈没してもおかしくない、生きる望みが絶たれた状態でした。この時パウロは2度目の発言をします。

22しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。

 パウロが警告したとおり船体は被害を受け、船は失われますが、「いのちを失う者はひとりもありません」と告げました。

24こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』

 パウロは見た幻について話し、この確信の根拠を示しました。カイザリヤの牢にいた時の約束をもう一度受けたのでした。パウロは、ローマに行くことができる自分だけでなく、いっしょに航海している人々全員のいのちも安全であることを告げました。その安全はパウロの手にゆだねられました。パウロの祈りに答えてくださったのでした。

25ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。

 パウロは、神様が約束されたことはそのとおりになるという信仰を証ししました。さらに約束が漠然としたものでなく、「どこかの島に打ち上げられます」と語りました。
 この船の中でパウロは囚人ですが、ただひとり神様のことばを直接聞き、伝えることができました。他の乗客も、船員も、ローマの兵隊も、パウロがローマに行くことができるという神様の導きによって船が守られ、すべての人のいのちもそれにかかっていることになりました。
 パウロをローマに連れていく神様の約束のために、一人の人を救うために、全員のいのちが失われない。そのようなすごいことを神様はなさることができるのです。
 それはパウロが持っていた信仰でした。この嵐の中で神様に祈り続けた信仰、自分はローマに行くことができるという確信から生まれたものでした。確信を持ち続けること、その希望に神様の導きが見えてくるのです。

へブル人への手紙3:14「もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。」

 「希望は失望に終わることはない」。私たちもそのような信仰を持ち続けて歩みたいと思います。


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