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2014年7月20日 主日礼拝説教
「神に感謝をささげて」(使徒の働き27章27節〜44節)
ローマに護送される途中、パウロたちが乗った船は嵐にあってしまいました。嵐の中絶望に襲われますが、パウロは人々に「私たちのいのちは失われません」と語り勇気づけ、「どこかの島に打ち上げられます」という神の御使いからのことばを伝えました。
27十四日目の夜になって、私たちがアドリヤ海を漂っていると、真夜中ごろ、水夫たちは、どこかの陸地に近づいたように感じた。
「良い港」を出帆して2週間がたちました。「アドリヤ海」は、今はイタリヤとバルカン半島の間の湾ですが、古代ではシシリー島とクレテ島の間の海域をも含んで呼ばれていました。波の砕ける音によって、水夫たちは陸地が近づいていることに気づきました。
28水の深さを測ってみると、四十メートルほどであることがわかった。少し進んでまた測ると、三十メートルほどであった。
「四十メートルほど」とは、ルカの書いた航海記が正確であったことを示しています。波の砕ける音に加えて水深が浅くなったので、「四つの錨」を降ろして船を固定しました。明るくなってどこかふさわしい浅瀬にたどりつけると考えました。その時、船に備えてあった小舟を出して、数名の水夫たちが船から逃げ出そうとしました。
31パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません」と言った。32そこで兵士たちは、小舟の綱を断ち切って、そのまま流れ去るのに任せた。
パウロは「百人隊長」に、水夫たちが船を見捨ててしまうならば、残された乗客たちが危険にさらされると指摘しました。そうならないように、小舟を切り離してしまいました。これで小舟を使って上陸できなくなってしまったので、船で直接砂浜まで進んでいくしかなくなりました。
33ついに夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。
船が錨によって動かない間に、パウロは船にいる人たちに食事をするように勧めました。14日前に嵐が始まってから何も食べていなかったのでした。パウロは、今までの行動や発言によって、船の人たちから特別な聖い人、神の人と思われていたのでしょう。パウロの語ることはパウロの信じる神が言うことであり、パウロのことばに従おうとしました。
食事をとって体力をつけなければ、これから船を接岸させるという重労働はできません。そして、パウロはみなが無事に陸地に着けることを保証しました。
35こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。36そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった。
パウロが率先してパンを食べました。「神に感謝をささげてから、それを裂いて」という動作は、イエス様が5000人にパンを与えた奇蹟の時や、最後の晩餐の時と同じでした。しかし、これはユダヤの祈って食べる食事の方法で、それほど意味のあるものではないかもしれませんが、パウロは、乗船しているルカやアリスタルコなどクリスチャンたちに、今までの守りを感謝して聖餐の儀式を行ったのかもしれません。そうであれば、それを見ていた人たちに、イエス様の十字架の死と復活を伝えたことになりました。
37船にいた私たちは全部で二百七十六人であった。
この人たち全員が救われるのでした。当時の記録に、ローマに行く船がアドリヤ海で沈没し、その時泳いで助かった者が600人であったとります。これほど大きな船が当時あったことと、またこの276人という数字がルカによって正確に記されていることがわかります。
38十分食べてから、彼らは麦を海に投げ捨てて、船を軽くした。
満腹になるまで食事をし、座礁しないようにさらに船を軽くするため、できる限りの荷を捨てました。船底に船を安定させるために残されていた最後の荷も捨てられました。
明るくなり、接岸できそうな「砂浜のある入江」が見つかりました。この場所は、今はマルタ島の「聖パウロ湾」と呼ばれている所です。
40錨を切って海に捨て、同時にかじ綱を解き、風に前の帆を上げて、砂浜に向かって進んで行った。
水夫たちは船を砂浜に乗り上げようとしました。錨を切り離し、「かじ」を固定していた綱をほどき、小さな帆を広げて船を岸に向けて操作しました。
41ところが、潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始めた。
しかしその方法はうまくいかず、海流に捕まり船は浅瀬に乗り上げてしまいました。粘土質の海底であり、そこに船の「へさき」がもぐりこんでしまいました。船はこれ以上動けず、波に洗われたようになり、激しい波によって船尾である「とも」が壊れ始めました。
混乱の中、兵士たちは囚人たちが泳いで脱走するかもしれないと考え、殺してしまおうとしました。それは、もし逃げたら兵士たちの責任が問われ、自分たちが死刑にされるかもしれなかったからでした。
しかし、「百人隊長」はパウロの今までの行動を見て、パウロのいのちを守りたかったので、その計画をやめさせ、まず泳げる者は自力で陸地にたどり着くように命じました。
44それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。こうして、彼らはみな、無事に陸に上がった。
泳げない者たちは、板や浮き荷に捕まって後に続きました。新共同訳は、「板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した」と訳しています。こうして276人全員が無事に陸地に上がることができました。
人が自分の思いで進もうとしている時に、それをはるかに超えて神の計画が進んでいることを見ることができます。
発端は良い港からの出帆でした。パウロの助言を無視し、船乗りのことばをとり、穏やかな南風が吹いてきたので、その風に乗ってすぐ近くのピニクスまで行こうとしました。ところがすぐに嵐に会い、14日間にわたって、嵐の中を船は翻弄されました。しかし、全員が276人救われました。
パウロをローマに送るという神の計画が実現するために、神様が全員を救ってくださったのでした。パウロは嵐の中、自分が信じている神を証し続けました。「私の主で、私が仕えている神」(23節)と言い、「すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています」(25節)と。
そのあとパウロのことばが重んじられ、その指示によって船全体の行動が決められていきました。このような航海の中、確かに神様は働いておられました。パウロをローマに連れていくという約束を、神様はあらゆる人間の思惑、手段を尽くしている背後で働き、果たそうとしていました。
自然の脅威の中も神様はいてくださり、パウロを助けるために、船全体のいのちを守られました。そして行き着いたところはマルタ島でした。彼らは「良い港」の先のピニクスに行くつもりでしたが、実際には地中海を渡りきり、イタリヤに近く、もうすぐローマに着くことができる、最も理想的な島にたどり着くことができたのでした。
神様のなさることは、なんと不思議なことでしょうか。最もよい結果を私たちに示してくださいます。神様は私たちにも働いてくださり、最善を行ってくださることを今日も感謝して覚えたいと思います。
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