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2014年8月10日 主日礼拝説教
「神の国を宣べ伝えた」(使徒の働き28章17節〜31節)
「使徒の働き」は今日で最後になりました。パウロがローマに到着し、そこで何があったかが語られます。
17三日の後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集め、彼らが集まったときに、こう言った。「兄弟たち。私は、私の国民に対しても、先祖の慣習に対しても、何一つそむくことはしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡されました。
パウロが新しい家に住んで最初に行ったことは、ローマにいた「ユダヤ人のおもだった人たち」を呼び集めることでした。パウロは囚人であり、軟禁状態でしたので家に招いたのでした。
これまでの伝道では、町に着くとまずユダヤの会堂に行って話をしましたが、ローマでは外出が制限されていたのでそれができません。事情を説明するという名目でおもだったユダヤ人たちを呼び出し、証しと伝道をしようとしたのでした。
パウロは家にやって来たユダヤ人たちに、自分がローマに連れてこられた事情を説明しました。パウロはユダヤの国民に対して何も背くことはしていないし、ユダヤの慣習を背くことも、攻撃するようなこともしていないと断言しました。そうであっても、ユダヤ人たちはパウロをエルサレムで捕らえ、ローマに引き渡しました。
ローマの総督(ペリクスとフェスト)による裁判は、ユダヤ人たちのパウロに対する訴えを立証できませんでした。パウロは、ローマの法律によれば何も死刑に値することはしておらず、釈放されるべき立場にありました。ところがペリクス、フェストの二人の総督は、ユダヤ人の機嫌を損なわないように2年間牢に拘置し、無罪・釈放を告げることなく裁判を長引かせていました。
ユダヤ人たちはあくまでパウロを殺そうとし、エルサレムで裁判することをフェストに強く願いました。フェストがそのことをパウロに同意を求めた時、パウロはエルサレムで裁判が行われることになったら殺されることが十分考えられたので、カイザルに上訴することにしました。それはユダヤ人を訴えるためでなく、自分が無事に釈放されるためであり、またローマに行きたいという願いから出たことでした。
20このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」
裁判で問われていたことは、ユダヤ人すべてが抱いている「イスラエルの望み」についてでした。待ち望んでいたメシヤ(救い主、キリスト)はイエスによって到来したこと、そしてその救い主は十字架上で死んだが復活したこと、そして私たちも同じように復活することが確かであるかどうかでした。
それに対して、ユダヤ人たちはパウロに、その裁判のことは何も知らされていないと答えました。彼らはエルサレムから、パウロに対してユダヤ教の立場から証言するように指示されなかったし、エルサレムからこの事件についての報告がもたらされていませんでした。エルサレムのユダヤ人たちは、これ以上パウロを追及することはできないとあきらめてしまったと思われます。
ローマのユダヤ人たちは、パウロの言っていることに関心を持ちました。ユダヤ人たちは、キリスト教会がローマにもあり、迫害を受けていたことを知っていました。そのキリスト教が何を信じているのか、その指導者であるパウロが何を自分たちユダヤ人に語ろうとしているのか、エルサレムのユダヤ人たちがなぜそれほどまでのパウロを嫌い、殺そうとまでしているかを知りたいと思いました。
23そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。
改めてパウロから話を聞く日が決められ、その日、大勢のユダヤ人たちがパウロの家にやってきました。パウロが話したのは「神の国のこと」、聖書に基づいて「イエスのことについて」でした。それを「朝から晩まで」語りました。
24ある人々は彼の語る事を信じたが、ある人々は信じようとしなかった。
信じる人が起こされ、また信じない人もいました。彼らはもう一度聞きたいとは思わず、これで終わりにしたいと帰りかけました。
そこでパウロは、イザヤの預言が今の状況を言い当てていると語りました。
26『この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。27この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』
いくら聞いても見ても、神様が語ろうとしていることを悟らずわからない人たち。それはユダヤ人自身が、神のことばに心を閉ざしてしまったからでした。イザヤは、神のことばを素直に聞いて、罪を示され、悔い改めようとしないユダヤ人について語ったのでした。
28ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」
こうして救いはユダヤ人から異邦人にもたらされることになるのでした。
30こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、31大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。
このあとパウロがどうなったのか。パウロが書いた手紙からパウロの生涯を見ることにします。
パウロは、この獄中の2年間に獄中書簡と言われている4通の手紙を書きました。エペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙です。
パウロは2年の後に釈放され、その後パウロはテモテを連れてエペソに行きました。エペソ教会にテモテを残し、マケドニヤに向かい、そこからテモテへの手紙第1を書きました。
テモテへの手紙第1、1:3−4「私がマケドニヤに出発するとき、あなたにお願いしたように、あなたは、エペソにずっととどまっていて、ある人たちが違った教えを説いたり、果てしのない空想話と系図とに心を奪われたりしないように命じてください。」
その後クレテに行き、テトスを残し、ニコポリに向かいました。そこからテトスの手紙を書きました。
テトスへの手紙1:5「私があなたをクレテに残したのは、あなたが残っている仕事の整理をし、また、私が指図したように、町ごとに長老たちを任命するためでした。」
テトスへの手紙3:12「私がアルテマスかテキコをあなたのもとに送ったら、あなたは、何としてでも、ニコポリにいる私のところに来てください。」
その後トロアスに行き、カルポの家に上着を忘れてしまいました。
テモテへの手紙第2、4:13「あなたが来るときは、トロアスでカルポのところに残しておいた上着を持って来てください。」
再び捕えられ、ローマの牢に入れられました。そこから最後の手紙であるテモテへの手紙第2を書きました。
テモテへの手紙第2、1:8「ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。」
テモテへの手紙第2、2:9「私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。」
64年にローマに大火災が起こりました。皇帝ネロはその責任をキリスト者に負わせ、キリスト者への大迫害が起こりました。その時にパウロも殉教したと言われています。
パウロは、死に至るまで福音を宣べ伝えました。最後の手紙にも、そのことをテモテに書き送りました。どんな時にも、「神のことばは、つながれてはいません」(Uテモテ2:9)、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」(Uテモテ4:2)。
「31大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」
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