ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2014年8月17日
2014年8月17日 主日礼拝説教
「私たちは慰めを受けました」(コリント人への手紙第二 7章11節〜16節)
先回は、5節から10節までの箇所から「神のみこころに添った悲しみ」と「世の悲しみ」について考えてみました。
パウロは、「涙の手紙」と呼ばれる手紙をテトスに託してコリント教会に送りました。パウロは、コリント教会があの手紙によって「悲しんで悔い改めた」という知らせをテトスから聞きました。コリント教会の人たちを一時的に悲しませたけれども、その悲しみが「悔い改め」に導かれたことを知ったのでした。
10節で、その「神のみこころに添った悲しみ」に対して、もう一つ別の悲しみが対比されていました。それは「世の悲しみ」でした。同じ悲しみでも、一つは救いに至る悔い改めに導き、一つは死をもたらすのでした。
11ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。また、弁明、憤り、恐れ、慕う心、熱意を起こさせ、処罰を断行させたことでしょう。あの問題について、あなたがたは、自分たちがすべての点で潔白であることを証明したのです。
パウロは「ご覧なさい」と言って、コリント教会の人たちに、もう一度「神のみこころに添ったその悲しみ」がどれほど祝福に満ちた結果をもたらしたかを語りました。彼らに、問題に対して冷淡から熱心さを起こさせました。コリントの人たちは、パウロの手紙によって悲しんだけれども悔い改めました。そしてその結果が現れました。罪に対する「弁明、憤り、恐れ」、そしてパウロに対する「慕う心」、さらに悪を行う者に対しては「熱意を起こさせ、処罰を断行させた」のでした。
それによって、コリントの教会にあった「あの問題」と言われている問題に対して(その問題は何だったのか明らかにされていませんが、処罰された者に扇動されて、パウロを排斥しようとしたことだったと思われます)、コリント教会には何の罪もなく潔白であることを「熱意を起こさせ、処罰を断行した」ことによって示したのでした。
12ですから、私はあなたがたに手紙を書きましたが、それは悪を行った人のためでもなく、その被害者のためでもなくて、私たちに対するあなたがたの熱心が、神の御前に明らかにされるためであったのです。
パウロが目指していたのは、教会が一致して神様をあがめることでした。「悪を行った人」は結果的には処罰されましたが、手紙を書いた目的はその人を罰するためではなく、また反対に被害を受けたパウロ自身の面目を立てるためでもありませんでした。パウロにとって、教会が一つとなって神様に受け入れられる歩みをしてくれればそれでよかったのです。そのような熱心さが「神の御前に明らかにされる」ことを望んだのでした。
コリント教会には確かに変わりました。そこにパウロの喜びがありました。
13こういうわけですから、私たちは慰めを受けました。この慰めの上にテトスの喜びが加わって、私たちはなおいっそう喜びました。テトスの心が、あなたがたすべてによって安らぎを与えられたからです。
パウロは、6節からテトスが帰って来たことを語ってきました。「しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました」(6節)。そして、ここ13節でもう一度テトスのことに触れ、慰めを受けたことを繰り返しました。さらに慰めに加えて「喜び」をも与えられたことを感謝しました。その喜びはテトスに与えられたものでした。テトスはコリントの教会の人たちから慰められ、喜びの心にあふれ安らぎを与えられ帰って来たのでした。
「喜び」ということばは、この段落にたくさん出てきます。前回読んだ箇所では7節「私はますます喜びにあふれました」、9節「今は喜んでいます」、今読んだ13節「私たちはなおいっそう喜びました」、そして16節です。「私は、あなたがたに全幅の信頼を寄せることができるのを喜んでいます。」
このように、パウロがこの第2の手紙でコリント教会に伝えたかったことは、今私は喜んでいるということでした。
14私はテトスに、あなたがたのことを少しばかり誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。というのは、私たちがあなたがたに語ったことがすべて真実であったように、テトスに対して誇ったことも真実となったからです。
パウロは、コリント教会のことをテトスに「少しばかり誇りました」。パウロは確かにコリント教会を誇りにし、信頼していました。「私のあなたがたに対する信頼は大きいのであって、私はあなたがたを大いに誇りとしています」(4節)。
テトスも、コリント教会がパウロから聞いていたとおりすばらしい教会であるのを目の当たりにしました。
15彼は、あなたがたがみなよく言うことを聞き、恐れおののいて、自分を迎えてくれたことを思い出して、あなたがたへの愛情をますます深めています。16私は、あなたがたに全幅の信頼を寄せることができるのを喜んでいます。
テトスは、パウロの手紙を携えていった自分をコリントの人たちが丁重に迎えてくれたことを報告しました。そしてパウロのコリント教会に対する愛を、そしてパウロとコリント教会が一つに結ばれていることをテトスも共有することができたのでした。
教会はキリストのからだであり、ひとりひとりは各器官と言われます。一つが苦しめば共に苦しみ、悲しめば共に悲しみ、尊ばれれば共に尊ばれるのです。パウロはコリント教会に、同じキリストのからだであるゆえに「全幅の信頼を寄せることができる」喜びを感謝したのでした。
神様は、私たちの教会の交わりを祝福してくださっています。互いに慰め合い、励まし合い、信頼を寄せあい、喜ぶことのできる教会としてくださっていることを感謝します。その思いを抱いて、今週も歩みたいと思います。
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