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2014年8月24日 主日礼拝説教
「あふれ出る喜び」(コリント人への手紙第二 8章1節〜4節)
パウロは、マケドニヤのピリピでテトスの帰りを待っていました。コリントから帰ってきたテトスからの知らせは、パウロを安心させるものでした。そして、パウロのコリント教会に対する愛を、さらにパウロとコリント教会が一つに結ばれていることをテトスも共有することとなりました。
パウロの手紙は、この8章から新しい段落に入り、聖徒を支える献金のことについて書いていきます。それは、エルサレムに住んでいるクリスチャン仲間を援助してほしい、コリント教会で献金を集めて彼らを助けてやってほしいという切なる願いでした。
なぜパウロはこのような訴えをすることになったのでしょうか。それは、エルサレムに住んでいたユダヤ人クリスチャンの中には貧しい人たちが多かったからでした。さらに同じユダヤ人から迫害を受け、生活の糧を得るのに困難を覚えていました。
初代教会は、愛の交わりをもって互いに持ち物を共有し、貧しい人たちを助け合っていました。
使徒の働き2:44−45「44信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。45そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。」
そのような教会でしたが、とりわけエルサレム教会の信徒たちの生活は、差し迫った状態にありました。すべての教会の母教会であるエルサレム教会を助けようという訴えは、パウロが伝道旅行をしながら行く先々で訴えてきたことでした。
それは1つには、異邦人教会とユダヤ人教会を、このような献金を通して一つの心に結び合わせたいという気持ちがあったからでした。当時エルサレムに住んでいたユダヤ人クリスチャンの中には、依然として異邦人に対して根強い偏見を持っている人たちがいました。このためキリスト教会は、ユダヤ人の教会と異邦人の教会の2つに分裂する危険性をいつも持っていました。
そこでパウロは、そうした分裂を引き起こさないために、異邦人の教会に対して、エルサレムにあるユダヤ人教会を援助することを勧めました。異邦人の教会、とりわけマケドニヤの諸教会はパウロのこのような気持ちを理解して、積極的にこの呼びかけに参加しました。それは、そのようなささげ物をすることが「神の恵み」にあずかることであると信じていたからでした。
1さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。2苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。
「神の恵み」とは神様から与えられる賜物です。キリストによって与えられた救いです。彼らは、神様から与えられたものがすべて「恵み」であることを知っていました。また、その恵みを人々に与えることも恵みであることを知っていました。
イエス様のたとえ話の中に、王様から莫大な借金を許されたしもべの話があります。そのしもべは大きな負債を許されたにもかかわらず、自分が貸していたわずかの借金を許そうとしません。王様は怒って、このしもべを牢に入れ言いました。
マタイの福音書18:33「私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。」
神様から多くの恵みをいただいた者は、兄弟にも恵みを与えてあげなさいと教えています。そのことが、実際にマケドニヤの教会で行われました。マケドニヤの諸教会はパウロの勧めに応じて、この献金の呼びかけに積極的に協力しました。
しかし実際には、マケドニヤの諸教会の経済状態は苦しいもので、決して他の人々を援助できる状況にはありませんでした。それは、「苦しみゆえの激しい試練の中にあっても」とあるように、激しい迫害の中にあったからでした。彼らもエルサレム教会と同じように、たいへん激しい迫害と、貧しさの中に置かれていました。
確かにマケドニヤの諸教会は、そのスタートから激しい迫害と困難の中にありました。ピリピの町でパウロは迫害を受けました。足かせをされ牢に押し込まれました。ピリピの隣の町テサロニケでは、パウロのことで暴動が起こり、クリスチャンたちが襲われ、すぐに次の町に行かなければなりませんでした。パウロは後に、これらマケドニヤの教会に手紙を書きました。
ピリピ人への手紙1:29「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」
テサロニケ人への手紙第1、2:14「兄弟たち。あなたがたはユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会にならう者となったのです。彼らがユダヤ人に苦しめられたのと同じように、あなたがたも自分の国の人に苦しめられたのです。」
それでもマケドニヤの教会は、むしろ自分たちこそあわれんでもらいたい、援助してもらいたいという状況にあったにもかかわらず、パウロの呼びかけに応じました。
3私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、4聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。
それなのにマケドニヤの教会は、いやいやではなく「進んで」ささげた。「力に応じ」てささげた。「いや力以上にささげ」たと、パウロは書きました。彼らは、ささげることが恵みであることを知っていたからでした。
マケドニヤの教会は貧しさという試練に会っていましたが、「その極度の貧しさにもかかわらず」、「喜びが満ちあふれた。そして、あふれた」とパウロは語りました。神様を喜ぶその喜びの中から、人に与えるという豊かな思いが生まれていたのでした。
それはちょうど、レプタ銅貨2つをささげた貧しいやもめのようでした。イエス様は、貧しいやもめが献金する様子を見て弟子たちにこう言われました。
マルコの福音書12:43−44「43すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。44みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」
預言者エリヤを助けたのも貧しいやもめでした。彼女がエリヤを迎え入れた時、家にあったものは「一握りの粉と、少しの油」だけでした。
列王記第1、17:12「あなたの神、【主】は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」
しかし彼女は、惜しまずにエリヤにささげることができました。だからこそ、彼女は神様の祝福を受けて、「かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならない」という恵みを体験させていただいたのでした。
マケドニヤの教会がこのような思いに導かれたのは、神様の恵みのゆえでした。それは「満ちあふれる喜び」となってあふれ出ました。
彼らの「満ちあふれる喜び」とは、あわれみに満ちた神様がどんなときにも共にいてくださり、すべてを益としてくださることを身をもって体験したことでした。イエス・キリストを信じ、このお方と共にいる限り、恵みがあふれるばかりあることを知ったからでした。だからマケドニヤの教会は、あのような逆境の中にありながら感謝の生活ができたのでした。
パウロがマケドニヤの教会にあてた手紙です。
ピリピ人への手紙4:4「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」
テサロニケ人への手紙第1、5:16−18「16いつも喜んでいなさい。17絶えず祈りなさい。18すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
私たちも、あわれみに満ちた神様がどんなときにも共にいてくださり、すべてを益としてくださることを覚えたちと思います。イエス・キリストを信じ、このお方と共にいる限り、恵みがあふれるばかりあるのです。そして、どのような中でも感謝の生活を続けたいと思います。
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