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2014年9月14日 主日礼拝説教
「神に立ち返らせるために」〜イエス・キリストの生涯2. バプテスマのヨハネ誕生の告知〜(ルカの福音書1章5節〜23節)
先週は、「イエス・キリストの生涯1」としてマタイの福音書1章冒頭の系図を読みました。いっしょにルカの福音書3:23−38の系図にも触れました。時間の関係で途中まででしたので、最初にマタイとルカの系図の違いを見ておきます。
人名を詳しく読んでいくと、大分名前が違っていることがわかります。マタイではヨセフの父は「ヤコブ」となっていますが、ルカではヨセフの父は「ヘリ」です。どこで同じ名前にぶつかるかというと、27節の「ゾロバベルの子、サラテルの子」が同じで、さらにさかのぼって、31節の「ダビデ」で一致します。ダビデからアブラハムまでは、マタイ、ルカとも同じ名前になります。それ以外はルカだけにある系図になります。
どうして違っているのかいろいろ言われますが、ヨセフの実父はヤコブで、ヘリは養父(ヤコブが死んだ後ヨセフの父になった)であろうという説、または、ヨセフの父はヤコブで、マリヤの父がヘリであって、ルカはマリヤが持っていた系図から書いたと言われているなどです。
5ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。
祭司「ザカリヤ」は祭司として、民の救いのために祈り、神様のみこころを人々に伝える務めを、変わることなく忠実に果たし続けてきました。妻「エリサベツ」は、「アロンの子孫」とあるように祭司の家庭に生まれた女性でした。エリサベツは、父親と同じ働きをしている祭司に嫁ぎ、夫の働きに支障がないように、陰になって夫を支えてきました。しかしザカリヤとエリサベツは年をとり、すでに老齢といわれる年に達していました。
彼らには、この年になるまで子どもがありませんでした。彼らは子どもが与えられたいという思いを抱き、務めを忠実に果たしていました。
6ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行っていた。
ザカリヤは「アビヤの組の者」でした。祭司は大勢いたので、神殿に入って祭壇に香をたくことは、生涯に一回あるかどうかというほどだったそうです。ちょうどこの時の当番が「アビヤの組」であり、その組の中でくじを引いたところ、奉仕をするくじがザカリヤにあたりました。そこでザカリヤは神殿に入り、香をたき、祈りをささげる奉仕をしていました。
そこに神様の御使いが現れ、香をささげる壇の右側に立ちました。恐怖に襲われたザカリヤに、御使いは声をかけました。
13御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。
御使いはザカリヤの家庭に男の子が生まれると告げました。
17彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」
この突然の知らせにザカリヤは驚き、次のように答えました。
18そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」
このザカリヤの反応と驚きは当然のことでした。「そのようなことはありえません、なぜなら、私たち夫婦はもう年をとっております」。しかしこの時、神様の、救い主が誕生するというご計画が動き出したのでした。
御使いはザカリヤに言いました。「あなたの願いが聞かれたのです」と。神様のご計画は、長年のザカリヤの祈りに答えるという方法をもって告げられました。
ザカリヤの願いと祈りとはどのようなものだったのでしょうか。それは、御使いの二つのことばから明らかです。一つは、13節の「あなたの妻エリサベツは男の子を産みます」であり、もう一つは、17節の「彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれを」するです。
最初の一つはザカリヤの個人的な祈りでした。それは、「子どもを与えてください」という、結婚して以来祈り続けてきたことでした。しかしそれも、年老いた今、もう自分たちには子どもが与えられないと、あきらめていたころでした。しかし、その祈りは神様のみこころにかなっていることでした。それを神様は聞いてくださり、ご計画のうちに覚えていてくださったのでした。それが、いま時が満ちて、神様のみこころがザカリヤに示されたのでした。
もう一つは祭司としての「イスラエルが救われますように」「イスラエルに救い主が来ますように」という祈りでした。しかしそれとても、イスラエルにとっては、長く長く祈り続けて来た祈りでした。
旧約聖書の最後のマラキ書が書かれてから400年間が過ぎていました。預言者を通して神様が語りかけることが全く途絶えていました。しかしイスラエルの民にとっては、約束の救い主を待ち望む400年でした。
今はローマ帝国の支配のもとにあり、5節にあるようにヘロデ大王がユダヤを治めていました。そのような中で、イスラエルの人たちの願いは、「イスラエルが救われますように」「イスラエルに救い主が来ますように」という祈りでした。しかしその願いも、強大なローマ帝国の支配のもとでは、実現するかどうかが危ぶまれるものでした。
そのような情況の時に、御使いがザカリヤに告げました。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです」と。しかしザカリヤは、「こわがることはない」、神様のなさることをそのまま信じなさい、と言われたにもかかわらず、御使いのことばをそのまま理解し、受け入れることができませんでした。願っていたことがかなえられると告げられても、年老いた自分たちに子どもが与えられることは不可能であると考えて、「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております」と答えてしまいました。
もしザカリヤ夫妻がまだ若かったなら、あなたの子どもが生まれる。そして、その子は救い主の前ぶれとなると告げられても、そのまま受け入れたかもしれません。しかし、もう年をとり、経験と常識の中で生きているザカリヤにとって、自分に男の子が生まれるという不可能と思えるようなお告げにとらわれて、その背後にある「イスラエルの救われる時が来ました」という、大切な神様のメッセージを聞き取ることができませんでした。
ザカリヤは御使いに、「私は何によってそれを知ることができましょうか」と、「確かにそうなるというしるしを与えてください」と求めました。御使いは、子どもが生まれるまでザカリヤは話すことができなくなる。それがしるしであると告げました。
そして事実、そのようになりました。間もなく妻のエリサベツは子どもをみごもりました。ザカリヤは、御使いが言われた、子どもが生まれることが現実のものとなり、神様のご計画である救い主が間もなく生まれるということを信じたことでしょう。
ザカリヤは、子どもが生まれるまでものを言うことができない、沈黙の時間を与えられました。その間、ザカリヤは自分の今までの信仰と、歩んで来た道を問い直す時を与えられたでしょう。ザカリヤは神様が共にいてくださること、神様が自分にとって恵み豊かなお方であることを味わったことでしょう。
今日は敬老感謝礼拝です。年を重ねるごとに、ザカリヤと同じように、神様の恵みと神様の支えがますます豊かになっていくことを味わい知るでしょう。
口がきけなかった10か月あまりの間、ザカリヤはゆっくりと神様の恵みを、自分のものとしていったのでした。
老齢であったザカリヤが受けた知らせは、キリストの誕生を知らせる「喜びのおとずれ」でした。神様は、神様の御心にそむき、罪の中で苦しんでいる人間のために、主はその愛するひとり子を送ってくださろうとしていました。イエス・キリストは、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかり、死んでくださるためにおいでになるのです。
今日も、その喜びのおとずれを聞き、永遠のいのちに至る信仰を与えられたことを感謝いたします。
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