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2014年9月28日 主日礼拝説教
「神は私たちと共におられる」〜イエス・キリストの生涯4. ヨセフへの告知〜(マタイの福音書1章18節〜25節)
マタイの福音書の最初はイエス・キリストの系図であり、そこにはイエス様がダビデの子孫の系図に入っていることが書かれていました。そのあと、ルカの福音書に移り、バプテスマのヨハネ誕生を御使いガブリエルがザカリヤに告たこと、次いで同じく御使いガブリエルがマリヤのところに遣わされて、聖霊によって男の子を産むことを告げました。
マリヤにとって信じがたい受け入れがたい内容でしたが、マリヤは、御使いの「神にとって不可能なことは一つもありません」ということばを聞き、「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と言って、自分に起ころうとしていることを素直に信じ受け入れました。
マリヤに告げたことを夫となるヨセフにも知らせました。それをマタイが記しました。
イエス様はヨセフの実際の子ではありませんでした。神様は、救い主がダビデの子孫であるヨセフを父としたことをユダヤ人に知らせるために、ヨセフとその妻マリヤを選ばれました。そのために、神様がヨセフに対して、新しく生まれてくる子どもをヨセフの子として受け入れ、育てるように導かれました。
18イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
ユダヤの結婚は、婚約してから1年間はそれぞれ別々に過ごしました。その間、お互い行き来することも会うこともなかったと言われています。しかしそれでも社会的には、二人は結婚していると言われました。
そのような時、マリヤが「身重になったことがわかった」のでした。ヨセフは混乱したでしょう。マリヤには御使いから、そのようなことが起こることがあらかじめ知らされました。しかし、ヨセフはそれを知りませんでした。いったい何が起こったのか。ヨセフは思い悩みました。
19夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
「ヨセフは正しい人」であったと言われています。神様を信じ、神様の教えに従って生きようとしている人のことです。ヨセフには3つの道がありました。
マリヤの子は自分の子どもであることを認めて結婚する。しかし、「正しい人」ヨセフには、結婚前にマリヤと関係を持ったという人々の目にさらされることになります。
では律法の教えのとおりマリヤを姦淫の罪で訴えるか。マリヤの罪を公にすることです。しかしヨセフには、愛する妻マリヤをそのような目にあわせることは忍びなかったのでした。
それでヨセフは、「内密に去らせ」ようとしました。マリヤに離婚状を出してそっと去らせることです。そう決めてもヨセフは思い悩みました。生まれてくる子どもはどうなるのか。マリヤは子どもを育てられるのか。ヨセフは悩み、失望と怒り、さまざま思い巡らしたことでしょう。そのような時に神様は語ってくださいました。
20彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
夢を通して主の使いが語られました。聖霊による懐妊。そんなことは聞いたことがない。マリヤの子は不義の子ではなかったのか。聖霊による子とは何なのか。
21マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
さらに、男の子が生まれる。名をイエスとつけるようにと告げられました。イエスは「主は救い」という意味です。生まれてきた子どもに名前をつけることは父親の役目でした。主の使いはヨセフに、生まれてくる子どもの父親となるように言われました。
主の使いは、そのお方は「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」と告げました。「ご自分の民」の罪をすべて引き受け、その罪を赦し、救ってくださるのです。「ご自分の民」とは、全世界にいる神の選びの民です。
マリヤの子をヨセフが自分の子どもとして育てることは、ご自分の民を愛してくださる神様が、ご自分の民を救うという神様のご計画の大事な一点でした。はたしてヨセフがそれを受け入れるか。生まれる子が「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」となることを信じられるなら、マリヤをあなたの妻として迎えなさいと言われたのです。
このあとどうなるのか、ヨセフにはあれやこれやの思いがわいてきたでしょう。しかし、主の使いは「恐れないで」と告げました。ヨセフは、生まれくる子が神の子であることを信じました。
そうだ、そのような心配は神様がしてくださる。神様にお任せして、マルヤを妻として迎え、生まれてくる子の父親となろう。
マリヤも主の使いのことばを信じて受け入れました。ヨセフも、生まれてくる子どもが神の子であり、自分はその子の父親と呼ばれることを受け入れました。この二人の信仰によってイエス様の誕生があったのでした。
主の使いのことばは21節までですが、そのあとマタイは、この出来事が旧約聖書の預言の成就であったことを語ります。マタイは、この「預言が成就した」ことを告げる記述が多いのも特徴です。
22このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。23「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
イザヤ書7章のことばです。イザヤが預言者として活躍したユダのアハズ王の時代です。アハブは、系図の9節に出てきました。
マタイの福音書1:9「ウジヤにヨタムが生まれ、ヨタムにアハズが生まれ、アハズにヒゼキヤが生まれ、」
この時、アラムという国と北イスラエルの連合軍がユダに攻めてきました。ユダのウジヤ王は負けるかもしれないと恐れました。その時神様は、それに勝つことができるしるしをイザヤを通して与えました。
イザヤ書7:14「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」
それを聞いたアハブ王は、そのしるしを信じないで、アラムよりもさらに強いアッシリヤとの同盟を選びました。ユダは、アッシリヤの助けによって戦いに勝ちました。しかしその結果、エルサレム神殿にアッシリヤが信じていた神々の祭壇と同じものを作らなければならなくなったのでした。
イザヤの預言は、アハブ王がアッシリヤに助けを求めたので、その時代に実現することはありませんでした。しかし、神様はもっともっと先のことを見ておられたのです。それから700年後、アハブに与えられた預言はイエス・キリストが誕生した時に成就したと、マタイは書きました。
名前は「インマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる」。この名前とは、その人自身、その人の性質を表す意味で使われています。イエス・キリストの誕生によって、神様が私たちと共にいることが目の前に見える形で実現することを言っています。
すべての人にとって、いつも神様がいっしょにいてくださるということが、人の世に見えるかたちをとって実現しました。神様が共にいるという約束は聖書の中に満ち満ちています。
申命記31:8「主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」
詩篇23:4「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」
イザヤ41:10「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」
インマヌエル、「神は私たちとともにおられる」ためにイエス様はお生まれになりました。「神は私たちとともにおられる」というみことばを喜んで受け入れ、これからも歩んでいきたいと思います。
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